memorys,66
逃げるように学校へ行き、半分上の空で午前中の授業を受けた。ようやく昼休みを迎えたわたしは、有無も言わせない勢いで奏を中庭のベンチまで連れていく。冬の寒さを肌に感じ始める時期に中庭でお弁当を広げる人など誰ひとり居なかった。
ベンチに座って数分間、膝に乗せたお弁当を広げるわけでも、話し出す素振りもないわたしを見兼ね、奏が覗き込みながら問い掛ける。
「亜矢、大丈夫なの? 風邪治ったばかりなのに、外で食べて……風邪振り返しちゃうよ?」
わたしは奏に笑顔を向けた。ただ、笑顔にはなってなかったと、鏡を見なくても分かる。
「もう全然平気だから大丈夫だよ。それにずっと寝込んでたから、外にでたくなっちゃって……ごめんね、付き合わせて」
「それは別に構わないけど」
相当わたしの笑顔が不自然だったようで、奏はなんとも言えないような複雑な表情を浮かべた。
「何かあったんでしょ? 風邪治ったわりには元気ないよ」
「…………ぅう、ん」
何をどう話したら良いのか。というか、まず話しても大丈夫なのか、奏の反応を想像してしまうと、言葉が喉の奥でストップしてしまう。そんな事を考えていると、すっと奏の手が頬に触れた。そして次の瞬間、思いっきり抓られる。
「いひゃ!」
相手の突然の行為に、なんとも間抜けな声を漏らしてしまう。そんなわたしを見て、奏は小さく笑った。
「これで少しは話す気になった? ずーっと、亜矢が話してくれるの待ってたんだから、これぐらい許しなさい? ここ最近、やたら様子おかしかったの心配してたんだから」
「……ごめん」
手が離され、わたしは奏にも心配かけていた事に申し訳なく頭を下げる。
「言いたくない事もあるかもしれないけど、わたしは亜矢が元気ないのは見たくないからさ……なんか出来る事があれば言ってよ」
「奏……ありがとう……ずっと黙っててごめん」
わたしは奏に全てを話す覚悟を決めた。
神木さんと恋をし、記者が現れたことで彼が去っていってしまったこと。
白藤さんの存在と、昔抱いていた彼への感情を思い出してしまったこと。
包み隠すことなく全てを話した。
初めはやはりだんまりだった奏。執事と恋をしているなんて、返答に困るのは当たり前のことだ。逆の立場だったら、わたしだって困っていたに違いない。
もしかしたら幻滅されてしまってもおかしくはないだろう。
しかし、奏の表情にはそれを感じなかった。
「奏……?」
逆に嬉しそうな表情で微笑んだ奏の顔を不思議に思い、我慢しきれず声をかける。
「ごめんごめん。やっと亜矢が何に悩んでるのか分かったからホッとしてたの……確かに、なかなか人には教えにくいよね。それなのに、話してくれてありがとう」
「あの、執事と恋なんかしてって呆れたりしてない?」
「まさか! するわけないでしょ!」
普段と変わらない返しをしてくれた奏に、心底安堵した。
「ありがとう」
「お礼はいらない。わたしはただ話を聞いただけよ?」
不意に奏が力強くわたしの手を握る。
「執事と恋をするのは確かに生半可な覚悟じゃ長続きなんかしない。それは亜矢だけの気持ちだけの問題じゃなくて、相手の気持ちが同じにならないと始まらないことだから……神木さんはきっとまだ迷いがあったから擦れ違ったのかもしれない」
「……奏、わたし……神木さんがわたしを突き放して、遠くに離れたのは“守る選択”をしたんだって分かってるの。わたしの為を考えてすごく悩んで決断したんだって知ってる……だけど本心を言ったら、そんな優しさなんかいらなかった。わたしは神木さんとどんな困難にも一緒に乗り越えていきたいって思ってたから、余計に黙って居なくなっちゃったことがショックだったの」
「亜矢……」
ポケットからスマートホンを取り出し、着信履歴を見つめながら続けた。
「連絡しようと思えばできるのに……あの日の神木さんの顔を思い浮かべたら、戻ってきてほしいなんて言えない。あれが神木さんの出した覚悟だったって知ってるから」
「今も辛い?」
「少しだけ……」
奏の問い掛けに複雑な笑みを漏らす。
「白藤さんの存在に戸惑ってる以上に、感謝もしてるの。彼が居なかったらもっと辛くなって、泣くこともできないで塞ぎ込んでたかもしれないから」
「だから余計に困ってるんだ……」
「そんなところかな?」
奏は亜矢の手を握ったまま、空を仰ぎ見る。その横顔はどこか切なそうな表情に見えて、目が逸らせなくなってしまった。いつものクールな奏からは、想像できないような儚げな瞳に思わず吸い込まれる。
「実は亜矢に話してなかったことがあるんだけど……」
空からわたしへとその瞳が向けられた。
「わたし、大学を卒業したら直ぐに結婚するの」
「えっ!?」
思いもよらない告白に、つい声を上げてしまう。わたしの驚きようを見て、奏ではクスクスと小さく笑った。
「そんなに驚くことじゃないよ。会社を守っていくために、それに見合った人といち早く婚約を結ぶ……子供の頃から決められている人も多いわ」
「それって政略結婚だよね? 奏は嫌じゃないの?」
「嫌じゃないよ」
あっさり答えた彼女の顔に嘘はない。真っ直ぐにわたしの目を見据える彼女の瞳には迷いなど感じられなかった。
「嫌だったら、兄貴みたいに世界中を放浪してるだろうからね。どんな道を行くか決めるのは、やっぱり最終的には自分の判断でしょ?」
「そう……なのかな?」
そう言い切った奏だけど、先ほどの切ない眼差しはなんだったのだろうか?
「でも、心残りとかないの? 好きじゃない人と結婚するんだよ?」
「そうだな? 心残りがあるとすれば、一度でいいから亜矢みたいな恋もしたかったかな……けどさ」
「けど?」
「今はこう思うの。先にする恋も、後にする恋もそんなに違いはないんじゃないかって」
意味がよく分からず、わたしはじっと奏の言葉を待つ。
「亜矢みたいに、恋から始まる恋愛もあれば……一緒に居て、時間を掛けてする恋愛も、同じ“恋”じゃないかな? 恋愛には確かな答えなんてないじゃない。どっちを選んでも、うまくいくこともあれば、そうじゃないこともある。それは選択してからじゃないと分からない」
確かにそうかもしれない。どんなに好きになっても、時が経って別れてしまう恋人なんて数多く存在する。どんな形でも、恋愛には“絶対”なんて言葉は存在しない。もしかしたら、永遠の愛を見つけ出すことは、恋をするよりも難しいことなのかもしれないと、奏の言葉を聞いて痛感した気がした。
「だからさ、亜矢も深く悩まないで素直になってみたら? 自分の気持ちに従ってみてもいいんじゃないかな。神木さんの事を好きで居続けるのも、新しい恋に踏み出すのも、亜矢の選択だよ。誰かに決められるものじゃない……でしょ?」
私は深く頷く。
奏の言うとおりだ。恋は誰かの言いなりで決められはしない。
「それでも困った時はいくらでも相談にのるから」
「ありがとう、奏……」
時間は掛かるかもしれないけど、先ずは相手から逃げないで向き合ってみよう。怖がっていたら、それこそ前になんて進めない。
「自分の納得する“答え”を見つけてみる」
「そうそう、亜矢は笑顔が一番! 頑張って!」
奏に話して良かった。心の底から、そう思える。
理解して、話を聞いてくれる友達が近くに居る嬉しさを改めて実感した。