第38話 最悪の気遣い
Side:南雲 瀬那
― 数時間前 ―
電車で朔也くんと別れた後、私はそのままルナポートへ向かいました。
別れ際に「本当に気をつけろよ」と言われた通り、それとなく周りを見渡しますが、今のところ異常はありません。
いつも通り更衣室に着いたころ、彼のことなので心配している可能性が高いため『バイト先に着きました』とだけ連絡しておきます。すぐに『了解。がんばってな』と返ってきたので、少しだけ気持ちが上がりました。
「おはようございます」
「おはよう、南雲ちゃん。何か嬉しそうじゃない? 彼氏と何かあった?」
「特に何も、いつも通りですよ。強いて言うなら……朝から彼の違う一面が見られたことですかね」
「あらあらあら。バイト前にデートでもしてたのね、お姉さん妬けちゃうなー」
「くすっ、そんなところです」
同僚の桜井さんと話しながら支度をします。
大学生の方で、バイト初日から色々と教えてくれた優しい方です。
今日の連絡事項を確認すると、新人のバイトが入ってくる以外はいつも通りでした。
支度が終わるとお店に向かいます。最初は制服姿にジャケットを羽織ってルナポート内を歩くのは少し抵抗がありましたが、もう慣れたものです。
しばらくお店で作業していると、井上店長に呼ばれたので、一度奥に引っ込みました。
中には知らない背の高い男性がいました。私を見て、全身を舐め回すように視線が動いたのがわかりました。……いつものことですが、嫌な視線です。
「南雲ちゃんにも紹介しておくね。新しく入った石田くん。主に鈴木くんが教えるけど、南雲ちゃんも何かあったらフォローしてね」
「はい、わかりました」
「石田くん、この子は南雲ちゃん。君より少し先輩かな。……あ、高校生で彼氏持ちだからね〜」
井上店長、彼氏持ちの説明はグッジョブです。
私から牽制として話すと、角が立って面倒なことになりかねないので助かります。
「初めまして、南雲です」
「初めまして〜、石田です。気軽に石ちゃんって呼んでね。いやー、こんな可愛いんだもんな、そりゃ彼氏いるよね。どんなやつ?」
「えっと……」
……馴れ馴れしいですね。私が年下なこともあるでしょうが、初対面でこの距離感は……少し警戒対象かもしれません。
朔也くんには申し訳ないですが、彼氏という『防波堤』として存分に効果を発揮してもらいます。もっとも、彼に報告したところで「そんなこと、勝手に使えばいい」と呆れ顔で許してくれそうですが。
こういう無遠慮な大人に出会うと、前川さんや森田さんたちの対応がいかに安心できる距離感だったか、よくわかります。男子高校生に言うのも何ですが、彼らはとても紳士的でした。
「南雲ちゃんの彼氏さんは、ピアスマンかな」
「えっ?」
「ふふっ、否定できないですね。彼はピアスに誇りを持っていますから」
「あら、そうなの? 似合ってるからいいわよねー」
「ピアス……マン?」
石田さんは疑問符を浮かべていますが、こればかりは本人を見ないとわからないと思います。
「それじゃあ、南雲ちゃんは戻っていいよ。今日は鈴木くんがいないから、とりあえず私が教えるので」
「はい、それでは失礼します」
そう言って私は店の奥からでて店内に戻りました。
あの新人さんに絡まれた時、朔也くんの存在をどう使って撃退しようか。そんな他愛のない逃避を頭の隅で考えていた――その時です。
「ひっ……」
声にならない悲鳴が喉の奥で凍りついたのが、自分でもわかりました。
お店の外。通路の角の柱の陰に――『あの男』が立っていました。
距離はあるはずなのに、ねっとりとした爬虫類のような、ひどく嫌な視線で……真っ直ぐに私を見つめているのがわかります。
まさか。どうして、朔也くんが傍にいない今日に限って……。
(連絡、しないと……! いえ、待ってください。まだです。ただ、遠くから見ているだけかもしれません)
エプロンのポケットのスマホに手が伸びかけましたが、私はギュッと拳を握り込んでそれに蓋をしました。
