第64話 予想外の対面
俺がこの後のことを投げっぱなしにしているなんて、つゆほども考えていないのだろう。二人は俺に素直についてきた。この二人が驚く様を見るのが楽しみだ。
……断じて現実逃避ではない。
「ここが義兄さんが住んでるマンション?」
「すごく立派ですねー」
エントランスに入ると、居住エリアに続く自動ドアから、一人の男性と女の子が出てきた。恵麻ちゃんと……その手を繋いでいる男性。仲睦まじい様子からして、父親だろうか。
俺を見つけた恵麻ちゃんが、ぱぁっと笑顔を咲かせて俺の方に駆け寄ってきた。
「あー! おにーちゃん! こんにちは! これからパパと買い物行くの!」
「こんにちは、恵麻ちゃん。よかったね」
「うん!」
やっぱり父親か。それなら心配することでもないな。ただ、俺の姿が気になるのか、恵麻ちゃんのお父さんは訝しむ目で俺を見ていた。
「恵麻。このお兄さんは?」
「となりに住んでる、さくやおにーちゃん!」
「初めまして、館山さん。今年度から隣に引っ越してきた、東條朔也です。ここから少し歩いたところにある、黄隆学園に通っています。学生なので何かとお騒がせしてしまうこともあるかもしれませんが、これからよろしくお願いいたします」
恵麻ちゃんとその母親の恵美さんには会ったことはあるが、父親とは初対面なので、真面目に自己紹介をしておく。
「ああ、君が恵美が言っていた、恵麻が懐いているって言う東條くんか。館山義康です。こちらこそよろしく」
恵麻ちゃんが俺にそこまで懐いている自覚はないが、恵美さんが言っているならそうなんだろう。
「ねぇねぇ、おねーちゃんたちは、おにーちゃんの友達?」
俺と義康さんが挨拶していると、恵麻ちゃんが詩織たちに問いかけていた。詩織たちは恵麻ちゃんに笑顔を向けて挨拶をしている。
「初めまして、恵麻ちゃん。私はおにーちゃんの義妹の詩織です」
「初めまして。私は詩織ちゃんの友達の麻里だよ」
「ふーん、そうなんだ。……ねえねえ、じゃあ、なぐもおねーちゃんもともだち?」
――ビキッ。
俺の心臓が、嫌な音を立てて硬直した。
「……え?」
「なぐも、おねーちゃん……?」
急に出てきた見知らぬ女性の名前に、きょとんと首を傾げる二人。だが、詩織の目が『おや?』と微かに細められたのを俺は見逃さなかった。
マズい。俺はこれ以上の情報が漏洩する前に、慌てて間に割って入った。
「え、恵麻ちゃん! この二人は『なぐもおねーちゃん』とはまだ友達じゃないんだ。学校が違うからね!」
「ふーん、そうなんだー」
子供特有の移り気のおかげか、恵麻ちゃんはそれ以上追及してこなかった。助かった。マジで肝が冷えた。
「……妹さんには会ったことはなかったのか?」
「そうですね、俺は一人暮らしなので。詩織が家に来るのは初めてです」
「……一人暮らし?」
「実家から遠いので」
どの点に疑問を持っているのか気になるが、これ以上つつかれるとこちらが困ったことになるのは明白だ。ここは早々に退散することにしよう。
「では、俺たちは家に入りますので。……恵麻ちゃん、買い物楽しんできてね」
「うん! 行ってきます! 行くよ、パパ!」
「あ、あぁ」
「行ってらっしゃい」
恵麻ちゃんは義康さんの手を引っ張ってエントランスを後にした。義康さんはまだ困惑しているようだが、そんなことは知らない。
ファミリー向けの広い部屋に学生が一人暮らしなのが気になったのか、それとも瀬那が出入りしていることに気づかれているのか……前者なら問題ないが、後者は面倒なことになる。
「義兄さん。『なぐもおねーちゃん』って……だれ?」
……しまった。こっちの追求を忘れていた。
何故かジト目で、じわじわと距離を詰めながら俺を見上げてくる詩織に冷や汗が流れる。横の麻里ちゃんは麻里ちゃんで、『お兄さん、もしかして彼女さんですか!?』と言わんばかりに目をキラキラさせていた。
……何か誤解しているような……いや、瀬那が部屋にいる現状を考えると、誤解なのかどうかも微妙なラインか?
