第52話(第一章終幕・上):瀬那の記憶・出会い
Side : 南雲 瀬那
私は朔也くんにお借りしている部屋で、棚の上に大事に置いている、小さなリネンのミニ巾着をそっと手に取りました。そして、中に入っている金属製のものが、今日もちゃんとそこにあるのを確かめます。
ミニ巾着の紐を緩め、中にあるものを指先で取り出して、手のひらに乗せました。
――コロン、と出てきたのは『一対のピアス』。
これは、私にとって何よりも大切なお守り。
どん底でしんどかった時に、私を掬い上げて救ってくれたもの。
顔を上げて生きる、勇気をくれたもの。
私はその硬いピアスを両手で包み込むようにギュッと握りしめ、目を閉じて思い出す――。
◇◇◇◇◇
― 南雲 瀬那 中学二年生 ―
その日、私は見知らぬ都会の真ん中で、しつこいナンパに遭っていました。
大好きなひいおじいちゃんが亡くなって、酷く塞ぎ込みがちになっていた頃。気晴らしにと、一人で少し離れた都会の街へ出かけた時のことです。ひいおばあちゃんも深い悲しみの中にいてつらいはずなのに、私を気遣って快く外へ送り出してくれました。
ただ、恥ずかしいことに、当時の私には休日に外で一緒に遊ぶような友達はおらず、一人きりでした。
学校では、この髪と金の瞳という特異な容姿のせいで、どうしても悪目立ちしてしまい、クラスで完全に浮いている状態でした。自分を出さないように、目立たないように、できる限り地味な格好をして息を潜めて過ごしていました。
なぜなら、同世代の男子の目に留まりたくなかったからです。珍しい容姿目当ての、見え透いた下心。思春期の男子特有の仕方ない部分があるのは、大人に近づいた今だからこそ頭ではわかりますが、当時の私には一切関係ありません。ただただ、気味が悪くて不快な視線でしかありませんでした。
その日は、たまたま見かけたニュースで、私が好きなうさぎをモチーフにしたキャラクターのコラボカフェをやっていることを知り、慣れない都会にやってきたのです。
当時、私はスマートフォンを持っていなかったので、紙に書いた場所のメモ書きだけを頼りにして。
以前、一度だけスマホを購入したことはありました。しかし、当時まだ仲が良かった友達に連絡先を教えたところ、あれよあれよという間に私の連絡先が学校中に拡散されてしまいました。見知らぬ同級生や他学年の先輩男子から次々と連絡が来たり、捨て垢と呼ばれる匿名の裏アカウントから悪意に満ちた誹謗中傷のメッセージが届いたりと……精神がすり減るような大変な事態になったため、すぐに解約してしまったのです。
最初に連絡先を教えた友達……と私が思い込んでいた女子の一人が、私の容姿を僻んで、無いこと無いことをでっち上げながら面白半分に広めていたのだと、すべてが終わった後でわかりました。
普段、都会にはあまり来ないため、『人が多くて怖いところ』という印象が強く、女の子一人……しかも、ひどく悪目立ちする髪と瞳。
私は厄介ごとを避けるため、今より長かった髪を二つのきっちりとした三つ編みのおさげにして、度の入っていないメガネと、深めの帽子をかぶって変装をしていました。
当時の私は、これで完全に地味な女の子に擬態できたと胸を張っていたのですが……今思い返すと、本当に穴があったら入りたいくらい恥ずかしいです。
案の定、私の考えは甘すぎました。お目当てのお店までの道のりで、ガラの悪い金髪の男性二人に絡まれてしまったのです。
最初はすれ違いざまにちょっと肩が当たっただけなので、軽く「すみません」と一礼して足早に通り過ぎる予定でした。しかし、無理やり腕を掴まれ、建物の角の陰へと押しやられてしまいます。
「へー、中学生くらい? 随分と良い感じに髪染めてんじゃん! 暇ならさ、これから俺たちと一緒に遊ばないか?」
「うちらもマジで暇なんだよねー。カラオケ行こ?」
「え、いえ、あの……予定があ、ありますから……」
私の色素の抜けた髪の色を見て、派手に染めて遊んでいる『軽い女』だと勘違いされたらしく、面白半分に絡んできたようでした。いわゆる都会のナンパです。
学校で同級生の男子によくしつこく話しかけられるとは言え、決して男慣れしているわけではありませんでした。どちらかと言うと、身勝手で押しが強い人が多かったので、同年代の男の人自体をひどく怖いと思っていました。
それが、体格の良い見知らぬ大人の男性……しかも二人となると、私は恐怖で完全にパニック状態でした。
「ほらほら、めっちゃ震えてんじゃん。ウケる」
「何、俺らそんな怖い? なんも痛いことしないから平気だって。美味しいケーキ奢ってあげるからさ、行こ?」
「ひっ……、いや……っ、はなして……」
「だから嫌がんなっての。ほら、いいから行くよ」
ぐいっと、乱暴な力で腕を引かれる。恐怖で頭の中が真っ白になって、助けを呼ぶ悲鳴すら喉に張り付いて出てきませんでした。
