第72話 振り替え休日のデート④
昼食は事前に調べておいた、水族館から少し歩いたところにあるカフェに行く。せっかくの平日なので、休日だと混んで入ることができなさそうな店をピックアップしておいた。社会人のランチタイムと少し被っていたのが心配だったが、そこまで待たずに入ることができたので良しとしよう。
お互いにランチプレートを頼んだが、思った以上に美味しく、舌鼓を打った。それに片手が塞がっていても食べられるメニューがあって助かった。抜糸したとはいえ、包帯はまだつけているので両手では食べづらいのが本音。家なら犬食いになっても、事情を知っている瀬那だけなので問題はないが……ただでさえ家でも恥ずかしいのに、外食でそれをするのはもっとキツイ。
瀬那が席を立った隙にサッと会計を済ませておくと、戻ってきた彼女に案の定、不満げに頬を膨らまされてしまった。
「カフェでは私が払うって言いましたよね?」
「あれ、そうだっけ? まあ、これはランチだし、コーヒーを飲んだわけじゃないから気にすんな」
「カフェの語源なんか持ち出して……誤魔化してもダメです……もぅ」
女の子に奢られるのは俺のプライドが許さなかったので、カフェ=コーヒーを飲む場所という初期の定義で煙に巻くつもりだったが……よく知っていたな、そんなマイナー知識。令和の女子高生なのに、恐ろしい子!流石セナチー!
「……今、何か変なこと考えていませんか?」
「よくわかったな。……前もそんなことあった気がするけど、俺ってそんなに顔に出やすいか?」
俺が呆れて尋ねると、瀬那は頬に手を当てて「うーん」と思考を巡らせた。上から下へと、観察するように視線が動いているのがわかる。
「そんなことは無いと思いますが……なんとなく、カンですかね?」
「カンか……。それを出されちゃ、俺にはどうしようもないな」
「そういう事です。諦めてください♪」
「……左様ですか」
勝ったとばかりにクスクスと笑う瀬那に、俺は何も言い返せず一緒に店を出た。
カン、か。……侮れないんだよな、この子のそれは。
食事の後はウィンドウショッピングへと足を向けた。カフェの近くでもよかったのだが、ここまで来たら行ってみたいというので、若者文化と流行の発信地へ向かう。ごちゃごちゃしているイメージしかないが、瀬那にしては珍しいチョイスだと思った。
数分電車に揺られた後、出口から外へ出ると――
「……平日のお昼ですよ? なんでこんなに人がいるのですか……」
訂正。どうやら彼女にとっても予想外の混雑だったらしい。
「来たことはなかったけど、たぶんこんなもんじゃないかな。学生とか平日休みの人とかいっぱいいると思うぞ。どうする? もう少し離れた所に行こうか?」
「……うぅ。いえ、想定外でしたが、せっかくなので行きましょう。興味があったのは本当ですし」
俺たちはメインストリートを歩き始めた。入口付近から独特なお店がずらっと並んでいる。時間はいくらでもあるので、瀬那が気になったお店には片っ端から入って楽しんだ。
「す、すごいですね、この綿あめ……虹色です」
「確か流行ったよな、これ。食べたことないけど、買ってみるか?」
「少し興味ありますが……。食べきれる自信がないですね」
巨大な綿あめのお店で実演を見たり。
「このねこちゃん可愛いですね。ペロペロしています」
「……ブタがいる……だと……?」
ペットショップで可愛い動物を愛でたり。
「ふふっ……朔也くんの放つオーラには、こういうドクロのモチーフがぴったりじゃないですか?」
「……そこまでは厳つくないだろ」
シルバーアクセサリーのお店を回ったりした。
どこに行っても、彼女は楽しそうに笑っていたので、来た甲斐があったと思える。
先週はあんな嫌なことがあったんだ。本当なら外出だって怖くてもおかしくない。それを考えたら、こうやって今、彼女が笑えていることが……何より良かった。
幾つかのお店を回った後、ファンシーな店構えのぬいぐるみ専門店へと入った。女性客だらけの店内に男が一人でいるのは気が引けるので、俺はできる限り瀬那の背後に張り付く。
