第80話 ストーカー事件のやるせない事情
夏休みが始まったはいいが、俺は特に何かするわけでもなく、学校がないだけでいつも通りの生活をしていた。不規則な生活をしているとリズムが崩れて大変になるのは、よくわかっている。俺の性格上、治すのが大変なので余計に気を付けていた。
それは瀬那も同じらしく、学校がある日と同じ時間に起きて、夏休みの課題と勉強、軽い運動、それからバイトに勤しんでいた。
それに影響を受けて、俺も一緒にバイト以外のことをしているのだが、これはこれで、瀬那に毒されているのだろう。
そんな中、瀬那がバイトに行っている間に、俺は須藤法律事務所を訪れていた。
須藤先生に呼ばれたからなのだが、理由は聞いていない。
いつも通り受付の金子さんに挨拶すると、部屋に案内された。中には――槙野警視が座っていた。
(槙野警視がいるってことは、ストーカー関連か?)
「久しぶりね、東條くん。元気そうで何よりで良かったわ。……手の怪我は大丈夫?」
俺が入ると、彼女は立ち上がって出迎えてくれた。目線が一度左手に向かったので、やはり気になるのだろう。須藤先生にはメッセージで経過報告はしているが、彼女にはしていない。そもそも、その術が直接会うか警察署に電話するしかないから、やりたくない。
今の俺の左手は包帯ではなく、少し楽に着け外しできるように、スポーツ用の手首まであるサポーターを付けている。
「お久しぶりです、槙野警視。怪我は塞がっているので、残りは痕が薄くなるのを待つだけですね」
「それならよかったわ。今日来ていただいたのは、ストーカーの件で話があったからです。須藤先生が来たら話しますね」
「わかりました。……瀬那がいなくて良いのですか?」
「それも含めてね」
微妙に含みがある言い方をされたのが気になるが、先生が来ればすぐわかるのだろう。
「失礼します」
扉の方を向くと、そこには金子さん、そして朱門さんと秘書の五条さんがいた。
関係者がそろった感じが強いな。
二人とも先ほどと同じような挨拶をして、ソファに座る。五条さんだけ座らないが、「朱門様の後ろに立つのが私の定位置です」と、何かこだわりがあるみたいなので、それ以上は触れなかった。
少しして、須藤先生が部屋に入ってきた。
「申し訳ありません、所用で遅れました」
「それでは始めましょうか。今日集まっていただいたのは先日のストーカーの事件のことです。本来なら第一被害者である南雲瀬那さんもお呼びする必要があるのですが……」
槙野警視が話を始めたが、瀬那について話す際、須藤先生の方をちらっと見た。それを合図に、先生は言った。
「内容が少しデリケートになるため、私が独断で今回はお呼びしませんでした。後ほどどうするか相談しましょう」
先生がそう判断したのなら、それが適切なのだろう。デリケートか……あまりいい話では無さそうだ。
「そういうことですので、それではお話ししますね。まず――」
槙野警視の話を要約すると、こういうことだった。
ストーカー犯である『素十範』は、精神鑑定で心神喪失という診断が下り、不起訴処分となって身柄を釈放された。だが、自由になったわけではない。彼はそのまま医療観察法に基づき、鉄格子に囲まれた特殊な施設である、指定入院医療機関へと強制的に移送された。
ここまでは良い。心神喪失で刑期がないのは悔しいが、ヤツの行動を見るにその可能性は高いと覚悟していた。問題は、なぜかすぐに退院の予定があるところだ。本来なら、専門家が治ったと判断しないと出てこられない。それなのに入院してから一年どころか、一ヶ月ぐらいで退院するのはいくら何でもおかしい。それに――。
「奴の退院でショックを受ける可能性を考えて、瀬那を呼ばなかったのですね。それにしても疑問なのですが、精神鑑定って数日で終わるものですか?」
本来、精神鑑定は数ヶ月かけて行うものだと、以前何かで読んだことがある。
事件から今までまだ一ヶ月ぐらいなので、逮捕してすぐに鑑定が始まったとしても、早すぎる。
「……はい、そうです。これに関しては私も疑問だったのですが、理由がわかっていません。すみま――」
「どうせ上から圧力があったのでしょう。あの人たちがやりそうなことだわ」
俺の疑問に槙野警視が答えている最中に、吐き捨てるように答えたのは朱門さんだった。その顔は苦虫を嚙み潰したような、心底うんざりした表情をしていた。