大通りのすぐそばなのに。通り過ぎる大人たちは、怯える私をチラチラと見るだけで、誰も厄介事に関わりたくないのか、見て見ぬふりをして助けてはくれません。
もう駄目だ。このままどこか知らない恐ろしい場所に連れていかれるのだと、涙を浮かべて絶望していると――。
すぐ横の薄暗い路地裏から、カチャ、と金属音を鳴らして一人の男性が出てきました。
ひどく目つきが悪く、両耳にピアスをいくつもジャラジャラとつけて、両手の指にもシルバーアクセサリーを付けている男性です。年齢はハッキリとはわかりませんが、私より少し年上ぐらいで、目の前のナンパ男たちよりは下ぐらいに見えました。
ちょうど路地裏から大通りへ出ようとしているその彼に対して、私を囲んでいるナンパ男の一人が、完全に道を塞いでしまっている状態でした。
「……」
「な、なんだよ、てめぇ」
ピアスの男性は、何も言わずにナンパ男の一人を真っ直ぐに見据えていました。ただただ、冷たい目でじっと見ているだけでした。私からしたら、ナンパの二人も怖いですが、無言で立つ男性も怖く見えます。
私は声も出せず、助けを懇願することもできず、建物の壁に背中を預けたまま三人のやりとりを見ていることしかできませんでした。
二人組のナンパは虚勢を張ってピアスの男性に怒鳴りますが、彼は一切しゃべりません。微動だにしないその不気味な姿勢に、次第に二人組のナンパの方が逆に気圧されていき――。
「……っ」
「いや、だ、だから、なんなんだよマジで」
「お、おい、やべーぞ、こいつ。行こうぜ!」
と、勝手に怯えて捨て台詞を吐き、私をその場に置いたまま大通りへと逃げるように走り去っていきました。
助かった、と少し安心するも、すぐ横には得体の知れないピアスの男性が立っていて、すぐに我に返ります。
彼が私を一瞥したとき、今度こそ何をされるのかと、心臓が口から飛び出すほど「びくっ」と体が震えたのを覚えています。しかし、彼は本当にただ一瞥しただけで、何も言わずに大通りの方へ去っていこうとしました。
私はホッと胸を撫で下ろし、まずは本来の目的地の道のりを確認するため、ポケットのメモを取り出そうとすると――。
「あっ!!」
ポケットから、大切なメモ書きがなくなっていることに気づきました。さっき腕を引っ張られたりした時に、どこかに落としてしまったのかもしれません。
私の間抜けな声に、数歩先を歩いていたピアスの彼がカチャリと金属音を鳴らして足を止め、振り返り――バッチリと目が合いました。
「いや、あの……メモが無くなりまして……」
「……はぁ」
とっさに、何か言い訳をしないといけないと感じ、ありのままの事実を彼に言ってしまいました。それを聞いた彼は、ひどく面倒くさそうに深いため息をついて、再び私の方へと歩いてきます。
「……メモってなんの?」
「えっと……ルナポートって言う商業施設までの経路を書いたものです……ウサギの『シラタマ』って言うキャラとコラボカフェをやっていて……」
パニックで焦ってしまい、聞かれてもいない、いらない情報まで早口でしゃべってしまいましたが、彼はけだるそうにポケットからスマホを取り出し、片手で検索を始めました。
「……これ?」
「……は、はい。これです」
「ここなら……こういう道のりらしいぞ」
スマホの画面をこちらに向け、マップアプリで経路を見せてくれました。厳ついシルバーアクセサリーをつけた指と、画面に映る可愛いうさぎのキャラクターのシュールな対比が、少しだけおかしかったです。
私は必死に道順を頭に叩き込もうとしますが……全然頭に入りません。さっきまでの恐怖のトラブルで、まだ頭がパニックを起こして混乱しているからです。
「えっと……えー、ここを真っ直ぐ行って、あそこで、二つ目の角を……」
「……もういいよ。着いてきて」
彼は呆れたようにスマホをしまうと、そのままさっき自分が行こうとしていたのとは別の方向へ歩き出し、こちらを振り返って「ついてこい」というように手でジェスチャーしました。
私は小走りで、彼の斜め少し後ろの距離につきます。
「……」
「……」
道中、会話は一切ありませんでした。彼がナンパ目的なら、距離を詰めて色々と話しかけてきたでしょうが、そのような様子は微塵もありません。ただ、私の歩幅に合わせるように少しゆっくりと先を歩くのみでした。
「……」
「……」
「あ、あの! あ、ありがとうございます。さっき助けていただいたこともそうですが、わざわざ道を教えてくれて」
「……別に、気にしないで」
重い沈黙に耐えられなかったのは、私の方でした。
とっさに、何かをしゃべらないといけないと思い、出たお礼の言葉です。でも、一度言葉を発してしまうと不思議と緊張の糸が解け、私は恐る恐る、気になったことを口にしてしまいました。
