memorys,02
父がイタリアへ旅立ってから、はや1週間。未だに連絡はない。
第1次予選から始まり、第3次まで絞り込まれてから最終予選、そして優勝者が決まる。時間が掛かることは承知していたが、途中経過ぐらい連絡してきてもいい筈だ。
(まさか……)
1次予選にも通過できず、ショックのあまり疾走。なんて嫌な考えが過り、落ち着かない日々を過ごす。
(お父さんに限ってそれはないか)
父は案外、娘に対して過保護だ。時にうんざりしてしまう程、わたしを溺愛していると断言してもいいだろう。うちにお金はないが、親子という絆はどの家にも負けない自信があった。
だからこそ、父のことは信用している。
しかし、こうも連絡が途絶えると違う予感が浮かび上がってきた。
(まさか、向こうで病気したとか……事故に遭ったとか?)
それで連絡が出来ない。十分に有り得る話だ。
バイトを終え、家の前まで来ると深い溜め息を漏らす。
「あら、亜矢ちゃん。元気ないわね」
急に声を掛けられ、慌てて顔を上げる。そこにはニコニコと笑顔を向ける近所のおばさんが立っていた。
家が隣で、いつもわたしに良くしてくれる優しい人だ。
「あ、こんばんわっ」
「お父さん、まだ連絡ないの?」
「はい……何かあったのか心配で。何度か連絡はとってるんですけど、いつも留守電なんです」
「あらあら」
おばさんは少し頭を捻り、直ぐ様また笑顔になる。
「あのお父さんなら大丈夫だよ。ほら、集中すると周りが見えない所あるでしょ? 連絡が来ないのは元気な証拠って、よく言うじゃない。あまり心配しちゃ駄目よ」
確かに、父はドレスに没頭し出すと、食事を忘れるほど熱中してしまう癖があった。流石、長年うちのお隣だっただけに、おばさんはよく父の性格を分かっている。
「そうかもしれない。変に心配してもしょうがないよね」
「そうそう! 亜矢ちゃんは笑顔が一番よ。ほら、これ食べて元気つけなっ」
差し出されたタッパーには、あんこときな粉二種類の手作りお萩が敷き詰められていた。
「わぁ、ありがとうございます! おばさんの作ったお萩大好きっ」
「なんか困った事があったら直ぐ家においで。亜矢ちゃんなら、うちは大歓迎だからね」
そう言って、おばさんは手を振り戻っていく。
「そうだよね、笑顔を忘れちゃ駄目だよね」
おばさんのおかげで、だいぶ気が楽になった。わたしは笑顔を取り戻し、空を仰ぐ。
「お父さん……頑張って!」
同じ空の下で頑張る父に向けて、拳を掲げた。
◇◇◇ ◇◇◇
そしてまた1週間が過ぎた頃。なんの前触れもなく、わたしの前に父は現れた。
「亜矢、ただいまっ!」
コンビニのバイトを終え、帰宅しようと外へ出た途端に父の笑顔が目に飛び込む。
「お父さんっ!!」
「やったぞ、亜矢! 父さん、優勝したぞっ!!」
両手を広げる父に向かって、人目構わずに思いっきり抱き付いた。
「おめでとう!」
父の胸に飛び込んだ瞬間、力いっぱい抱き締められる。
「亜矢のおかげだ。ありがとうっ!!」
無事に帰還した事と、父がドレス職人を諦めずに済む嬉しさに、目から涙が滲む。
「これで、お前には苦労掛けないで済むからな! これからは、自分が好きな事をなんでもやっていいからなっ!!」
一気に抱き上げ、グルグルと回り始める父に、流石のわたしも声を上げた。
「お父さんっ、恥ずかしいから!」
「良いじゃないかっ!」
コンビニの目の前で、わたし達を囲むように人だかりができ始める。
「今日はお祝いだ!」
恥ずかしさで顔が火照るも、父のあまりにも嬉しそうな表情にわたしは諦めたように微笑んだ。
「おかえりなさい……お父さん」
「ただいまっ」
笑顔で再会を果たしたこの日が、わたしにとって“普通の生活”が終わりを告げる合図となった。
父がコンテストに出したドレスは日本中の話題となり、雑誌やニュースあらゆるメディアが取り上げ、海外にまで知れ渡る。
“亡き妻を想って作ったドレス”というタイトルが所々で見出しを飾った。母の好きだったカスミ草と赤いバラの刺繍を全体に散らばした真っ白なウエディングドレスは、最愛の人を想う気持ちが滲み出ていると、各企業から注文が殺到。
気付けば父は、自分のブランドを持つ世界一のドレス職人と名を上げていった。
そして、まだ寒さ残る2月。
父は畏まった顔でわたしに告白する。
「亜矢、実は……再婚しようと思ってる」
「え?」
夕飯のおかずに伸ばし掛けた箸を止め、わたしは目を丸くした。
「再婚? お父さんが?」
「つい最近、父さんのドレスを自分の店に置きたいと声を掛けてくれた人に……その、なんだ……一目惚れしてな」
照れ臭さから頭を掻く父の姿を放心状態で見つめる。
「亜矢が嫌じゃなかったら、一緒に住もうと考えてるんだが……嫌ならハッキリ言ってくれ! 住む場所も変われば転校だってしなきゃならないし、環境が違うと色々困ることも出てくる。だから、もしも嫌なら無理強いはしないから」
「お父さん……なに言ってるの?」
わたしは箸をテーブルに勢い良く置く。
「母さんみたいに想える人が出来たんでしょ? 今結婚しなきゃ駄目じゃない!」
「亜矢……」
反対されることを覚悟していた父は、意外な娘の言動に口を開いたまま、固まってしまった。
「お母さんが死んで12年だよ。そろそろ幸せになっても良いんじゃない? わたしなら大丈夫だから……」
そう言って微笑むと、父は涙を零す。
「ありがとう! 亜矢、ありがとうなっ」
「もう、泣かないでよ……新しい奥さんに呆れられちゃうでしょ?」
少しだけ不安はあるけど、わたしは新しい家族が増える事に期待を膨らませていた。