「あー……友達だよ、ただの友達! ほら、さっさと行くぞ!」
「あ! ちょっと義兄さん、誤魔化したでしょ!」
俺は背中に刺さる詩織の抗議の声を黙殺して、足早にエレベーターホールへと向かうのだった。どうせ数分後にはわかることだ、今はこれ以上喋りたくない。
……部屋の扉を開けた時、この二人がどんな顔をするのか。今はそれが何よりも楽しみで、恐ろしかった。
◇
エレベーター内で詩織に『どういうこと?』と無言で袖を引っ張られているのを無視して、六階まで上がり部屋の前に着いた。
今更ながら、少し緊張してきてしまった。
「どうしたの義兄さん」
「……少し考え事をな。ちなみにここが俺の家で、隣のこっちがさっきの館山さんの家な。……さて、入るか」
意を決して、鍵を回してドアを開けた。
「あれ?」
玄関には俺の通学用の靴以外に、瀬那のローファーと普段履き用の靴が並べて置いてある。見るからに女性用のそれを見た詩織は疑問の声を上げるが、俺はそれに触れず、そのまま玄関に入って靴を脱いだ。そしてリビングの方へと声をかける。
「ただいまー」
「はーい、おかえりなさい。……それと、いらっしゃいませ」
パタパタとスリッパの足音を立ててリビングから顔を出したのは、エプロン姿の瀬那だった。
「「えぇっ!?」」
習慣とは恐ろしいもので、反射的に「おじゃましまーす」と口を開きかけていた詩織と麻里ちゃんの声が、見事に裏返った。
一人暮らしのはずの義兄の家から「おかえりなさい」と女性の声が聞こえた衝撃。さらに、出迎えてくれたその人物が、つい数十分前に『ビスクドールみたい!』と大絶賛していた亜麻色の髪の美少女だったというダブルパンチ。
完全にキャパシティを超えたのだろう。二人とも目を見開いて、まるでフリーズしたゲーム画面のように固まっている。
……二人のその見事な硬直っぷりを見たら、道中で必死に言い訳を考えていた俺の苦悩が、なんとなく報われた気がした。
「……あれ? 見学会の時のお二人ですね。もしかして、この方が詩織さんと麻里さんですか、朔也くん?」
「そうだよ。やっぱり気づいていなかったか」
「わかりませんよ……。そもそもお名前以外、容姿のことさえ何も聞いていないのですから」
「そうだっけか。……どうした二人とも。入れよ」
振り返ると、未だに玄関で唖然としている二人がいたので、中に入るように促す。
ハッと我に返った詩織と、俺の目が合う。
「お、お邪魔します……って、義兄さんどういうこと!? 何でさっきの美人さんが、当然みたいな顔して義兄さんの家にいるの!?」
「……(コクコクコクッ!)」
詩織の悲鳴のようなツッコミに、隣の麻里ちゃんが首がちぎれそうな勢いで縦に振って同意している。
「まあ、とりあえずいいから。立ち話もなんだし、リビングで座ってから話をしようか」
俺はこれ以上ないくらい平静を装って、二人をリビングへと促した。
◇
リビングのローテーブルを囲んで四人で座る。ソファに二人を座らせ、俺は向かい側に椅子を二つ用意して座った。一応、お客様としてソファを譲った形だ。瀬那はお茶の準備をして「どうぞ」と二人の前にカップを置き、俺の横の椅子に腰を掛けた。
「じゃあ、とりあえず自己紹介をしておくか。瀬那、はいどうぞ」
「なんとも大雑把な振り方ですね……。改めて、初めまして、南雲瀬那です。朔也くんとは……同級生で、同じ図書委員をしています。ちょっとしたことがあって朔也くんに助けてもらったご縁で、今日はお二人にお会いすることになりました。よろしくお願いしますね」
事前に打ち合わせはしていなかったが、流石に俺の家族の前では『恋人設定』は自重してくれたようだ。ここで『朔也くんの彼女です♡』なんて言われたら、俺は今度こそ頭を抱えてうずくまることになっていただろう。
「……」
「ほれ、詩織。二人とも名前は知っているけど、一応自己紹介してくれ」