今日はせっかくの、ご家族とのお食事会なのです。ただ見られているだけの私が自己都合で呼びつけて、邪魔をするわけにはいきません。
その場に縫い止められたように立ちすくんでいると、同僚に話しかけられました。
「南雲さん、どうしたの? 顔色悪いよ?」
「い、いえ、なんでもありません。少し立ちくらみがしただけです。レジに回りますね」
「うん、無理しないでね。お願い」
私は作り笑いを浮かべながら、どうか、あの男がすぐにどこかへ過ぎ去ってくれるようにと、神様に祈ることしかできませんでした……。
◇
そのあとの仕事は気になってしまい、何回かミスをしてしまいました。
井上店長に「珍しいね、どうしたの?」と心配されるぐらいです。
お店には迷惑をかけられないので、何も言えませんでした。
シフトの時間が終わりに差し掛かると、朔也くんが来ていないことに同僚が気づきました。
「あれ? 南雲さんの彼氏くん、今日は来ないの?」
「残念ながら、今日は予定があって来られないのです」
「噂のピアスマン、見たかったのだけどなー」
近くにいた石田さんが話に混ざってきました。
……朔也くんは見世物ではないのですが。
業務が終わり、更衣室で着替えて共通の休憩スペースに行くと、石田さんがいました。たまたまだとは思いますが、終わりの時間が被ったのだと思います。
スマホをいじっている石田さんに、私は軽く「お疲れ様です」と言って、その場を後にしようとしました。
「南雲ちゃん、せっかくだから一緒に帰ろー」
……声をかけてきました。『南雲ちゃん』。それを聞いた時、あのストーカー男と石田さんがダブって見えました。瞬間、体温がスッと下がるのがわかります。
ここで悲鳴を上げるわけにはいかないので、気をしっかり持つようにします。
朔也くんがいつもピアスを触って心を落ち着かせるように、私も何かルーティーンを作っておくべきだったと、この時初めて思いました。
それにしても、今の私の心理状態で、この人とは一緒に帰りたくありません……。
「いえ、急いでいるのでお断りします」
「あらまー冷たいじゃん。もう暗いし、危ないから送るよー」
初対面の相手に言う言葉ではないですし、この軽薄な感じは嫌いです。井上店長がすでに上がっていなければ、泣きついていたかもしれません。
「結構です。それでは急いでいるので」
ガチャっと扉を開け、外に出ます。すると、石田さんも続いて出てくるのが、振り返らなくてもわかりました。ストーカー男を警戒しなくてはいけないのに、石田さんのことまで気にしないといけないとは……。すぐに朔也くんに連絡するべきだったと、後悔しました。
(いえ、今日はご家族と大事な話をしているかもしれません。いつも私のことでご面倒をおかけしているのですから、今日ぐらいは一人で頑張りましょう)
そう自分に言い聞かせてルナポート内を歩き、駅側の出口に出ました。街灯はあるとはいえ、ここからしばらくは少し暗い道を歩くことになります。
「待ってよー、南雲ちゃん。電車でしょ? 一緒に帰ろうよー」
もう面倒なので無視します。後で何を言われてもどうでもいいです。最悪、悪い噂を流されたら、このバイトを辞めてもいいです。それよりも、ここを早く過ぎて、家に……あの温かい家に帰りたい。
そう思って早足で歩いていると、他より暗い角から、「ぬっ」と嫌な音がする幻聴が聞こえたかのように、男が一人出てきました。
――あの、ストーカー男です。
震える手で、自分でも驚くほどポケットの中にある、スマホのショートカットボタンをスムーズに押しました。
「っ……!」
「南雲ちゃん……。男が変わっているよ……。あの不良とは別れたの? それなら僕がいるじゃないか。なんでそんな軽薄そうなやつを選ぶんだ。南雲ちゃんは清楚なんだから、僕みたいな紳士な男じゃないとだめだよ。あの男にも誑かされたんだろう。この男も、君の体しか見ていないよ」
(気持ち悪い……)
