第84話 金沢旅行③
「お待たせしました」
パウダールームから瀬那の声が聞こえてきたので振り向くと、廊下の壁に身を隠すようにして、瀬那が顔だけのぞかせている。
金色に近い、柔らかな亜麻色の髪が、戸惑うように彼女の肩を揺らしていた。
「その……どうでしょうか……?」
意を決したように部屋に入ってきた彼女の姿に、俺は一瞬、息をするのを忘れた。
眩いほどの色白の肌に映える、爽やかなミントグリーンの水着。
それはオフショルダーのビキニで、肩から二の腕にかけてあしらわれたボリュームのあるフリルが、彼女の可憐さを際立たせている。フリルの隙間から覗くデコルテは、光を浴びて透き通るように白く、陶器のように滑らかで、言葉を失うほど綺麗だった。
下は共布のフリルがついたスカートタイプで、太もものあたりで可愛らしく揺れている。普段、服に隠されて見えないすらりとした脚が、やけに生々しく目に焼き付く。
瀬那はスカートの裾を落ち着かなげに手で押さえ、顔を真っ赤に染めて上目遣いに俺を見ていた。
「……あ、あまり見ないでください。やっぱり、少し大胆すぎましたか……?」
華奢な方だとは思っていたが、実際に水着姿を見ると本当に細く脆く見えた。だが、食事に運動と体型管理に努力しているからなのか、単純に細いというわけでなく、ほど良く肉が付いている。腕に抱き着かれた時にわかっていたが、女性特有の柔らかさは残している……要は無駄な肉のついていない、しなやかで洗練されたラインだ。
そして、その体つきからは予想できないほど、豊かな胸の膨らみ。実際のサイズは知らないが、制服姿の時よりも"それ"は圧倒的な存在感を放っていた。
正面から見れば、フリルが上手いことカモフラージュしてくれているのだが。問題は……俺との身長差だ。
近寄ってきた瀬那を上から見下ろすと……その……フリルの奥の深い谷間が、嫌でも視界に入ってしまう。
――これはいけない。
俺は慌てて視線を明後日の方向へと逸らし、咳払いを一つ落とした。どうにか平常心を保とうとするが、心臓の音がうるさくて仕方がない。
「……いや、似合ってる。すごく綺麗だ」
「っ……! ありがとうございます……」
俺の言葉に、瀬那は花がほころぶような笑顔を見せた。
「どんなものが良いかわからなかったので、愛莉さんにも手伝ってもらったのです。あ、もちろん、朔也くんと旅行する話はしていませんよ。友達とプールに行くって言っています」
「……あいつが関わっているのか。センスは良さそうだけど、大変だったんじゃないか?」
「……着せ替え人形にされました」
思い出したのか、少しげんなりしている。が、ふと俺の顔をマジマジと見つめて、パチパチと瞬きをする。
「あれ? 朔也くん、眼鏡じゃないんですね。ピアスもスタッドに変えています」
「あぁ。海に行く予定だったから、使い捨てのコンタクトを用意したんだ。眼鏡を落とすリスクもあるし、泳ぎづらいしな。単純に危険な可能性もあるから、念のためだよ」
「……なんだか、いつもより雰囲気が違って……新鮮ですね」
今度は瀬那の方が、俺からスッと目を逸らして頬を朱に染めた。
お互いに視線を合わせられないまま、妙な沈黙が落ちる。
だが、このままだと時間が勿体無い。俺は意を決して、瀬那の方を向く。改めて見ると、本当に目に毒だ。決して下着ではないのはわかっているが、隠す面積はそう変わらない。ネグリジェの姿は何度か見ているとはいえ、明るいところでちゃんと見たことはなく、俺の男の本能が訴えかけてくるのがよくわかる。
(ダメだ! 瀬那をそんな目で見たら、終わる)
俺は何度か深呼吸をして理性を保ち、瀬那に問いかけた。とにかく、俺の気持ちを落ち着かせることが先決だ。
「……瀬那、ラッシュガードや薄いカーディガンみたいのはないのか?」
「あっ! し、失念していました……」
「Oh!」
せめてもの願いが打ち砕かれた……。無駄に英語でリアクションを取ってしまったじゃないか。肌の面積さえ少なくなれば少しは落ち着けるはずだったんだが……あっ!
「嫌じゃなければ、これを使ってくれ」
俺は自分が今着ている男物のラッシュガードを、その場でバサリと脱いだ。
「きゃっ!」
いきなり脱いだ拍子に瀬那が驚いて顔を赤くしたが……どうした?