「え、えぇ。……東條詩織です。そこの義兄さんの義妹です。今日は両親に頼まれて、義兄さんがちゃんと生活できているかチェックにきました。こちらこそ、よろしくお願いします」
「はい、私は浅田麻里です。詩織ちゃんの幼馴染で、お兄さん……朔也さんとは一度だけ会っています。今日は詩織ちゃんについてきました。よろしくお願いします」
少しぎこちないが、三人の自己紹介が終わったのでこれでひと段落だ。
もう思い残すことはない。
「さて、じゃあそういう事だから。勉強でわからないことがあるんだっけ?」
「うん、そうだけど……って、違うよね! 何でここに南雲さんがいるのか、本当の理由を教えてよ!?」
「……(コクコク)」
「説明……いるか?」
「当たり前でしょ!」
「朔也くん……流石に必要だと思いますよ。それと、お二人とも私のことは瀬那と呼んでください。それで、できれば私も詩織さんと麻里さんと呼ばせてくれませんか? 東條さんだと、朔也くんと混ざってしまうので」
「それは良いですけど……義兄さん、説明してください」
うーん、ダメだったか。面倒だから『同級生』ってことで納得してほしかったのだけどな。瀬那からも、無言で『ちゃんと説明してください』と圧力がかかっている。瀬那としても、自分がどういうポジションでこの場にいるべきか、わからないのかもしれない。
「とは言っても、特別なことなんてないからな。さっき瀬那が言った通り、同じ図書委員で当番の日が同じなんだよ。それで雑談している時に、義妹が見学会にくるって話になって、『それならお会いしたい』って流れになってな。それで詩織がうちに来ることになったから、学校で会うよりも目立たないだろうってことで、我が家で合流することにしたんだ」
「そういう事なのですね……付き合ってはいないの?」
「付き合ってはいないな。俺なんかじゃ瀬那にはもったいないだろ」
「はぁ……」と、呆れたようなため息が横から聞こえた気がしたが、スルーする。このやり取り、浩紀たちともしたような気がするな。その光景を訝しむように見ている正面の二人も、とりあえず置いておく。ここで下手に触れたら駄目な気がしたからだ。
「朔也くんが言う通り、詩織さんにお会いしたかったのは本当ですよ。……私を庇って彼の左手に大怪我をさせてしまったのですから。一度、ご家族にちゃんと謝りたくて……」
「おい、待て瀬那!」
俺の制止も虚しく、瀬那は深々と頭を下げた。
確かに口止めはしていなかった。していなかったが……まさか、当の家族である詩織の前でその件を真っ向から暴露するとは思わなかった。
「……どういうこと、義兄さん」
低く、震える声だった。
顔を上げると、詩織が俯いたまま、強く拳を握りしめているのが見えた。
「いや、そのな。ちょっと色々あってだな」
「……さっきは、軽く捻っただけだって言ったのに?」
「いや、それは……お前たちを無駄に心配させると思って……」
ただの打撲ならともかく、『通り魔に刃物で刺された』なんて事実、中学生の義妹に言えるわけがない。俺は慌てて取り繕おうとしたが、ふいに顔を上げた詩織の表情を見て、言葉を失った。
「っ……詩織!?」
――彼女の大きな瞳から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちていた。
声を荒げるわけでもなく、ただ静かに、ひどく悲痛な顔で零れ落ちる涙。俺はてっきり「嘘をつくな」と怒られるものだとばかり思っていたのに。
ただ怪我を隠していただけだ。それなのに、どうしてそんなに傷ついたように泣くんだ。 想定外すぎる彼女の涙を前にして、俺は次にかけるべき言葉を完全に見失ってしまった。
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