第81話 いざ、金沢へ
七月の終わり。俺たちは北陸新幹線に揺られながら、金沢へと向かっている。
隣に座る瀬那は、今朝はいつもより早く起きたせいか、俺の肩に頭を預けてすやすやと寝息を立てていた。乗車した直後こそ初めて乗る新幹線に子供のようにはしゃぎ、流れる景色に目を輝かせていたが、今はその面影もない。
なぜ俺たちが揃って新幹線に乗っているのか。その理由は、一ヶ月ほど前の六月末まで遡る。
◇◇◇◇◇
― 六月末 ―
「しまった……すっかり忘れてた」
棚の奥から出てきた"それ"を見て、思わず呻き声が漏れる。
手元にある株主優待券の有効期限が、もう目前に迫っていたのだ。プリペイドカードや商品券の類なら、期限を気にせずプールしておける。
だが、こいつはそうはいかない。明確な使用期限が印字されている。もう少し早く存在を思い出していれば誰かに譲ることもできたが、こんなギリギリのタイミングで押し付けられても困るような代物だろう……。
(うーん、せっかくだから、瀬那が嫌じゃなかったら使ってみるか)
俺はそれを持ったまま、瀬那の部屋の前に移動する。一度だけ深呼吸。
コンコンコン
「瀬那ー、話があるんだけど、時間ある?」
「はい、大丈夫です。少しお待ちください」
ゴソゴソと中で音がしているが、何をしているかまではわからない。数十秒かからずドアが開いた。
「お待たせしました。先ほど声が聞こえましたが、何かありましたか?」
「何かはあったけど、心配するようなことではないから安心して。ちょっと座って話そうか」
向かい合ってダイニングテーブルに座り、俺は持ってきた『株主優待』の紙をテーブルに置いた。
「これなんだけど」
「なんですかこれ? ……あぁ株主優待ですか、今月も幾つか届いてましたよね。これがどうかしましたか?」
「これとこれさ、有効期限がもうすぐなんだよ。せっかくだから使わないかと思ってさ。もちろん瀬那が嫌じゃなかったらの話だけど……」
これでも結構勇気を振り絞って提案している。内容が内容だけに、断られる可能性が高いからだ。「ちょっとそこまで買い物をしよう」ぐらいのノリでは無い。
「ホテルと新幹線のものみたいですね。……えっ?」
声に出して読み上げた直後、瀬那の動きがピタリと止まった。『ホテル』と『新幹線』。それが意味することに思い至ったのだろう。みるみるうちに彼女の耳朶が赤く染まっていく。
「もう夏休みだしさ……。もし、嫌じゃなかったら使うの手伝ってくれないか?」
俺の言葉が意味するところに気づいたのか、瀬那は目を丸くして固まった。
「……本気で言っていますか?」
「……冗談じゃそんなこと言えねーよ」
流石に恥ずかしくて顔を背けてしまった。……反応が怖くてまともに見れない。
沈黙が訪れる。俺には数十分に感じられたが、実際には数十秒だろう。
「本当に、良いんですか? 高価なものだと思うのですが」
「え? ……あー、仕組みをよく知らないとそう捉えられるのか。うーん、配当金と違ってな、優待はサービスみたいなものなんだよ。使わなかったらゴミになるだけさ。人によっては質屋やフリマアプリで売ったりするけど、手間暇考えると大した利益にならないし、そもそも未成年だと売れない」
俺が実情を説明すると、瀬那は顎に手を当てて納得したように小さく頷いた。
「確かに売れないですね。大人にお願いしても……微妙ってことですか」
「そそ。手間賃出したら、ほぼ意味ないだろ。誰かにあげても良いんだけど、そんな相手もいないしな」
人によっては友達や親戚にあげたりするかもしれないが、両親にあげる気はしないし、浩紀たち高校生にあげても使いづらいだろ。大手チェーンのハンバーガー屋ならともかく。
「それなら、せっかくなので甘えさせてもらいます♪ 旅行なんて初めてですし!」
「そうなのか? 温泉とか行っているイメージだったわ」
なんとなく、本当になんとなくなんだが、温泉が好きそうなイメージがある。と言うか、温泉に入っていると絵になりそうな、そんな確信があった。
