memorys,70
駄目だ。
流されちゃいけない。
「なんだよ、この手は……」
近付く白藤さんの顔に、わたしは必死に動かない腕を上げた。間一髪のところで両手は彼の口を覆い隠すことに成功し、予期したことから間逃れる。
しかし、今の状況から脱出できたわけではない。
「こうなると思ってたから言うのが嫌だったの!!」
キスを防がれ、気に入らないとばかりに睨んでくる相手に負けるものかと言葉を放つ。
「確かに白藤さんは初恋の人だけど、それは昔の話で」
「へぇー」
わたしの顔をまじまじ眺めながら、白藤さんは口を塞いでいた手を掴み、下へと下ろさせた。
「意識するぐらいは俺のこと気にはなってきたか。お前、顔真っ赤だぞ」
わたしの反応を楽しむように、なんだか勝ち誇ったかのような笑みを浮かべる。なんとか掴まれた腕を振りほどこうと抵抗しながら、強く反発の言葉を投げた。
「誰だってキスとかされれば嫌でも意識するに決まってるじゃない!!」
「なるほど」
そう一言言うと、笑みは消え、真面目な顔に変化する。
「だったら質問をしよう。俺とキスをして、お前はどう感じた? 嫌だったか?」
わたしの揺らいでいた心を見透かすような質問に、開いていた口をぐっと閉じた。抵抗を失ったわたしの片方の手をそっと自分の頬に寄せた白藤さんは、静かな口調で問い掛ける。
「こうやって俺に触れて、お前はどう感じる? なにも感じないなら、嫌だと思うなら全力で拒めばいい」
駄目だよ。
今、彼のキスを受け入れてしまったら間違いなく心が傾いてしまう。
神木さんのことを思い続けることをどこかで諦めてしまっている自分に気付いてしまうのが怖い。そんな恐怖を紛らわせてくれて、忘れさせてくれようとしている彼を利用したいから、こんなにも心がざわついてしまうのか。それとも、初恋の記憶とともに、過去の恋心が蘇ってしまったのか、私には分からなくなっていた。だから、今この場でキスをされてしまったら、よく分からないまま彼を好きになってしまうような気がして不安で仕方がないのだ。
白藤さんの顔が近づいていく気配に、私はぎゅっと目を瞑ったまま顔を逸らした。
(……あれ?)
きっと前の彼なら顔を逸らしたならば、強引に顎を掴んでキスをしようとしていたに違いない。しかし、それをしなかった。優しい手の平の感触が頭を撫でる。まだ警戒心が残る中、そっと閉じていた瞼を開く。そこには、今まで見たこともないような穏やかな表情で微笑む白藤さんが居た。
「俺はお前に触れる度……お前の笑顔を見る度に、好きだと実感するよ」
思いもよらない言葉に、さっきまでぐちゃぐちゃだった思考回路が一瞬で停止したように真っ白に染まった。
「ちゃんとお前には伝えたことなかったよな。亜矢……俺は亜矢が好きだ」
だって、これは告白だ。
いつも強引だった彼の口から初めて聞いた真っ直ぐな気持ち。
「初めて会ったあの時より、お前の笑顔も涙も何もかも好きだ」
こんなのキスをされるよりも、衝撃的過ぎる。完全に心を掴まれたように思えた。
「答えはいらない。前にも言ったけど、お前から俺が必要だと言わせるくらいに俺のことを好きにさせてやるからな……覚悟しとけよ。俺は手強いから」
普段と変わらない強気な言葉と笑みを浮かべた彼に、わたしは視線を逸らす。
わたしは……彼の気持ちに答えを出す日は来るのだろうか?
こんなわたしを待つことなんてない。そう言ってあげられたら、彼は諦めることもできるかもしれないのに、それすらしないわたしはやはり卑怯なのかもしれない。
あれから3か月が経ち、街は早くもクリスマスカラーで彩られていた。屋敷内に設置された大きなもみの木にメイドたちが様々な飾りをつけていく。徐々に輝きを増していくツリーを窓越しで見つめながら、わたしは深い溜息をついた。
「どうしたの? クリスマス間近なのになんだか憂鬱そうじゃない?」
寒さにあまり強くないようで、モコモコのセーターを着た暉が同じく憂鬱そうな表情をしていた。
「暉くんも似たような顔してるよ」
「冬は寒いだけだから嫌なんだよ。こんな寒い中、夜を出歩く人の気持ちが知れないよ」
屋敷内はすべての場所に床暖が入っているし、全部屋24時間暖房が生き渡るようになっている。しかし、暖房のない廊下を歩くことすら拒絶を示す暉にとって、クリスマスのイルミネーションを見るために夜出掛けるカップルは理解の範囲を超えているのだろう。
「それよりさ、あれから記者のやつは現れてないの?」
「白藤さんがかなりの剣幕で追い払ったから、もう来ないと思いたいんだけどね」
「まあ、用心だけしなよ」
「ありがとう」
そうお礼を言うと、少し照れ臭そうにしながら頭を弄る。
「それにしても、一体なにしに来たんだろうね? 亜矢、本当に何も言われてないの? 何だかあれからあんまり元気がないような気がするんだけど」
「そんなことないよ! 元気だって」
「そうかな? 兄さんが毎日飽きもせず亜矢の様子を監視しろってしつこいんだよ。何かあったら、必ず相談してよね。うるさい兄貴がうざくて仕方ないし、俺もそれなりに心配してるんだから」
「心配かけてごめんね。でも本当に大丈夫だから……陽太さんにも言っておくよ」
そう答えると、少し安堵したような笑みを漏らして“ならいいよ”と廊下を歩きだした。
元気がないのは当たっている。白藤さんに答えが出せないまま、もう3か月放置している現状に申し訳なさが募っていたからだ。しかし、全く記者のことを気にしていなかったわけでもない。
あの時、記者が言った言葉の意図がよく分からなかった。
「自分自身のことをどこまでわかっているかなんて聞かれてもな……」
考えても理解しがたい。何が聞きたかったんだろうかといくら考えても、答えになるものは出てこなかった。そして、わたしはまた窓を眺める。
今年のクリスマスはどんなことが待っているのだろうか?
その頃には、この憂鬱な気持ちに決着がついていますようにと、ツリーを見つめ願った。
次回はクリスマス目前に
また何やら起きそうな予感?