彼女は色々なぬいぐるみを取っては全体をぐるぐると回転させながら眺め、「うん、うん」と真剣な顔で吟味している。
(ぬいぐるみか……そう言えば)
脳裏に蘇ったのは、火事で天井が崩れ落ちた彼女の部屋だ。瓦礫の下敷きになっていた、煤だらけのぬいぐるみの痛ましい光景がフラッシュバックする。
――だから、あんなに真剣な顔で新しいぬいぐるみを見つめているのか。
ふと、彼女が二つのぬいぐるみを見比べて立ち止まった。どちらも三十センチほどのロップイヤーのウサギで、色は茶色と白。俺から見れば色違いの同種にしか見えないが、彼女はそれをぐるぐると回しながら、年齢相応……いや、もっと幼い子供のような純粋な瞳で見つめている。
「すげー悩んでるな。どのあたりが違うんだ?」
「色もそうですが、この辺りが違うんですよね。分かりますか?」
瀬那が指さしたのは、足の向きや耳の角度だった。正直、一ミリ程度の差にしか見えない。
「あ、う、うん。なんか、こう……シュッとしてるな?」
「……テキトーな事言わないでください」
不意に声のトーンが数段階落ちた。恐る恐る視線を落とせば、そこには見たこともない、職人のような目つきでこちらを睨む瀬那がいた。普段の彼女からは想像もつかない圧に、俺の背中に冷たいものが走る。
「す、すみません」
「わかればよろしいです」
満足げに頷き、彼女は再びウサギの鑑定作業に戻る。どうやら、ことウサギの可愛さに関して妥協は一切許されないらしい。
「やっぱりウサギが好きなんだな。何か理由があるのか?」
「えっ? 可愛いじゃないですか。それ以外に理由が必要ですか?」
心の底から不思議そうな顔で小首を傾げられ、俺はそれ以上の追及を諦めた。ウサギ愛の前に理屈など無用らしい。
「いえ、ございません。おっしゃる通りです」
「なんで敬語なのですか」
「なんとなく……」
俺がテキトーな感じで返すと、彼女は「もうっ」と言いながら、再び手元のウサギへと視線を戻した。どう見ても欲しそうだ。気にしているのはお金の問題か、数の問題か、はたまた場所の問題か。どれにしても気にする必要はないな。
「ほら、貸してみな」
「え? あ、はい、どうぞ?」
二匹のウサギのぬいぐるみを受け取った俺は、そのままレジへと向かう。瀬那は「えっ?」と唖然としていたが、少し経つと我に返ったのか、俺を追いかけてくる。
――だが、もう遅い。
「すみません、これお願いします。あと、プレゼント用の袋も」
「さ、朔也くん! ダメですよ」
「……えっと、よろしいのでしょうか?」
慌てる瀬那を見て困惑する店員に、俺は軽く片手を上げて「気にしないでください」と笑いかける。店員さんもすぐに空気を読んでくれたらしく、微笑みながらレジを打ってくれた。
「ふふっ、分かりました。プレゼント用の袋を追加して、お会計は――」
「ちょっと、朔也くん! 聞いていますか? 店員さんも――」
会計をしている横で瀬那が俺の袖を引っ張りながら文句を言っているが、スルーする。……だんだんと引っ張る力が強くなるのがわかるが、瀬那の方を見ないようにして受け流した。決済を終える頃には少し睨まれていたが、大丈夫だろう。
ぬいぐるみ二つが入った大きい袋を受け取ったあと、俺たちは店を出た。
「……それ、どうするつもりなのですか?」
「わかっているだろ? ほれ、やるよ」
「……受け取る理由がありません。朔也くんが購入されたのですから、朔也くんが使ったらいいのではないですか」
先ほど無視されたことに怒っているのか、少し頬が膨らんでいた。拗ねているのがよくわかる。
……理由ね。
「さっき店で、これずっと見てただろ。……今日はデート……一応、初デートになるのだし、その記念ってことで受け取ってくれないか? それに……このままだと、俺のベッドに二匹が並ぶことになるけど、いいのか?」
「……うさちゃん二匹に囲まれて寝ている朔也くん。……それはそれでありかもですね。可愛いと思いますよ」
「……いやいや、男子高校生がぬいぐるみに囲まれて寝てたら嫌だろ……」
「ふふっ♪」
やり返しなのか、俺が嫌だとわかっているくせに、瀬那はニヤニヤと笑みを浮かべていた。拗ねられるよりかはマシだけど、さすがにぬいぐるみと寝るのは嫌なんだが。
