memorys,05
予定の時刻。引っ越し屋のトラックが到着した頃だろうと、わたしは立ち上がる。だが、部屋を出ると既に荷物を手にした女性たちが慌ただしく廊下を歩いていた。
黒のワンピースに、レースが可愛らしい白のエプロン。
(メ……メイド?)
神木さんにしか会わなかったから気付かなかったけど、まさかメイドまで居るとは思わず、わたしはただ呆然と見つめる。
「お嬢様……失礼致します」
ひとりの可愛らしいメイドが微笑み、わたしに軽くお辞儀をした。歳はわたしとそんなに変わらない。
「お荷物をお持ちしましたので、お部屋の中へ運んでもよろしいですか?」
「もちろん! ありがとうございますっ」
「直ぐ荷物の中身も片付けますね」
「えっ!? 良いですよ、それくらい自分で出来ますから」
自分の荷物なのに、整理までさせるのは流石に気が引け、止めようと手を伸ばす。だが、誰かの手が肩に触れ引き止められた。後ろを振り返ると、そこには荷物を持った神木さんの姿。
「お嬢様はどうぞ休んでいて下さい」
「えっ、けど……」
「これは我々の仕事です。どうぞお任せください」
笑顔を浮かべてはいるが、なんだか逆らえない雰囲気を漂わせている。わたしは素直に従う事にした。
「ありがとうございます……なら、わたし散歩してきても良いですか? お庭とか見てみたくて」
「ええ、構いません」
神木さんの了解を得て、ホッと一安心する。散歩すら駄目だと言われたら、どうしようかと思ってしまった。
「お嬢様って大変そうだな」
ひとり玄関を出て、中庭へ続く屋根のついた外通路を歩きながら、溜め息まじりに呟く。先のことを考え、気が重くなり掛けていたわたしの目に、眩しいほどの緑豊かな空間が広がる。
“庭”と言っても、一般的な広さでないことは確か。家が何軒も建ちそうなほど膨大な敷地内の中で、綺麗に手入れをされた芝生が地面を埋め尽くす。春ゆえ、様々な花たちがあちらこちらで咲き誇っていた。
暫く散策していると、どこからともなく綺麗な音色が耳に届く。
(……誰か居るのかな?)
音の鳴る方へと足を進めていくと、彫刻が施された白い東屋が視界に入った。その中で、ひとりの青年がバイオリンを弾いている。彼が奏でる音色は透き通り、聞いていてとても心地よく感じた。
「もしかして、涼華さんの……」
そう考えたわたしは歩調を早め、その青年へと近付いていく。すると、彼もこちらに気付いたようで、目が合った瞬間に演奏を止めた。
「あの、はじめまして……わたし、九条 亜矢です」
「ああ……君が?」
そう呟くと、優しげな笑みを浮かべる。茶色のサラサラな髪は耳が隠れるほどの少し長めのショート。顔はモデルみたいに小さく、笑顔したら女の子に見間違えそうなくらいの可愛らしさだ。ゆとりある薄めの長袖にジーパンとラフな格好をした彼は、ゆっくりわたしへと歩み寄る。
「はじめまして。朝比奈 暉です……ああー、けどもう僕も“九条”か」
ふんわりした口調で話す姿に、亜矢はホッと胸を撫で下ろした。
(暉くん……優しそうな人で良かった)
「わたし、高校2年なんです。暉くん、同じくらいだよね?」
「ひとつ上かな……僕3年だから。けど、それなら同じ学校になるんだね。よろしく、亜矢ちゃん」
「よろしくお願いします!」
しかし、安心したのはこの一瞬だけだった。
「まあ、家族としては歓迎するつもりだけど、ひとつだけ忠告していいかな?」
「え?」
暉がスッと耳元に顔を近付け、変わらぬ口調で告げる。
「学校では話し掛けないでね。親の再婚くらいで周りから騒がれるの嫌なんだ」
声は優しいのに、ひどく冷たく耳に響く。
「あと、僕がバイオリン弾いてる時は近付かない、邪魔しない……それだけ覚えておいて。自分のペースを乱されるのって嫌いなんだよね」
そう言うと、何もなかったような笑顔をわたしに見せてから、立ち去っていった。
(それって……周りにはわたしが妹だって知られたくないってこと?)
家族としては仕方なく付き合いはするけど、あとは関わるなと言われたようで、一気に気分が沈んでいく。
「落ち込んじゃ駄目だっ……最初からうまくいくなんて思ってないし! これから一緒に住めば、仲良くなれる!」
後ろ向きな考えを取り払うように、わたしは笑顔をつくった。
「お嬢様っ!」
声に気付き振り向くと、こちらへと駆け寄る神木さんの姿が目に映り込む。
「はいっ」
返事をし、わたしも神木さんの方へと足を向けた。
「もしや、暉様とお会いになられましたか?」
「はい、さっきバイオリンを弾いているところを見つけて」
「左様でございましたか。実は今、長男の陽太様もご帰宅なされましたので、お会いになるようでしたら2階の書斎にいらっしゃいますよ」
先程の暉とのやり取りが頭にちらつく。
(いやいや、ここで躊躇ってもしょうがないでしょ!!)
わたしは力強く頷いた。
「分かりました。陽太さんに会ってきます!」
「では、わたくしはまた業務に戻らせて頂きますが……何かあれば、直ぐにお呼びください」
「ありがとうございます」
お礼を言って、わたしは直ぐ陽太さんの居る書斎へと向かった。
書斎はすぐに見付かったが、変に緊張してしまって、なかなかノックが出来ない。一度深呼吸をし、気持ちを落ち着かせてから、意を決して目の前のドアを叩いた。
「はい、どうぞ」
落ち着いた声が返される。それを合図に、わたしは静かに書斎のドアを開け、中へと入っていった。