memorys,69
「立てるか?」
そっと差し伸べられた手を見て、慌てて立ち上がる。
「わたしは大丈夫だよ! それより白藤さんは? 怪我とかしてない?」
「かすり傷程度だから心配ない……さぁ、帰るぞ」
「う、うん」
白藤さんが歩き出したのを見て、わたしは急いでその後ろを追った。
屋敷へと戻ると、白藤さんはなぜかわたしの手をとる。
「白藤さん?」
「ちょっと話があるから、このまま執務室に行くぞ」
さっきまで普通だった白藤さんが今はどこか不機嫌そう。何故だろうと考える前に、今朝のことを瞬時に思い出した。
(忘れてた! 今朝、白藤さんのこと避けたんだった!)
記者がいきなり現れ、あんなことになってしまったために、すっかり悩んでいた記憶が抜け落ちてしまっていた。考えずとも、今の彼の心情は手に取るように分かる。訳も分からず避けられたのだから、かなりと言っていいほど怒っている筈だ。
(どうしよう……まだ心の準備もできてないのにっ)
しかし、頭の整理などつく筈もなく、直ぐに執務室へ到着してしまった。扉が後ろで閉まる音が聞こえたと同時に、腕を掴まれて壁際へと追い詰められてしまう。
「あの……白藤さん」
両側には、逃げ道を防ぐかのように白藤さんの腕が行く手を阻んでいた。
「さて、説明していただきましょうか?」
執事スマイルを浮かべてはいるがメガネ越しに見える瞳は全く笑っていない。
「今朝、俺を避けた訳を」
(やっぱり、めちゃくちゃ怒ってる!!)
なんとか場を和まそうと笑顔を作る。
「そんな大した理由じゃなくて……それになにも今話さなくてもっ」
「今だ」
「そんなことよりも白藤さん、あちこち怪我してるみたいだし、手当てを先にしなきゃ」
「そんなもん後回しでいい……いいから、なんで俺を避けたのかきっちり話せ」
どれだけ誤魔化そうとしても通用しない。これは言わないと逃がしてくれないパターンだ。本当は、あの事を思い出した動揺を消し去ってから、白藤さんにはキッパリと「気持ちには答えられない」と伝えるつもりだった。しかし、避けた意味を問われてしまった今、あの事も含めて話さなくてはいけなくなる。
「おい、このままの状態でずっといるつもりか?」
「わ、分かったよ! 話すよ……」
話した後の白藤さんの反応を想像すると、羞恥心でいっぱいになってしまう。しかし、話さないことにはこの場を逃れる方法などないのだ。というよりから、正直に話す以外のうまい逃げる口実がさっぱり思い付けない。
嘘偽りもない本心からの告白を相手に伝えるしか、今のわたしに術はなかった。
だから、わたしは叫んだ。
「は……初恋……だったの」
「……は?」
気合いとは裏腹に、今にも途切れてしまいそうな小さな声が口から漏れる。そのせいで聞き取り取れなかったのか、それとも意味が伝わらなかったのか、白藤さんは呆気にとられたような顔付きで声を発した。
「おい、一体なんの話だ?」
「ほら……初恋の相手に会ったら、いくら忘れてたからって照れ臭くもなるでしょ?」
「えっと、悪いんだけどな……さっきから全く話の意味が分からないんだけど」
「だから、わたしの初恋の相手は白藤さんだったんだよ!!」
なかなか察しの悪い相手に痺れを切らし、わたしは恥じらいを捨てて叫んだ。やっと、状況を把握したのだろう。白藤さんの表情から、いつもの余裕が消えてなくなっていく。
「それって……どういう意味だよ」
「初めて会った日、白藤さんを最初に見た瞬間思ったの」
自分と同じ孤独を抱えたように見えた青年の横顔。悲しみを隠しながら寂しく笑う彼はきっと、私と同じなんだと思えた。それがまさか初恋だなんて思いもよらなかったが、あのブレスレットを送ったのは私にとっての誓いを込めたかったから作りたかったのかもしれない。
「また白藤さんと会った時は笑って会いたいというより、わたしが笑顔にしてあげたいって……そう思えたの」
白藤さんを想って、いつあげられるか分からないブレスレットを何度か作ったこともある。しかし、子供の記憶は大人になるにつれて薄まっていき、わたしは白藤さんを忘れてしまっていた。
しかし、今はあの頃どんなことを感じながらブレスレットを作ったのかハッキリと思い出せる。
「はじめて白藤さんが心から笑ってくれた時、安心したし、嬉しかった。でも同時に困ったの」
初恋だった。
けど、今のわたしが好きなのは白藤さんではない。
気持ちは揺らいでいても、心にはまだ神木さんが確かにわたしの中にいる。
「どんな顔で白藤さんに接したらいいか分からなかったから」
曖昧な気持ちのままで、初恋だとか言いたくなかった。
わたしは気持ちを整理しながら、白藤さんの顔を真っ直ぐ見つめる。
「逃げたのはごめんなさい。今は急に思い出して動揺してるけど、明日からはちゃんと普通にお嬢様として白藤さんと」
「却下」
わたしが示そうとする決意を白藤さんはたった一言で遮断してしまった。
「え?」
少し苛ついたように舌打ちした白藤さんがそっと距離を詰める。
「なに勝手に終わらそうとしてんだよ」
低い声が耳元に降ってきた。この後、彼が何をしようとしているのか予測できる。なのに、身体が思うように動いてくれなかった。