「どういうことですか?」
「ごめんなさい。ちゃんと私の口からは言えないのだけど……南雲家が関わっているのは間違いないわ」
ここで『南雲家』が出てくるのはどうしてか。『瀬那』、『南雲家』、そして『ストーカー』。
――俺は思考の海へと潜る。
そんな俺を気にせず、大人たちは話を続けていた。
「何かご存じなのですね。教えていただけますか?」
当然の疑問を須藤先生がぶつける。……が。
「先ほどもお伝えしましたが、私の口からは言えないの。……私も悔しいのだけど」
「どういうことでしょうか?」
朱門さんが申し訳なさそうな顔をして、先生に伝えていた。先生もそれが見えているのだろうが、続けて問うていた。
(朱門さんが言えない……。立場として言えない……)
「人が殺されかけたのです。どんな手を使ってでも犯人を許してはいけない。あの男を追及するためには、どんな情報も欲しいのです。刑事ではもう法廷に呼ぶことはできませんが、民事で南雲さんから遠ざけないといけません」
「それは――」
珍しく、仕事中にクライアントの敬称を「さん」で呼ぶぐらいだ。先生も冷静ではないのだろう。
「申し訳ございません、須藤様。朱門様はこれ以上言う事ができないのです。軽率に須藤様や槙野様にお伝えしてしまうと、あなた方にも危険が及ぶ可能性があり、何が起こるかわからないのです」
「……相馬!」
朱門さんの後ろで、沈黙を保ったままだった五条さんが、朱門さんを遮るように突如話し出した。内容だけ聞くと、どんなドラマだよって言いたくなるような内容だ。ただ、『南雲家』を考えると、一概に冗談ではないかもしれない。
俺はこれを聞いて、一つの仮説ができた。瀬那の生い立ちを聞いた後なら簡単に予想できる仮説だ。
「……朱門さん、俺の予想を言いますので、答えられる範囲で良いので合っているか教えてください」
「……東條くん……わかったわ」
「ありがとうございます。予想でしかないのですが、瀬那がストーカー被害にあったのは偶然ではなく、南雲家……もっと言うと、瀬那の両親が計画したんじゃないですか?」
「……っ!」
朱門さんの表情が明らかに変わった。どうやら図星のようだ。嫌な予想って本当に当たるものだ。どうして実の娘である瀬那に、そこまでのことができるのか――理解できない。
「朔也くん、どういうことですか!?」
瀬那の抱えるデリケートな事情を、他人にどこまで話すべきか。俺は頭の中で素早く情報を整理し、慎重に言葉を選んだ。
「プライバシーのことを考えると、瀬那から聞いたことをそのままここで話すのはできないので……少し、ぼかした表現で言わせてもらいます」
須藤先生は了承したという意味で、頷いてくれた。
「以前、彼女が言っていた通り、瀬那と実の両親は仲が良くない。……いや、少しというか大分、過剰って感じです」
「過剰、ですか」
「はい。……どうやってそうしたのかはわかりませんが、ストーカー野郎が瀬那のことを好きになるように仕向けたのだと思います」
「……」
俺は朱門さんの方に向き直り、言葉を続ける。
「それも、単純に『あそこにお前好みの子がいる』などと唆した感じではなく……」
そこで一呼吸置き、俺は導き出してしまった最悪の仮説を口にする。
「薬物反応がなかったのだから、洗脳に近い技術を使ったのではないでしょうか」
その言葉を落とした瞬間、朱門さんに纏う空気がピリッと張り詰めたのがわかった。
「……」
彼女が何か言いたげな顔をしているが、とりあえずスルーして続ける。
「ここまでくると、心神喪失の鑑定自体が正しく行われたかどうかも怪しくなりますね。ただ、俺が対峙した時もまともな精神状態ではなかったように見えました。空想と言うか、映画や漫画のような話になってしまいますが、たぶんそういう技術が南雲家にはあるのではないでしょうか?」
「いやいや……さすがに飛躍しすぎではないかしら」
槙野警視の反応はごもっともだ。普通、こんなフィクションを信じるわけがない。だが――。
「俺も極端なことを言っているのはわかってます。ただ、朱門さんの反応からして、事件自体に南雲家が関わっているのは明白かと。そうなると、ただの通り魔ならともかく、ストーカー犯と南雲家をつなげようとするとこれぐらいしか思いつきません」