「い、いきなり脱がないでください! ……お借りして良いんですか?」
「構わない。なんて言うか……多分そのままだと、人目を引くから……。瀬那の肌は陽に弱そうだし、着ていた方がいい」
俺のサイズに合わせていることに加え、肌にぴっちり張り付くタイプのものではないので、瀬那でも余裕を持って着られるはずだ。……何が余裕とは言わないが。
「それに、俺はシャツを着て行くから大丈夫だからっ」
なんとなく恥ずかしくなって、最後は無理やりラッシュガードを押し付けた。
瀬那はしばしラッシュガードと俺を交互に見てから着た。
「ありがとうございます♪……どうですか、似合いますか?」
瀬那は腕を広げて全身を見せる。大きいのは予想通りで、きつくなく着られているようだ。……待て、ラッシュガードを着たら着たで、若干……いや、これはこれでやばい。
俺のサイズだから袖は完全に余って『萌え袖』状態になっているし、ダボッとしたシルエットの中で、動くたびに身体のラインが不規則に浮き出る。胸部の主張が思ったより強い。なにより、ついさっきまで俺が着ていたものを、瀬那が直に羽織っているという事実が、先ほどとは別のベクトルで俺の理性を削ってくる。
「……」
「ど、どうしましたか?」
「いや別に……サイズが大きいのは当たり前だが、大丈夫そうだな。よし、行こうか!」
「えっ? あ、はい!」
俺は寝室にかけてあったシャツを着て、そのまま部屋を出るのだった。
危ない、危ない。
◇
フロントにルームキーを預けて、ホテル内のプールへと向かう。施設内にあるプールなので、行き来も楽だ。
プール用の玄関から出て、ホテルの建物から屋外のプールエリアに足を踏み入れた瞬間、夏の眩しい日差しと心地よい潮風が全身を包み込んだ。
曲線を描くようにおしゃれな形にデザインされた広大なプールの周囲には、色鮮やかな南国の花々が咲き乱れている。
太陽の光を反射してきらめく水面の周りには、真っ白なパラソルと木製のデッキチェアが等間隔に並んでいる。風に揺れる青々とした木々の葉擦れと、遠くから聞こえる穏やかな波の音が、上質なリゾートのBGMになっていた。
「……すごいな。本当に海外のリゾート地みたいだ」
「はい! すごい! すごい!」
珍しく……今日はそうでもないが、瀬那が歳相応のはしゃぎっぷりを発揮していた。これはこれで来た甲斐があったと思えるな。
プールサイドには冷たいドリンクを提供する小さなバーカウンターまで併設されており、ここがただの宿泊施設ではなく、非日常を味わうための特別な空間だということを嫌でも実感させられる。
海に行っている客が多いのか、プールはそこまで混んでいなかった。
俺たちは二つ並んで空いているデッキチェアを探し、荷物を置く。パラソルが良い感じに陰になっていて、そのままチェアで眠ることができそうだ。俺はシャツを脱いでその辺に置いた。
「……(じー)」
「……なんだよ。そんなにジロジロ見て、変態か」
「なっ! 変態って、もう! ……朔也くんも一緒にトレーニングしていましたが、どこまで鍛えているのか知らなかったので、なんか新鮮で……つい」
マンション内にあるトレーニング施設は、ストーカー問題関係なく今も使用している。たまに外をジョギングすることはあっても、施設内の方が機械が充実しているので使用しやすいのだ。
俺も付き合ってトレーニングしたり、たまに一人でも行っているので、体はそれなりに出来上がっているはずだ。
「そこまで見せちゃいけないような鍛え方はしていないつもりだけど……大丈夫だよな?」
「はい! むしろ……良いと思います! 健康的な感じでなんて言うのでしょうか……細マッチョ? ですかね。……少し触ってもいいですか? 良いですよね? ありがとうございます」
「まだ、何も言っていないんだが……。お前、俺の体触るってことは自分も触られることを覚悟しているんだよな?」
俺の返しは予想外だったのだろう。瀬那は目を丸くして口を開けて呆けていた。と、思ったら、頬に手を当てて小首をかしげて何かを考えている。
……逆にこの沈黙が怖いのだけど。
「では、触ってもらいましょう! せっかくなので日焼け止めを塗ってください。背中はさすがに塗れませんから」
「お前……また、ベタなことを言って……誰からかの入れ知恵だろそれ」
「愛莉さんです。『男子とプールや海に一緒に行ったら、日焼け止めを塗ってもらわないとね♪ 必須だからね♪』っておっしゃっていました。必須だそうですよ?」
断じて必須ではない。いや、日焼け止めは必須の類だけど、塗ってもらうのは違う。それも異性に塗ってもらうのはもっと違う。
だが、現実問題、俺は良いが瀬那の背中が無駄に日焼けするのはだめだろう。
ここまで来たら腹をくくるしかない。
「はぁ……、ここまで来たらやってやるよ。お前の背中を守るためにな。覚悟しろよ?」
「な、なにか怖いのですが……。お、お願いします」
チェアにうつぶせになった瀬那の横に立ち、日焼け止めを手のひらに落とした。
ひんやりした状態から、手で馴染ませて伸ばす。それを瀬那の背中に――。
「塗り始めるぞ」
「はい、……あっ」
冷たいところがあったのか、背中に感触が走った瞬間、瀬那は小さく身をよじり、ギュッと目を瞑った。
手のひら越しに伝わってくる、絹のように滑らかで温かい肌の感触。指先が震えそうになるのを、俺は必死に押し殺した。
やがて、日焼け止めを伸ばす俺の指先の動きに合わせて、彼女は肩越しにこちらを振り返る。
「朔也くん……くすぐったいです。それに……」
潤みを帯びた瞳が、熱っぽい視線で俺を射抜く。
「そんなに丁寧に触られたら……私、変な声が出ちゃいそうです」
困ったように眉を下げて微笑むその顔は、普段の優等生な彼女からは想像もつかないほど、無防備で艶やかだった。そんな顔を見た俺は、つい出来心で――。
ガスッ!
――瀬那の頭にチョップをした。
「いた!」
「アホ! なに言ってやがる!」
バカップルぽいことをしているなと思いつつ、付き合ってもいないのに本当にこんなことして良いのか……。俺もそろそろ覚悟を決めないといけないな。ただ、楽しい時間なのは本当だ。だから壊れないことを祈るばかりだ。




