第54話 ヒロインを助けたら、なぜかヤバい奴認定されました
瀬那から南雲家の過去や家族のこと、そして特異体質の話を訊いた次の日の朝。俺たちはいつも通りに朝を迎えた。
「おはようございます、朔也くん」
先に起きた瀬那は、昨日の陰りが嘘のようにスッキリした顔で、寝室から出てきた俺を出迎えてくれた。少しでも、彼女が抱えていた悩みが解決したのなら良いのだけどな。
彼女が涙ながらに語った事実は、確かに驚きはしたが、俺にとっては決して畏怖の対象にはならない。たかが、感情で目の色が変わるだけなのだから。
ただ、俺の不器用な言い回しが悪くて、結果的に彼女をボロボロと泣かせてしまったことだけは、大いに反省すべき点だな。
今朝もいつものように、瀬那は俺の分のお弁当を作ってくれたのだが、どうしてか渡してくれなかった。
「……えっ。もしかして『昨日、意地悪して泣かせたから、今日はお弁当没収!』ってことか?」
「違いますよ! わざわざ目の前で美味しそうなおかずを見せびらかしておいて、『朔也くんにはあげません!』って言うような、底意地の悪い女の子に見えますか?」
コンタクトレンズを入れて、今は黒に近い琥珀色に変わった瞳で睨んできた。いつもの小言を言う時の、可愛いジト目だ。
「ごめんごめん、冗談だって」
「もうっ! よく考えてください。朔也くんがその包帯ぐるぐる巻きの左手で、器用にお弁当を作ってきていたら、流石に周りから見て不自然でしょ? だから家でこっそり渡すより、学校で私がお礼として代わりに作ってきた体にした方が、絶対に自然ではないでしょうか? 少なくとも、前川さんや森田さんは納得してくれると思いますよ」
「あー、確かに……一理あるな」
「なので、今日のお昼ご飯は私と一緒に食べますからね。決定です」
「……は?」
「では、遅刻しないうちに行きましょうか」
彼女はお弁当の包みをカバンにしまい、そのままご機嫌な足取りでスタスタと玄関を出て行った。
……いや待て。一緒にお昼ご飯を食べるのも、一緒に登校するのと同じくらい学校で悪目立ちするんじゃないか?
先に出た瀬那を慌てて追いかけてその疑問をぶつけるが、彼女は「聞こえませーん」とばかりに楽しそうにスルーをして、答えることはなかった。
登校後。
俺がずっと危惧していた「ストーカー騒動が、学校に漏れていないか」という心配だが、……どうやら最悪の形で当たってしまったらしい。昨日よりさらに、廊下を歩く生徒たちから遠巻きに見られている気がするのだ。
「ほら、あいつだよな……」や「やっぱり、マジでそういうヤバい奴だったんだな」と、ひどくヒソヒソと喋っているのがわかる。俺がそちらを向くと、蜘蛛の子を散らすようにパッと目を背けるので、俺のことで何か良からぬ噂をしているのは確定だ。
ただ単に、事件の話が漏れているだけならまだ良い。だが、どうもそんな生易しい感じがしないのだ。
事実だけなら『ストーカーのナイフから、身を呈して同級生の女の子を守った』というヒロイックな美談になるはずだ。どちらかと言えば称賛されることはあっても、ここまで露骨にヤバい奴認定されて避けられるのは明らかにおかしい。……まあ、俺としては目立つのも称賛されるのも、どちらもひどく面倒くさくて嫌なんだけどね。
教室に着いてもその刺さるような好奇と嫌悪の視線は変わらず、浩紀や和人がまだ来ていないので、事情を尋ねることもできない。とりあえず自分の席に座り、朝の準備をして待つこと数分。
やがて浩紀が登校してきたが、彼に聞いてもまた「え? 何かあったの?」と、この不穏な空気の原因を全く知らないようだった。
……俺がこの厄介な噂の原因を知るのは、次の休み時間のことだった。
◇◇◇◇◇
Side : 南雲 瀬那
今、私は猛烈に憤慨しています!
