第43話 叔母という立場
部屋に入ってきた瀬那の叔母は、俺との間に流れた気まずい空気を「こほん」と咳払いをして誤魔化した。みんなに視線を送った後、瀬那の方に向き直り、問いかける。
「瀬那、 ナイフで襲われたって聞いたけど、怪我はないの?」
「……膝に多少の擦り傷はありますが、転んだだけなので大丈夫です。それよりも、朔……東條さんが私を庇って、刺されました」
「……」
瀬那は言葉の最後に俺を見た。瀬那の叔母は少し驚いた顔をするも、何も言わずに俺を見る。一応見せた方が良いのかと考え、俺は左手を少し上げた。包帯が巻かれているので、説明しなくてもわかるだろう。
「そう……。あなたが東條くんね。身を挺して瀬那を助けてくれて、ありがとう」
「いえ、当然のことをしたまでです」
「……あなたは、そういう風に言うのね。本当に悪い噂というものは当てにならないわ」
「叔母様っ!」
「?」
噂? 何の話だろうか。俺の悪い噂といえば、学校で『ヤバい不良』と囁かれていることくらいしか思いつかない。
だが、なぜ瀬那の叔母が俺の学校での噂を知っているのだろうか。瀬那が慌てて割って入った反応からして、何か知っているようだが……まあ、後で聞いてみるか。
瀬那の叔母は、槙野警視の方に向き直って自己紹介をする。
「申し訳ありません、少し取り乱しました。私はこの子の叔母の朱門です。現在、私がこの子の保護者になります」
「朱門さん、はじめまして。警視の槙野です。この事件の担当をしています。早速ですが、今回のことをご説明します」
今までに起きたことを、槙野警視が朱門さんに説明した。ただ、槙野警視の説明の中で、なぜか『素十によるアパート放火』の件だけがスッポリと抜け落ちていた。
警察の立場なら、真っ先に言いそうな重要事項なのになぜだ?
ふと疑問に思って須藤先生を見ると、目が合った。先生は眼鏡の奥で柔らかく笑いながら、「今は気にするな」とでも言うように片目をつぶってみせた。
なるほど。瀬那がこの保護者と『仲が良くない』ことを察した先生が、瀬那が無理やり叔母の家に連れ戻されないよう、あえて家を失ったことを伏せるよう警察に手を回してくれたのかもしれない。……この弁護士、有能すぎるだろ。
「それでは、このまま傷害とストーカーの件で立件する形でよろしいですね」
「はい、お任せします。必ずその男に相応の処罰をお願いします」
話が終わると少し会釈をして、朱門さんは須藤先生に向き直った。
「あなたは東條くんのお父さん……? いや、お兄さんでしょうか?」
「いえ、そのどちらでもありません。私は弁護士をしている、須藤と言います。この度は東條様と正式な委任契約を結んでいるため、代理人として同行しております」
「……は? 弁護士……? 契約……まあ、そういうこともあるわね」
無理やり納得した感じが強いが、詮索されるよりマシか。
すべての確認が終わると、朱門さんはいつの間にか部屋に入ってきていたスーツ姿の男性に、手慣れた様子で何やら指示を出していた。旦那さん……という空気ではない。
俺が不思議そうに眺めていると、瀬那が無事な右側の袖をツンツンと軽く引っ張ってきて、耳元で小声で言った。
「彼は叔母様の専属秘書です。スケジュール管理だけではなく、こういった揉め事に関しても、迅速に手続きをして処理しているのを見たことがあります」
「へー、専属秘書ね。叔母さん、ずいぶんと立派なお偉いさんなんだな」
「えっ? 朔也くん、もしかして……気づいていないのですか?」
「へ? 気づくって何を――」
「東條くん、少しよろしいかしら。あなたの怪我の治療費や慰謝料については、うちで全額負担させていただきますので、後で口座を教えてもらえる?」
タイミング悪く、朱門さんが秘書を伴ってこちらに話しかけてきた。
姪を助けてもらった手前、大人の責任としてお金を出そうとするのはわかるが、そこから貰うのは筋が違う。
「……いえ、お気持ちはありがたいですが、朱門さんや瀬那が治療費を払う必要はありません。どう考えても、あの素十という男から全額むしり取りますんで。――先生、交渉の方はお願いしてもいいですか?」
「ええ、お任せください。加害者側には、治療費を含めきっちりと相応の代償を請求させていただきます」
「……本当に、弁護士を個人的に雇っているのね。あなた、ただの高校生よね……?」
ピアスだらけの高校生が、ニコニコと笑うスーツの弁護士を隣に従えて淡々と示談の指示を出している。その異様な光景に、威厳たっぷりの叔母様も流石にドン引きしていた。