「……お世話になっているのに、さらに色々いただくのは、どうしたらいいか……」
「俺からしたら、気にし過ぎなんだけどな。それに俺の怪我のせいで家事もほとんどやってもらっているから、お互い様だ。そもそも、俺が瀬那にあげたいと思って買ったんだ。……本当に嫌ならいいけどさ」
「嫌なんてことは! ……ありません。……ありがとうございます」
瀬那は消え入るような声でお礼を言うと、ぬいぐるみが入った大きな袋を、まるで壊れ物でも扱うかのように両手でそっと受け取った。
嫌がられたらどうしようかと少し焦っていたが、その大事そうに抱える姿を見て、俺はホッと胸を撫で下ろす。ただ、その姿を見るとなんとなく気恥ずかしい気持ちだ。その照れを隠すかの如く、言葉を返す。
「渡しておいてなんだけど、かさばるだろうから俺が持って帰るよ」
「ふふっ、締まりませんね」
「そうだな」
せっかくプレゼントしたばかりの袋を、再び俺が受け取った。その時、瀬那はなにかを思いついたのか、ぱぁっと茶目っ気たっぷりに微笑んでこちらを見た。
「あ! そうです。うさちゃんの一匹は、朔也くんが持っていてください」
「……なんでだよ」
俺が顔を引きつらせると、瀬那は袋の中のウサギを指さして、楽しそうに言葉を続けた。
「お揃いみたいでいいじゃないですか。……それとも、私とお揃いは嫌だ……と?」
「……その言い方は卑怯だと思います」
少しだけ上目遣いで、わざとらしくションボリしてみせる彼女に、俺は白旗を揚げるしかなかった。してやったりと「ふふっ♪」と笑う瀬那に、俺は抗議の代わりに小さくため息をついてみせる。
帰り道、空いた彼女の手と俺の手が、いつの間にか自然と繋がれていたことに気づいたのは、電車に乗ってからのことだった。やっぱり照れくささはある。
……だけど、この温もりもまた悪くないなと、素直にそう思えた。
◇◇◇◇◇
Side:南雲 瀬那
夕飯の後。お風呂から上がり、お借りしている自分の部屋で今日の出来事を振り返ります。目の前には一匹のウサギのぬいぐるみ。
初デート。
誰が相手でも初めて出かけるならそういう、という意味ではありません。今まで交際経験もなければ、同年代の男の子と二人で遊びに出かけたことすらない私にとって、今日は正真正銘、人生で初めてのデートでした。
久しぶりの水族館は、ペンギンも可愛かったし、イルカショーも大迫力で。――本当に、夢みたいに楽しかった。
おまけに『初デートの記念』だなんて言って、ぬいぐるみまでいただいてしまいました。……本当にかわいい♪
実を言うと、お店で一目惚れして買おうか悩んでいたのは本当です。ただ、ただでさえお世話になっている身で、生活に必要のない私物をこれ以上増やしていいのか迷っていました。
私のそんな葛藤を知ってか知らずか、朔也くんはためらいもせずにレジへ持っていってしまったので、驚きを通り越して少し呆れてしまいます。
「……不器用な、かっこつけなのですから」
ただ、唯一許せないのは、今日のお会計をほとんど彼が払ってしまったこと。
せめてもの抵抗で「夕飯の買い出しは私に払わせてください」と譲りませんでしたが、その時でさえ彼はすごく不満そうな顔をしていました。私の身にもなってほしいものです。すべてにおいておんぶにだっこでは、申し訳なさで胸が苦しくなってしまいます。
私はプレゼントの袋に結ばれていたリボンをほどき、そっとぬいぐるみの耳に結び直してみました。
「うん、いっそう可愛くなりましたね。寝る時は一緒に、朔也くんの部屋に行きましょうね♪」
満足した私は、ふかふかのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめます。火事で何もかもを失ったあの日、もう二度とこんなふうに過ごせる夜は来ないと思っていました。
けれど今は、じんわりと胸の奥が温かくなっていくのを感じます。
――目を閉じれば、心に浮かぶのは彼の少し照れたような顔ばかりです。
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