昨夜、私がずっと抱えていた秘密を朔也くんに優しく受け入れてもらえて、今朝は最高に清々しい気持ちでお弁当を作ってきたというのに……。登校してみると、その幸せな気分を泥足で穢すが如く、ひどく理不尽な内容の噂を投げかけられました。
「南雲さん、大丈夫だったの!? あの東條に無理やり襲われたって訊いたけど!?」
「やっぱりあいつはマジで危ないやつだったんだな! 図書委員会の当番も、あいつと二人きりにならないように考えないと!」
最初は全く意味がわかりませんでした。朔也くんが私を襲ったなんて……。べ、別に、朔也くんになら襲われたって全く問……こほん。とにかく、そんな野蛮な事実、天地がひっくり返ってもあり得るはずがないのに、です。
詳しく話を聞くと、私が膝を怪我したのと、彼が左手を怪我したのが同時期だったこと。それに加え、放課後に一緒に先生から呼び出されたことで、一部の生徒からそういう無責任な憶測が生まれたらしいのです。
どうやら彼らの中では、『私の怪我は彼に追いかけられて逃げた時に転んでできたもので、彼の怪我は私が必死に抵抗した時に負わせたもの。その隙になんとか逃げることができた』という、まるで三流サスペンスドラマのようなメチャクチャな作り話になっているようでした。
ただ、少し冷静になって普通に考えれば、もし本当にそういう事件があったとしたら、被害者と加害者が一緒に呼び出されること自体おかしいと思わないのでしょうか。被害者からしたら、トラウマの加害者になんて顔も合わせたくないはずです。
そもそも、学校側がそこまで問題視している時点で警察が動いている可能性が高いでしょうし、その場合、彼が今朝ものうのうと登校しているのはどう考えてもおかしいでしょう。
「全くの誤解です。私は東條さんに何もされていませんよ。むしろ、私が危ない時に身を呈して助けてもらって、彼に大怪我をさせてしまったのです」
「いやいや、無理して怖い人を庇って隠さなくてもいいよ! 私たちみんな、南雲さんの味方だから!」
「うんうん、一人で抱え込まないで!」
皆さん、悲劇のヒロインを慰めたいのか、私の言葉を全く信じてくれません。
心配してくれている善意なのはわかりますが……。恩人である朔也くんが、こんな理不尽な悪者扱いをされるのは絶対に間違っています。あんな大怪我までさせてしまったのに。
「随分と不満が顔に出てるよ。優等生の南雲らしくないね」
「東條くんの件ですが、誤解なんでしょ?」
周りのクラスメイトたちが少し落ち着いて席に戻り始めたころ、木内さんと金森さんが私の机にやって来ました。お二人は他の方と違って、朔也くんが私を襲ったなどとは思っていないみたいです。
「お二人は、あの噂を信じないのですね」
「だって、南雲がさっきから必死に否定しているからね。それにあいつは、女の子を無理やりどうこうするようなタイプじゃないでしょ」
「私もそう思いますよ。南雲さんが彼を庇って、わざわざそんな嘘をつくとは思えませんし」
「そうそう。こないだの土曜日のこと考えると、むしろ東條は南雲に尻に敷かれて振り回されるタイプだよね」
「ちょっと焔ちゃん!」
「ふふっ」
不敵に笑いながら核心を突いてくる金森さんを、木内さんが「もう!」と言いながら慌てて止めていました。
今の私には、私の言うことだけでなく、朔也くんの本当の姿を信じてくれる存在が本当にありがたかったです。
朔也くんが私に振り回されるタイプ……大いにあり得そうですね。
呆れた顔で文句を言いながらも、結局は私の言うことを聞いてくれる彼の姿が容易に想像できてしまって、不謹慎にも「くすっ」と笑ってしまいました。
まあ、それは置いておいて。私の言うことを信じてくれる方がクラスにいて、本当に良かったです。
……朔也くんの方は大丈夫でしょうか? ひどく心配です。
◇◇◇◇◇
Side : 東條 朔也
「お前、余裕だな」
「……なにが?」
一時間目が終わった後、俺の変な噂が流れていることを知った愛莉が、わざわざ教室まで来て教えてくれた。しかし、噂の内容を聞いた俺は特に焦ってはいなかった。
「今の噂のことだよ。全く焦っていないからさ」
「焦る事でもないだろ、嘘なんだし。他の誰かならともかく、相手が南雲だろ。確実に否定してくれているはずだから、これ以上大きな問題になるわけないさ」
「そういうものなのかな」
「そんなものだ」
昨日きっちり事実確認があったので無いとは思うが、仮にこの件で先生から再度呼び出されたとしても、俺の事実無根は明白。瀬那が俺を裏切って嘘をつくとは思えないので、問題になるはずがない。ただの噂で終わるはずだ。
「あ、そうだ、愛莉。悪いけど今日の昼食、一緒に取ってくれないか」
「……え!? お昼のお誘い? えー! 私に惚れてるってことー?」
「ちょっと朔也……。俺の彼女をナンパしないでくれない?」
愛莉がわざとらしく驚き、思ってもいないだろうことをニヤニヤしながら返答した。それに乗っかって、浩紀も作った顔で驚愕している。……彼氏の目の前でその彼女をナンパする奴ってどうなんだよ。
「……ナンパって。この件もあって南雲も一緒に食べる予定なんだけど、俺たちの中に女子が南雲一人だけってのもな、と思って誘ったんだよ」
「あぁ、そういうことね! オッケー!」
瀬那にはまだ愛莉を呼ぶと連絡をしていないが、愛莉なら問題ないだろう。この厄介な噂のこともあるし、堂々と一緒に食べるのは、噂が嘘だと周りにアピールして伝えるのにも良いはずだ。
たまたまとは言え、今朝の瀬那の強引な思惑が、いい方向に使えることになるとはな。
バァァァン!!