「ピ、ピアスが凄いですね。おしゃれですし、可愛い形のものもありますね」
「……ありがとう。……自分で作ったんだ」
私の言葉に、彼の顔は、ほんの少しだけ照れたようにはにかんでいました。
その人間らしい柔らかな仕草に、さっきまでの怖そうな雰囲気との激しいギャップを感じました。
(この人……怖いんじゃなくて、極度に不愛想なだけです)
「アクセサリーを自作しているんですか?」
「そう。まだまだ下手くそだけどね。さっきまで、教えてもらっていたところだし」
「凄いですね。……気を悪くしないで聞いてほしいのですが、その……人とは違う、目立つ格好をされていると思うのです。……怖くないのですか? 私は人から見られるのが怖くて……」
彼はピタリと立ち止まり、振り返って私を見ました。
視線で、私の三つ編みやメガネ、そして隠しきれていない髪や瞳など、全身を見ているのがわかります。
でも、学校の男子たちが向けてくるような、粘着質で気持ち悪い視線ではありません。ただ、目の前の人間がどんな格好をしているかを確認するだけの、真っ直ぐでフラットな視線でした。
「……俺はわざと目立っている状態だから、君とは状況が違うかもしれない。たださ、いちいち他人の目を気にして怯えてても、何も変わらないし仕方ないって気づくことがあったんだ。自分に関わらない他人の評価なんて、ぶっちゃけどうでもいいだろ。それなら俺は、周りにどう思われようが自分がしたいことをするよ」
「……お強いのですね」
「強いというか……強くならないといけなかったんだ。だから、仕方ない。……これはそのためのものだったりもする」
そう言って、彼は少し自嘲気味に笑い、左耳のピアスをカチャリと触りました。
その横顔には、中学生とは思えないような、どこか大人びた深い影が見えました。
その後すぐに、目的地の大きなショッピングモールに着きました。別れの時間が来てしまったことに残念に思い、私は立ち止まり、背中を向けて去ろうとする彼に尋ねました。
「私も……私も、あなたのように強くなれるでしょうか?」
「それはわからない。と、言うより、結局は君しだいだから、赤の他人の俺が無責任にどうこう言える事じゃない。だけど……『強くなろうと努力すること』は、誰にだってできるさ」
安易に「君なら変われるよ」と甘い言葉をかけるのではなく、「自分次第だ」と突き放すように言われたことに驚きました。
今日初めて会って、多分、これからの人生で二度と会う事はないのに……彼は無責任な期待を持たせず、ただ、私自身が向き合うべき現実だけを教えてくれました。それが、なんだかひどく誠実で、嬉しかったのです。
「私もピアスを付けたら、変われますかね?」
「……一度穴を開けると、そのあとの管理が面倒だから、軽く『やってみたら?』とは言えないな……。まあ、一つや二つなら良いアクセントになるんじゃない。ただ、君の学校が許すかは別だと思うけどな」
「……確かにそうです。うちの学校では駄目そうですね。……ちなみにですが、ピアスってどんな形のものがあるのですか?」
私はもう少しだけ、あと数分だけ彼と話したくて、スマホで調べればすぐにわかるようなくだらないことを尋ねました。
彼は「んー」と口元に手を当てて少し考え始め、やがて背負っていたカバンからケースを取り出しました。
「言葉より、実物を見せた方が早いだろ。俺が作ったものだから不格好だけど、参考程度にはなるんじゃないかな」
パカッとケースを開けると、中は小さい区切りで綺麗に分かれていて、それぞれに彼が作った手作りのピアスが入っていました。
「すごい、色々あるのですね……あっ、これ、すごく可愛いです!」
私が指差したのは、深い青色をした、六弁の小さな花のピアス。それぞれの青い花弁が、手作業で作られた無骨な銀の台座にカチリとはまっています。
「気に入ったんなら、やるよ。俺が作ったやつだから、まだまだ形が変だけど、参考ぐらいにはなるだろ」
「……えっ。でも、良いんですか?」
「構わない。そんなんで良いなら」
「……っ、ありがとうございます!」
手のひらに冷たい青い花のピアスを受け取って、今度こそ、私たちは別れました。
私はその後、目的だったコラボグッズのお店で手頃な可愛い巾着袋を買って、絶対に無くさないようにとそのピアスを大切に入れました。
それが――今でも、私が彼から借りているこの部屋の棚に飾って、大事にお守りにしているものです。
あの日、都会の真ん中で。
私はこれを心の支えにして、彼みたいに学校でも自分を少しずつ出していこうと、決意しました。
もう二度と会うことはないでしょうが、いつかどこかですれ違った時に、彼に助けてもらったことを恥じないような生き方をしよう、と。
……ただ、二度と会えないというのは、私の完全な思い違いでした。
――運命は、良い意味で、私を裏切ってくれたのです。