「どんなイメージなんですか。ひいおじいちゃんたちはお歳でしたからね、遠くに旅行するのは難しかったのです。それに、近くに温泉があったので、旅行までする必要がなくて」
「やっぱり、温泉に行ってるじゃねーか」
「入っていないとは言っていませんよ」
クスクスと、笑う瀬那。……一緒に行くのが嫌じゃなくて良かった。と、バレないように胸を撫で下ろす。
「どこに行くのか候補はあるのですか?」
「うーん、まだこれと言ってないかな。夏休みということだし、せっかくだから海か川かなってイメージなんだよね。ただ、山は虫が多そうだし、やっぱり海かな?」
俺の提案を聞いて、瀬那はなぜか悪戯っぽく口角を上げた。
「つまり、私の水着がみたい……と? もう! 朔也くんのエッチなんだから♪」
行くことが決まったからなのか、テンションが高い。もちろん暗いよりは遥かに良いので構わない。……そうか、海なら水着が必要になるのか。俺も持っていないので買わないといけなさそうだ。
「今週末にでも水着を買いに行ってきます。本当は朔也くんに選んでもらうっていうのもありなんですけどね……(チラッ)」
ニヤニヤ笑いながら、こちらをチラチラ見てくる瀬那。
「勘弁してくれ、さすがに恥ずかしいわ」
「ふふっ、そういうと思っていました。少し残念ですが、しょうがないですねー」
「お前な……。初めての旅行で付き添いが俺で嫌かもしれんが、よろしくな」
「もぅ! またそうやって自分を蔑む。嫌なわけないでしょ」
さっきまでニヤニヤしていたのに、すぐにプリプリ怒っている。忙しいものだな。
良いおもちゃを見つけたようで、その日はしばらくネタとしていじられたのは言うまでもない。
◇◇◇◇◇
――そして現在へと至る。
規則的な列車の揺れを感じながら、俺は肩に寄りかかる瀬那の小さな頭を見下ろした。
数日前、彼女はストーカー犯の今後の事情について知らされたばかりだった。
処遇について知らされたその夜、俺は瀬那に事の次第を伝えた。
ただ、南雲家が裏で動いていることだけは伏せ、犯人がなぜか早期退院することになった理由については「原因はわからないけれど、先生も抗議してくれているから」とだけ伝えた。もちろん、この説明は先生とも口裏を合わせている。
事情を聞いた瀬那は、やはり隠しきれないほどのショックを受けていた。あからさまに血の気が引いていく彼女を見るのは、本当に胸が痛む。彼女だけがこんな理不尽でつらい思いをしなければならないのが、どうしても赦せなかった。
今すぐできる対策だが、俺が登下校やバイトの送り迎えをすることは確定だ。それに加えて、浩紀や和人といった信用できる連中に事情を話し、犯人の写真を共有した。万が一、学校や家の周辺で見かけたらすぐに連絡をくれるよう頼んでおいたのだ。
浩紀や和人は、俺がどうしても動けない時は「代わりに迎えに行くから、絶対に連絡しろよ」と、それぞれ個別にメッセージをくれた。……あいつら、本当にお人好しだ。
株主優待券を消費するための、ただの偶然。
けれど結果的に、このタイミングで瀬那を日常から遠く連れ出せたのは、不幸中の幸いだった。
少しでも嫌な記憶から離れて、この旅行で彼女の沈んだ気分が晴れてくれればいいのだが。
俺は、右肩に押し付けられている彼女の柔らかい髪に少しだけ視線を落とすと、起こさないように気をつけながら、そっと姿勢を直した。
窓の向こうには、青々とした夏の空が広がっている。せっかくの初めての旅行だ、全力で楽しませてやろう。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
しばらくは金沢旅行編です。
予想以上に長くなってしまったのはご愛嬌です。
ナンバリングの話は徐々に温度上がっていくので(`・ω・´)b
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