memorys,48
新学期が始まり、また普通の日常をおくる。
晶さんとの事もあり、学校の行き来は送迎になったが、今のところ異変は起きていない。かなり陽太さんが心配して、学校まで付いてくる勢いだったが、なんとか神木さんが送迎するからと納得してもらった。
このまま、何も起きない。
ひとりになる事がない状況だからと、わたしはどこかで安心しきってしまっていた。
「今日も迎えでしょ?」
授業が終わり、帰り支度を始めるわたしに奏が笑顔で言う。
「うん。もうそろそろ来る頃かな」
時計を確認し、わたしは普通に返したつもりだった。しかし、奏が何だか意味深な笑みを浮かべる。
「なに? わたし、なんか変だった?」
「んー、なんか最近嬉しそうだよね。亜矢さ、好きな人でもできた?」
「えっ!? ち、違うよ!」
まさか“執事が恋人”とは言いにくい。それに簡単に話をして、白藤さんの言ったような事になっても大変だ。わたしは笑って誤魔化し、慌てて鞄を抱える。
「それじゃあ、また明日!」
「はいはい。また明日ね」
手を振り、教室を出る亜矢を奏は苦笑いしながら見送った。
「やれやれ……亜矢は隠し事が下手ね」
学校の門まで走り、なんとかあの場を切り抜けた事に安堵の息を吐く。
「危なかった……」
奏は秘密を漏らすような人ではないと分かってはいる。
「ごめんね、奏」
自分の教室の窓を眺めながら、ポツリと呟いた。
いつか話せるときが来たら、きっと一番に奏に話そう。本当に“覚悟”が出来たときは、堂々と神木さんがわたしの恋人だと話すんだ。
「それまで待っててね」
教室にいる奏に向くて言うと、わたしは前へと視線を戻す。
「あれ、まだ来てない」
いつもなら少し早めに迎えに来ている神木さんの姿が見えない。
(珍しいこともあるんだな)
車がやって来る方向を見据えながら立っていると、背後に人の近付く気配を感じた。
「すみません」
知らない声に、驚き振り返る。そこには30代後半のサラリーマン風の格好をした男性が優しそうな笑顔を浮かべ立っていた。一見、普通の人にも見えるも、何だか嫌な予感が胸をざわつかせる。
(なんだろう……嫌な感じがする)
「ごめんね、急に声を掛けて……君が九条 亜矢さん?」
名前まで知っている事に更なる不信感が湧く。
「はい……そう、ですけど」
「良かった。ずっとお会いしたかったんです」
「わたしに何か?」
そう聞くと、彼はショルダーバッグから名刺入れを取り出し、その中の1枚をわたしに手渡した。
「わたし、ある雑誌の記者をしています」
名刺に書かれた会社名は、よく本屋にも並んでいる有名な週刊誌だった。よく芸能人のスクープを載せて、ニュースなんかにも取り上げられている。
「いや、朝比奈財閥のご令嬢様が一般の方と再婚なさったのを知って是非とも取材したいと思っていたんですが……なかなか承諾が得られなくて」
「あの、わたしに言われても困りますっ」
「いえ、今回はあなたに会いたくて窺ったんですよ」
相手が更に距離を詰めるように近付く。
「ある方から連絡が入りまして……九条 俊彦さんは、あなたのお母さんと出会われる前から涼華さんと親しい間柄だったんではないかという情報がありまして、娘であるあなたならご存じではないかと思ったんですけどいかがですか?」
この人は何を言ってるの?
お父さんがお母さんと出会う前から涼華さんと付き合ってたとでも言いたいの?
「そんなこと、ある筈ないじゃないですか!」
強く否定を述べるも、相手の笑顔が崩れることはなかった。
「そんなに怒らないで下さい。こちらも情報を頂いて調べてるだけなんですから……けど、不思議に思いませんか? いくらドレスコンテストで優勝したからって、朝比奈財閥のご令嬢との結婚をあっさり会長が許すなんておかしいでしょ。朝比奈を背負う立場の長女が家を捨てるなんて……普通なら有り得ない」
「それは会長が理解ある人だったからじゃないんですか?」
「まぁ、今はそういう事にしておきましょうか。調べていけば、いずれ分かることですから」
「なら話は終わりですよね?」
一度校舎の中へ逃げようと体の向きを変えた途端に、そっと肩を押さえられてしまう。
「あなたは一般の極普通の学生だ……だから気を付けた方がいい」
「何に?」
「あなたは知らないだけで、どんなに名高い大企業の世界だって中を覗けば腐りきってる可能性もある。わたしはね、あなたを心配してるんですよ。純粋なあなたまでもがそれ飲み込まれて腐ってしまうんじゃないかって……」
嫌だ、聞きたくないと心が拒絶を示す。
この人の言葉を聞くと、酷い嫌悪感が襲ってくる。
声を聞きたくなくて、両耳を手で塞ぐ。しかし、彼がより顔を寄せて続けた。
「ほら、ご兄弟と血の繋がりがない君だ。義理の兄弟に無理矢理なんてことが起こってもおかしくないでしょ? ああ、それとも……執事との身分違いの禁断の恋とかもありそうだよね? そうなれば、君の人生はおしまいだ」
勢いよく体を動かし、相手から離れる。その瞬間、獲物でも狙うような目付きが瞳に映り、寒気を覚えた。
「こういう世界にはね、たくさんあるんだよ。一度泥沼に浸かれば後戻りは出来ない……だから、お姫様もそうならないように注意して下さい。それを餌に狙うのは決してわたしだけじゃない」
すっと目を細め、にっこりと笑う。
「では、今日はこの辺で。また来るよ、お姫様……くれぐれもスクープには気を付けてね」
背を向け、静かに立ち去る相手を見送ることなく、わたしは走り出していた。どこでもいいから、一刻も早く彼から遠ざかりたい。
ただがむしゃらに、逃げることしか考えられなかった。