体が震えるのがわかります。心底、この男とは関わりたくない。そう感じているからです。怖いという気持ちと、気持ち悪いという気持ちで吐きそうです。
(朔也くん……)
いつもの不器用な、でも優しい彼の笑顔を思い出します。気をしっかり持とうと、手を握りしめ深呼吸をします。勇気をください、朔也くん。
私はストーカー男に向き直り、睨みつけて言います。
「……彼とは別れていません。以前にも言いましたが、あなたとは関わりたくありません。もう二度と会いに来ないでください」
「な、なんでそういうことを言うんだ。あいつだろ? あいつに洗脳されているんだろ? いつもバイト帰りに待ち伏せして! 束縛されているんだろ!」
彼のあの優しい行動に対して、何を言っているのですか、この人は。
束縛されたことなんてありません。むしろ私が束縛している……甘えすぎているのではないかと思うぐらいなのに。
その時、後ろから空気を読まない声が割り込んできました。
「なになに? お前、南雲ちゃんにストーカーしてるの? 俺ならともかく、お前みたいなやつが付き合うこと出来るわけないだろ」
「はぁ? お、お前なんだよ? 僕たちの間に入ってくるな!」
「俺? 俺は南雲ちゃんの未来の彼氏だよ」
……どうしてこう、面倒な人間ばかり引き寄せてしまうのでしょうか。
石田さん、無駄にストーカーを挑発しないでほしいですし、何が「未来の彼氏」ですか。私からしたら、あなたもベクトルの違う同類にしか見えないのですが。私の方を見て、得意げにサムズアップしないでください。
私が心底呆れ果てていた、その直後でした。
街灯の薄明かりを反射して、キラリと冷たい光を放つものが、ストーカー男の懐から滑り出てきたのは。
――ナイフです。
それを見た瞬間、私の全身の血液が凍りつきました。手に持っていたスマホのSOS発信を、震える指で強く押し込みます。もっと早く、男の姿を見た瞬間に押しておくべきだったと、取り返しのつかない後悔に襲われながら。
「ひっ! ナ、ナイフ! お、おいッ! じょ、冗談だろ……ッ!?」
刃物を見た石田さんは、さっきまでの威勢はどこへやら、短い悲鳴を上げてその場に腰を抜かしました。両手を顔の前に突き出して、無様に後ずさっています。
幻滅……するほど親しくもありませんし、下手に男へ飛びかからなかったのは正解だったと思います。彼に唯一感謝できるとすれば、そのあまりに情けないリアクションのお陰で、私の頭がほんの少しだけ恐怖から切り離され、冷静になれたことくらいです。
ストーカー男は腰を抜かした石田さんには目もくれず、濁った瞳で私だけを真っ直ぐに見据え、ジリジリと距離を詰めてきます。
「な、南雲ちゃん! 悪い男の洗脳は、僕が解いてあげるから。こ、こここっちにおいで。僕の家に行こう」
刃渡りの長いナイフが、ゆらゆらと揺れています。
「お、おい。あれはなにしているんだ?」
「は、早く警察を!」
「おいジョー、あれはまずいよな」
遠巻きに見ていた通行人たちが騒ぎ始め、誰かが警察を呼ぼうとしている声が聞こえますが、パトカーが到着するまで私が無事でいられる保証はどこにもありません。
私はすかさず踵を返しました。
本来なら、人が多く明るいルナポートの店内へ逃げ込むのが正解のはずです。けれど、凶器を持った異常者が私の後を追って店内へ入れば、パニックになり、最悪の場合……無関係な人たちを巻き込む無差別な通り魔事件になりかねない。
一瞬の思考の末、私は大通りではなく、あえて人気のない暗い路地裏へと飛び込みました。
(朔也くん……助けて……!)
ポケットの中のスマホ。繋がっているかどうかもわからない彼に向けて、私は声にならないSOSを叫びます。
冷たい夜風を切る自分の足音だけが響く中、私はただひたすらに暗闇の中を走り続けました。
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