突然、教室の後ろの扉が親の仇のように勢いよく開け放たれた。誰かが入ってきたのはわかるが、開け方が荒すぎる。
「おい! 東條いるか!!」
「いません」
「あ、そうか。では、また改め……いや、お前普通にそこに座ってるじゃないか!」
ヤバい奴が来たと察知し、極限まで面倒くさくて条件反射で即答してしまった。この状況で息をするように秒で嘘をついた、自分の防衛本能と反射神経を褒めてやりたいぐらいだ。
肩で息をしながら興奮して入ってきたのは、天童光輝。和人に並ぶ、俺が学年二大イケメンと密かに思っているうちの一人だ。
こいつとまともに話すのは、野外学習の時に瀬那に絡んでいると誤解されて詰め寄られた時以来だ。クラスも違うし、普段は全く接点がないからな。
そんな正義感の塊みたいな男が、このタイミングで血相を変えて来るってことは……。
「お前、南雲を無理やり襲ったって本当か!?」
「……やっぱりその話かよ。……誰が面白おかしく言い出したか知らないが、俺は彼女を襲ってなんかいない。熱くなってるお前に信用してもらわなくても構わないがな」
「どういう態度だよそれは! 彼女、痛々しい怪我をしていたんだぞ!」
俺の胸倉を掴み上げようと勢いよく伸びてきた天童の手を、俺は右手で反射的に受け止め、押し返して止めた……つもりだった。
(……っ、マジか、こいつめちゃくちゃ力が強いぞ!?)
座っている俺に対して、上から体重をかけている天童との姿勢の不利もあるが、手首を掴んで止めているはずなのに、少しずつ、少しずつ俺の胸倉に天童の手が近づいてくる。
さすがは現役バリバリのサッカー部といったところか。マンガなら『グギギギギ……ッ!』と重い擬音が鳴りそうな緊迫したパワー比べの状態。周りのクラスメイトたちがざわめいて、完全に「東條と天童がガチで喧嘩してる」というヤバい空気が流れているから、頼むからもうやめてほしい……。
「やめなよ、光輝。朔也は南雲さんに何も危害なんて加えてないよ。俺も南雲さん本人から直接聞いてるから」
「……和人」
ギリギリの力み合いをしていた俺と天童の間にスッと入り、止めてくれたのは和人だった。和人はいつもの柔らかい笑顔を消し、真剣な目で天童を真っ直ぐに見ていた。
その声を受け、天童はハッとしたように素直に言うことを聞き、俺に押し付けていた力をスッと緩めた。
『光輝』と『和人』と下の名前で呼び合うくらいだから、この二人は俺が思っている以上に相当仲が良いってことだな。
「それは本当なのか、和人」
「ああ、本当だよ。光輝のいつもの『悪い癖』が出ているよ。朔也は南雲さんに危害を加えるどころか、身を呈して危ないところを救ったんだ。噂を鵜呑みにしないで、まずは本人である南雲さんに確認してみてはどう?」
「……お前が言うなら、それが正しいんだろうな。……東條、いきなり突っかかって悪かった。今朝、南雲が怪我をして襲われたと聞いて、つい頭に血が上ってしまって……」
「……俺がやってないってわかってくれたんなら良いさ。次からは気をつけてくれ」
「すまない」
和人に静かに諭された天童は、潔く俺に頭を下げて謝ってきた。
野外学習の時もそうだったが、自分が間違っていたとわかると、変な意地を張らずにすぐ素直に謝れる奴なんだな。きっと、根はすごく真っ直ぐでいい奴なんだろう……知らんけど。
「ごめんね、朔也。光輝は少し猪突猛進なところがあるから、今回のことで悪い癖が出たみたいだ」
「和人が謝ることではないよ。自分の悪評はわかっているつもりだし。正義感が強いんだろ、あいつ」
「そうだね。……それが光輝の良いところでもあり、悪いところでもあるんだよね」
苦笑いをした和人は、教室を出ていく天童の背中を見ていた。この二人しかわからない歴史があるのかもしれないな。
ただ、朝からこんな面倒事は、もう勘弁してほしい。




