第70話 振り替え休日のデート②
俺たちは予定通り、水族館へ行くことにした。昨日、どこか行きたいか尋ねたところ、水族館となったのだ。
話を訊くと、瀬那は小学校以来行っていないとのことだったので、行ってみたいらしい。せっかくなので、日帰りで行ける距離だが、少し遠くてショーが派手なところにした。久しぶりならインパクトが強い方が楽しめるのではないかと考えたからだ。もし騒がしくて受け付けなくても、水族館なら静かなところはあるはずだしな。ちなみに俺は、中学に社会科見学で行ったのが最後だったかな。
最寄り駅から一時間ぐらい電車に乗る予定だ。道中、瀬那は昔行った時のことを話してくれた。イワシの大群に驚いたことや、ウミガメが大きかったことなど、楽しかった思い出。ただ気になるのは、懐かしむその顔はどこか儚げだった。
乗り継ぎを一度行い、目的地近くの駅に着く。この駅は新幹線も止まるので駅構内は広いが、出口はわかりやすいので、魔境と呼ばれている駅よりは随分と楽だ。ただ、ラッシュアワーは過ぎたとはいえ、人が多い。はぐれそうな多さだったので、自然と瀬那と手を繋いでいた。バイトを迎えに行っている時はいつも繋いでいるが、それ以外の時間ではあまりない。
幸いだったのは、瀬那も嫌がっていないようで、むしろ人混みに流されないように、きゅっと俺の手を握り返してくれたことだ。その小さな手の温もりに、少し安心する。……同時に、心臓の奥が少しだけ跳ねた気がした。
少し歩くと、すぐに水族館に着く。事前に調べた時にも思ったが、海沿いならともかく、都心にショーができるほどの規模の水族館があるのには驚かされる。しかもほとんど室内にあるらしい。
中に入り、そのまま入場ゲートへと向かう。WEBですでにチケットは購入済みなので、瀬那の手を引き券売機を無視して通り過ぎようとした時、瀬那は「え?」と小さく声を漏らした。だが、すぐに状況を理解したようで、
「……いつの間に買ったのですか。チケット代は後で払いますね」
「いらんいらん。高校生割引もあるから大した料金ではないよ。それに、誘ったのは俺だしな」
「……お気持ちは嬉しいですが、そういうのは駄目です。お金のことはキッチリしましょう。私、そういうの気にするタイプなので」
瀬那は少しだけ眉を寄せて、譲らないという意思を見せてくる。本当にこういうところは律儀だ。
「なら、後で休憩にカフェに行くだろうから、その時に俺の分も払ってくれればいいさ。それでチャラってことで」
「もぅ……しょうがないですね、それで納得してあげます」
「ありがとう」
何故か俺がお礼を言うことになった。そんな疑問は置いておいて、俺たちは入場ゲートを通り中に入った。
一番派手なイルカショーはお昼前の時間なので、それまで他のイベントを見ながら回るつもりだ。あまりイベントに執着すると落ち着いて見て回れないので、気を付けないといけない。
このことはすでに瀬那と相談済みで、瀬那も同じ考えだった。メインのイルカショーとペンギンの競争だけは見たいと言っていたので、そこだけは時間に気を付けようと思う。
入り口へ入ると、まず最初に見えたのは水族館に関連するもので構成されたメリーゴーランドだ。……予想外過ぎて、笑ってしまった。
乗っているのは主に子供だ。それの付き添いなのだろう、乗り物の横に立っている保護者がいた。たまにカップルらしき男女がいるぐらいなので、俺たちも乗れなくはない。乗れなくは……ない。
「……瀬那、乗りたいのなら乗ってもいいぞ」
「もちろん、朔也くんも一緒に乗るのですよね?」
「……」
「……」
数秒間、お互いの顔を無言で見つめ合う。
そして、どちらからともなく吹き出した。
「ははっ」
「ふふっ」
現実問題、強面の俺がタツノオトシゴやイルカの上に座っていたら、傍にいる子供が泣くだろ。せっかくの良い思い出に水を差してもしょうがない。
「あっ!見てみてください! シャチもいますよ! ……朔也くんにピッタリですね」
