memorys,65
「そのあと、俺は違う屋敷へ移る事が決まって……彼女とはそれっきり会っていない」
ひとつ深い溜息を漏らし、情けない声で白藤さんは続ける。
「自由を手に入れたはずなのに、今まで以上に自分の人生が虚しく感じて……あんなことをしてまで何がしたかったのかって今でもよく考えるんだ。きっと自由なんて俺には初めからなかったのに“全てを失う覚悟”が怖くて、彼女を利用した。そんなバカな自分が憎くて、今も許せない」
そこまで話し終え、部屋の静けさにハッとしたように振り返った。
「悪い……長く話し過ぎた」
過去を思い出したせいだろう。いつになく弱ったような顔つきをする白藤さんを見て、懸命に頭を振る。
「ごめん、うまくは言えないけど……白藤さんがした選択は間違ってないし、自分を憎む必要だってないと思う!」
子供の頃、そして現在の彼が見せる切ない表情の裏に隠された様々な過去と、背負ってきた傷を知り、自然と涙が溢れ出した。
「わたしはその彼女じゃないから、本当にそう思ってたかなんて断言はできないけど……彼女はきっと白藤さんが好きだったんだと思うよ」
「まさか……」
「自分の立場から簡単に口に出来なかったからこそ、強気な態度ばかりとっていたのかもしれない。本当は純粋に白藤さんを自由にしてあげたかったのかもしれない。素直に言えない代わりの彼女なりの優しさだったんじゃないかな? 結婚が断れないのが分かっていたから、最後に白藤さんと過ごす思い出がほしかったんだと思うよ」
信じ難いと言いたそうな面持ちを浮かべる彼に、わたしは涙を拭きながら微笑む。
「彼女のやったことは決して正しいわけじゃない。けど、もしもわたしが彼女なら……今の白藤さんにこう言うと思う。自分を責めないで、前を向いて生きてほしいって」
「亜矢……」
「わたしはまた“あお兄”に会えて嬉しいよ! 自由を選択してくれなかったら、きっとこうして再会する事だってなかった……だから白藤さん、もう自分のこと許してもいいんじゃないかな?」
わたしが言い終えると同時に、白藤は安堵したような表情へと変わっていった。
「お前の言うとおり……あの時、自由を選んだのは間違いじゃなかったのかもしれないな。ずっと俺は間違いだらけの人生を歩いてきたとばかり思っていたけど、こうしてお前と巡り会えたなら……俺の人生、そこまで悪くなかったって事だな」
どこか吹っ切れたような笑顔を向けた白藤さんを目の前にして、わたしの頭の中に“あの”の記憶が蘇る。
そう、白藤さんと初めて出会ったあの日の光景。
(そうだ……思い出した)
けど、それは今まで思い出したものと少し違っていた。あの時、自分が何を感じ、何を思って白藤さんにブレスレットを渡したのか。彼の笑顔を見た瞬間、それが鮮明に浮かぶ。
座る場所はいくらでもあったのに、わたしは敢えて白藤さんの隣に座ることを選んだ。名前も何も知らないのに、ひと目見た瞬間に自分と同じ“孤独”を抱えていると分かった。悲しそうで、寂しそうな男の子に何かしてあげたいと考えて、悩んだ末に思い付いたのがブレスレットを作ってあげること。というより、子供だったわたしには、それぐらいのことしか出来なかった。
どうして寂しそうなのか聞けない代わりに、何もしてあげられないわたしの代わりに、どうか“あお兄”を守ってあげてほしい。
『ありがとう』
切なく笑った彼を見て、またいつか会えた時、今度は私が本当の笑顔にしてあげたい。
そう、思ったんだ。
あの時に感じた感情を言葉で表すとしたら……
「えっ」
思わず声に出てしまった事に、自分が驚いてしまい、焦って口を手で覆った。
「どうした?」
「な、なんでもないっ……」
「話はこれぐらいにして、そろそろ休め……何かあったら直ぐに呼べ。近くに居るから」
「うん」
ゆっくり布団へと横になり、また書類に目を通し始める白藤さんの背中をじっと見つめる。思い出してはいけない記憶の扉を開けてしまった気がして、動揺からか心臓がバクバクと波打った。
(わたし、大変なこと思い出しちゃったかもっ)
そのあと、熱が更に上がってしまったわたしは結局そのまま3日間寝込んでしまう。その間、白藤さんが付きっ切りで看病してくれていたのだが、私はなかなか目を合わせることができなかった。
4日目の朝、わたしは制服姿で壁に張り付きながら、辺りを気にしながら進む。
「亜矢?」
前方ばかりを気にしていて、背後から来る人影に全く気が付いていなかった。声の持ち主が分かっていたため、わたしは笑顔で振り返る。
「おはよう、お兄ちゃん!」
いつもと違うと勘付いた陽太は、“おはよう”と返しながらも、どこか怪訝な目付きでこちらを見据える。
「もう、大丈夫なのか? まだ身体が辛いなら、もう一日休んだっていいんだぞ?」
「大丈夫だよ! もう熱も下がったから心配いらないから」
「そうか?」
また無理をしてるんじゃないかと疑われているんだと思ったわたしは、大袈裟に腕を振り回して元気なように振舞う。いや、体は本当に良くなっていた。別に嘘を付いている訳ではないのだが、どうも気持ちが焦ってしまう。
「朝ごはん食べに行くんだろ? そんなとこに立ってないで行こう」
手を差し伸べる陽太から反射的に後退りしてしまった。
「亜矢?」
「あの、わたし……」
「お嬢様?」
そこへタイミング悪く、白藤さんまでやってきてしまう。きっと、わたしの体調を確認するために来たのだ。
(せっかく、早く準備したのに!)
そう、焦っていたのは“彼”が原因。
というより、わたしが勝手に彼に会うことを躊躇っているだけなのだ。
「ふたりして、こんな場所で何を?」
小首を傾げ、不思議そうに陽太とわたしを見つめる白藤さんの横を小走りで通り過ぎる。
「なんでもないよ! じゃあ、わたし行くね!」
「亜矢!? 朝食は!?」
玄関の方向へ向かおうとしたわたしに気付き、陽太が止めようと手を伸ばす。
「ごめん、今日は食べないで行くね! 本当にごめんなさい!」
陽太の手と、白藤さんの視線から逃れるように、わたしは駆け出した。