「……」
「通り魔や暴漢ではなく、ストーカー犯とした理由はわかりませんが……殺すことが目的ではなく、瀬那を追い詰めることが目的だった、ぐらいですかね。それだと、即時退院させたのも辻褄が合います。……反吐がでるけどな」
最後は吐き捨てるように俺は言う。ストーカーという恐怖を植え付けたことに成功したので、そのストーカーがまた自由になっている状態にする。……普通は夜道を歩くことさえ嫌になるはずだ。そうなると行動の制限が増えていき、病んでいく可能性が高い。
そこまで追い詰めたい理由がわからない。単に相続したお金が目的なのか……それとも、未だに昔話を信じているのかはわからない。直接手をくださないのは『呪い』がかかることを恐れてのことだとは思うが……どちらにしてもクソ過ぎる。
「……東條くんは探偵か何かかな? 実は有名な探偵の転生だったりする?」
呆れたように息を吐いて、朱門さんは肩をすくめた。彼女の例えが少しマニアックだったのは、俺の印象と大分違った。朱門さん……思ったより、そっち系の知識があるらしい。
「……先ほども言った通り、私の口からは詳しくは言えません。言えませんが……あなたは本当に高校生かしら?」
「ご存じでしょう。一応、普通の高校生をやっていますよ」
「『高校生』の意味を辞書で引いてみることをおすすめしますね、ふふっ」
少し前にも同じようなことを言われた気がする。それは置いておいて、どうやら俺の予想は、ある程度は合っているってことを言いたいのだと思う。実際に洗脳の技術があるかどうかはともかく、南雲家……瀬那の両親が裏で糸を引いているのがやるせない。
しばしの沈黙のあと、重い空気の中、槙野警視が口を開いた。
「現在の状況は、あらかた共有できたと思います。素十がどう動くかわかりませんが、南雲さんは再び警戒して生活する必要があります。……それと、彼女にそのまま伝えて良いか、保護者の方に確認を取りたく思いまして」
「……朱門さんが問題なければ、俺の方から話しておきますよ? この後も迎えに行きますから」
保護者の確認を取っても、瀬那はその保護者と話さない。なので、俺から言うしかないはずだ。俺の問いに、朱門さんは少し考える仕草をした後、口を開いた。
「いつもありがとう。そうね、そうしてくれるかしら。私から話すよりも、落ち着いて聞いてくれるでしょうし。一緒に住んでいるのですから、タイミングも――」
「え? 一緒に住んでる!?」
「あっ」
この中で、俺と瀬那が同居しているのを知らない人は、槙野警視だけ。だから油断したんだろうな……。後ろに立っている、いつも無表情の五条さんが、少しだけ呆れた顔をしたのを見逃さなかった。
「とりあえず、俺の方から言っておきますので」
「えぇ……お願いね」
槙野警視は須藤先生を見ているが、先生は何も言わない。もちろん俺も何も言わない。実質、保護者が許可しているので問題もないしな。
「ちなみに民事の方ですが、きっちり慰謝料は取れましたよ。近いうちに指定の口座へ振込があると思います」
さらりと言ってのけたその言葉に、俺は思わず目を見開いた。
「えっ……心神喪失なのに、取れたのですか?」
「えぇ。『責任無能力者の監督義務者等の責任』という法的な枠組みがありましてね」
須藤先生は、口元に余裕のある笑みを浮かべた。
「本来、成人の場合は適用が難しいのですが……壁一面の盗撮写真と違法な刃物の所持。あの異常な部屋の状態を、同居していた親が知らないはずがありません。親の監督責任を追及するには十分すぎる状況でしたからね。これ以上法廷で事実を掘り返され、世間体を失うことを恐れて、あっさりと全額支払いに応じましたよ」
「さすが、先生、ありがとうございます!」
「いいえ、それが仕事ですから」
正直、金額なんてどうでもいい。それよりも、刑事責任を問えず、すぐに退院してくるという理不尽な状況の中で、せめて相手方に少しでも『法的なダメージと責任』を背負わせることができたのなら……それだけでも、幾分かマシだと思えた。
ただ、これ以上瀬那に怖い思いはさせない。
そう、強く決意するのだった。
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