……いい加減、大人たちのこのリアクションにも慣れてきた。
大人組が真剣に話し込み始めたので、俺と瀬那は出前で注文しておいたカツ丼を二人で食べている。
これからの対応を詰めているのだろう。紙に何か書き込んでいるのがわかる。いつもの須藤先生なら、俺も話に混ぜるのだろうが……目に見えて疲労しているのがわかるんだろうな。気を遣われたみたいだ。
「そう言えばですが、なぜ須藤先生は警察署でカツ丼を食べたかったのでしょうか?」
「知らんの? 昔、取調室で刑事がカツ丼を出して、その温かさと味に涙した犯人が自供するって話が、ドラマとかマンガのベタなネタにあったんだよ」
「へー」
「今はコンプライアンス的にダメになったのか、元々フィクションだったかはわからないけど、実際には出ないらしい」
「そうなのですね」
「それにしても、明日は学校だな……。できれば休みたい。しばらく経ったけど、足の痛みは強くなっていないか?」
「ふふっ、私は平気ですよ。朔也くんの左手の方は大丈夫ですか?」
「痛み止めが効いてるから、今は大丈夫。ただ、今夜風呂をどうするかが一番悩ましいところだけどな」
「……お風呂、ですか」
その単語を聞いた瞬間、瀬那がピタッと箸を止め、頬に手を当てて何やら真剣に考え込み始めた。……嫌な予感しかしない。
「いや、でかいビニール手袋をはめて、上からテープとラップでぐるぐる巻きにしておけば濡れないし、片手でもなんとかなるだろ」
「……そうですか? でも、背中や頭を洗うのは、片手では難しいのではないですか……?」
ダメだ。チラチラと俺の顔を上目遣いで見てくるこの顔は、完全に『私が手伝います』という危険な方向へと思考がスプリントしている。
「いや、俺は一人でも本当に大――」
「さて、大人の方針はあらかた決まりましたので、そろそろ帰りますか。朔也くん、南雲さんも、今日は本当に疲れたでしょうから、私の車で送りますね」
先生によって遮られたので、ちゃんと拒否できていないのが心配だが……また後で言おう。
「ありがとうございます」
「……瀬那。あなたは私が家まで送るから、こちらへ来なさい」
帰り支度を始めたところで、不意に朱門さん――叔母が、保護者としての当然の権利を主張してきた。
普通に考えればそうなる。ただ、火事の件を伏せている以上、瀬那が俺の家に帰るとは言えないし、かといって朱門さんに燃えたアパートに連れて帰られたら、それはそれで困ったことになる。さて、どうやって誤魔化したものか……。
「いえ、叔母様の手を煩わせるつもりはありません。――須藤先生、申し訳ありませんが、私も一緒に送っていただけますか?」
「えっ? あ、それは構いませんが……」
空気が、一瞬で凍りついた。
先ほどまで俺とカツ丼を食べながら見せていた柔らかい表情とは全く違う、冷たい瀬那の声音に、大人たちが息を呑んでいる。
……俺は、この声色を知っている。課外学習で天童をあしらった時や、昼休みに榊原を切り捨てた時の、あの絶対的な『拒絶』の声だ。
気まずい沈黙の中、須藤先生がチラッと朱門さんの方へ伺うように顔を向けた。
「……須藤先生。申し訳ありませんが、瀬那のことをお願いします」
俺の予想に反して、叔母様は怒ることも無理強いすることもなく、あっさりと瀬那の意志を尊重して引き下がった。保護者としてはあまりにあっさりしすぎている気がしたが、これ以上追及されないのなら今の俺たちにとっては好都合だ。
瀬那は朱門さんの方へは一切視線を向けないまま、槙野警視にだけ深く会釈をし、足早に会議室を出て行った。それに続いて須藤先生も出る。
俺も慌てて後を追おうとすると、背後から小さく声をかけられた。
「東條くん。……色々と面倒をかけるけど、瀬那のこと、よろしくね」
「……はい」
振り返った俺が見たその大人の顔は。
『仲が良くない』という瀬那の言葉から連想されるような、姪を疎ましく思っている冷たい表情などではなく――むしろ不器用なほどに、その逆に見えた。
俺はこの二人の間に、過去何があったのかは知らない。
ただ、本当は寄り添いたいのにすれ違っているのだとしたら。俺の家族とは違う、まだ修復できる関係なのだとしたら。もう少しだけ、他人の俺が踏み込んでみても良いのかもしれないと、そう感じた。
ただ俺に、そのお節介を焼く勇気があればの話だが……。
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