「……どういうことだよ」
「だって、シャ、シャチって海の……海のギャ、ギャングって言うじゃないですか。くふっ」
必死に口元を押さえているが、その肩は小刻みに震えている。
「目の鋭さなら、さ、朔也くんも負けていない……ふふっ」
「……瀬那さん?」
何がおかしいのかわからないが、瀬那は心底楽しそうだ。それは良いことだが――少し面白くない。俺は無言のまま手を伸ばし、笑いを堪えるその柔らかい頬を両手で摘まんでやった。
「にゃ、にゃにするんですか」
「こうすれば、瀬那もあそこのフグみたいだな」
「ゔぅぅぅ……」
はっ!……なんだこれ、完全にバカップルみたいじゃないか。やり過ぎた。ふと視線を感じて横を向くと、ベビーカーを押した若いお母さんが、微笑ましいものを見るような生暖かい目でこちらを見ていた。恥ずかしい……。頼むから、そんな目で俺たちを見ないでくれ。
「……行くぞ、瀬那」
「え? は、はい。どうしましたか?」
「いいから」
俺は瀬那の手を引いて、メリーゴーランドの前から足早に移動するのだった。知人に見られていないことを祈るばかりだ。
◇
水族館と言えばクラゲだろという俺の偏見で、近くのクラゲコーナーへ入る。きらびやかなライトと、それに照らされるクラゲは幻想的だ。いくつもの水槽に、それぞれ何十匹と入っているようだが、自由気ままにゆらゆらと泳いでいる……どちらかと言うと、流されているのかもしれないが、そんなことはどうでも良い。
「キレイですねー。大きいのから小さいのまで、いろんな種類がいるのですね」
「本当だな。これがほとんど水分でできているってすごいよな。どうやって生きているのか、全く見当もつかない」
俺はふわりと漂うひょろ長いヤツを指差した。
「……こいつなんて、何でこんなに密集してて触手が絡まないのか、本気で疑問だわ」
「……ふふっ。朔也くんって、変なところ気にしますよね」
呆れたような響きとは裏腹に、彼女はくすくすと楽しそうに笑う。
「でも、らしいっちゃらしいですけどね」
俺としては気になってしまうのだから仕方ない。こう、ゆらゆらと流されていると……生きるのが楽なのか、つまらなくないのだろうか、と考えてしまうのだ。だけど、見ていて飽きない。
「見ていて、飼いたいとは思わないのですか?」
「うーん、思わないな。安易に生き物を飼うことができないんだよ。面倒を見きれるかどうかってより、申し訳ない気持ちになってしまう」
「……申し訳ない気持ちですか?」
「自由に生きているのに、俺が管理することになるだろ。それがかわいそうでな。見方を変えれば、自由がない反面、安全に暮らせる一面があるのもわかっているのだけど……まあ、要は命の重さに責任が取れないだけなのかもしれない」
ポロリとこぼした本音に、瀬那は目を丸くした。しまった、デートの会話にしては少し重すぎただろうか。
気まずくなって視線を逸らそうとしたが、俺の顔をまじまじと見つめていた瀬那は、やがてふわりと柔らかく微笑んだ。水槽の青白い光に照らされたその笑顔は、クラゲの展示よりもよっぽど目を奪われるほど綺麗だった。
「……朔也くんのそういうところ、すごく優しいと思います」
「『俺が優しい』は違うと思うけどな」
「優しいですよ、とっても。……仲良くなった相手限定の不器用な優しさ、かもしれませんけどね」
……瀬那がそう言うなら、そうなのかもしれない。だが、どうしても俺は自分を優しいとは思えない。客観的に見たらそう見えても、自分自身が許せない。
「……」
「どうかしましたか?」
急に黙り込んだ俺の顔を覗き込むように、瀬那が小首を傾げた。
「いや……。なんでもないよ。ほれ、次の水槽へ行こうぜ」
「えっ、あ、ちょっと……」
これ以上は余計なことを言いそうだ。瀬那がそう思うなら、とりあえずそれで良い。一応デートなんだから、空気を悪くしたくない。俺は少し強引に彼女の手を引き、その場から歩き出した。




