第2話 理由のわからない微笑み
彼女の微笑みは、思考を一瞬止めるには十分だった。
どこかあどけなさの残るその表情が、整った顔立ちと妙に噛み合っていない。
――なるほど、あれを正面から見たら勘違いするやつも出る。
見ていたのは、俺だけじゃない。
周囲の男子はもちろん、女子ですら息を呑んでいる。中には頬を赤くしている者までいた。
南雲は順位表を確認すると、小さく「よかった」と漏らした。
すぐに、隣の女子たちの「おめでとう!」「すごいね!」という声に囲まれ、落ち着いた表情に戻る。
さすがに見続けるのは失礼かと視線を外し、隣の浩紀を見ると――
なぜか順位表を凝視したまま固まっていた。
俺の視線に気づいた浩紀が、呆れたように口を開く。
「お前さん、勉強はできると思ってたけどさ……まさかここまでとはな」
「何の話だよ」
「順位、ちゃんと見ろ」
「?」
言われるままに視線を下へ落とす。
――
5位 1-D(総合進学) 東條 朔也 472点
――
「……あ」
「『あ』じゃねぇよ!」
背中を叩かれる。普通に痛いんだが。
「なんか俺の名前あるな」
「あるな、じゃない! お前不良じゃなかったのかよ!? 五位だぞ!」
周りの視線が一気に集まる。
「何言ってんだこいつら」とでも言いたげな顔をされている気がする。
まあ、気持ちはわかる。この見た目で学年五位。しかも総合進学なら実質二位だ。南雲の次が俺――そりゃツッコミも入る。
俺でさえ驚いているんだから、他人ならなおさらだろう。
「お前、ファッションヤンキーだったんだな」
「なんだよファッションヤンキーって……そもそも俺、不良じゃねーよ」
「えぇ……」
なぜか呆れられた……解せぬ。
目つきはどうしようもないし、授業もちゃんと出席している。高校になって喧嘩なんて一度もしていない。それっぽいのはピアスくらいだ。しかもちゃんと学校に許可を取っているし……
周りの視線も気になるし、これ以上は面倒になりそうだ。
いまだに呆れた顔をしている浩紀を無視して教室に戻ろうとすると――
「……」
――また、南雲と目が合った。
数秒、視線が逸れない。
それから――
「(ニコ)」
「……!?」
……なぜだ。
安心したみたいに、笑った。
◇
あのあと、和人にも呆れられたものの、順位表の騒動はそれきりで、気づけば昼休みになっていた。
俺の昼食は、弁当と学食が半々。
弁当といっても昨夜の残りと冷食を詰めただけの簡単なもので、たまに朝に卵焼きを焼くくらいだ。
いつもは浩紀や和人たちと学食に行くが、今日は教室。浩紀が珍しく弁当だったのと、俺も弁当だったから移動を省略した。和人は部活の友達のところへ行ったらしい。
二人で食べていると――
弁当を持った、見覚えのある女子が教室に入ってきた。
「ひろー、今日は一緒していい?」
「いらっしゃい。いいよー」
「やったー!」
入った来たのは倉木愛莉。
浩紀の幼馴染で彼女。
ミディアムぐらい長さの茶髪。テンション高めのコミュ強女子だ。
初対面の第一声が「耳! ピアス開けすぎでしょ!」だったのを、いまだに覚えている。
クラスはE組で別のクラスだ。
「朔! 見たよー! ランキング入りしてるとか、ウケる!」
近くの机を引っ張ってきた愛莉がいきなり笑う。
「何がウケるんだよ……」
「よっ!特進より成績が良い不良!」
「だから、不良のつもりはないっての!」
「えぇ……」
口に手を当てて、わなわなと震えている。演技だとわかっているが……うざい。
「お前もかよ……」
「こいつ、ファッションヤンキーだからいいんだよ」
「ファッションヤンキー!?」
愛莉はツボに入ったのか、「あはは! 確かに! 朔にぴったりすぎ!」と机を叩いて笑い出した。
「それいつもまで言い続けるのさ」
「うーん、多分卒業まで?」
「まじか……」
「ファッションヤンキー……」
愛莉はファッションヤンキーがツボに入ったのか、笑いをこらえながら弁当を食べ始めた。……吹き出すなよ。と内心思いながら俺も箸を進める。
「そういえばさ、朔と南雲さんのせいで特進クラスがピリついてるらしいよ」
面倒になりそうな単語が、さらっと投げ込まれた。
――嫌な予感しかしない。
話を聞くとどうやら、
・毎年、入学すぐの実力テストも上位は特進が独占していた。
・10位内に3人も特進以外が入っているのは異例。
つまり、特進のメンツが潰れたらしく――
中間に向けて本気出す、という話になっているらしい。
「特に『不良に負けたのがダメ』って」
「誰が不良だ」
「先生が言ったらしいよ」
「先生が言うなよ……」
「へー、ちゃんと見ていなかったけど、朔也と南雲さん以外にもいたんだ」
「そそ、A組の人ー」
……まさかとは思うが。
これで変な因縁つけられたりしないよな?
――ないよな?
◇
放課後。
部活に所属していない俺は、普段ならそのまま帰宅するが、今日は委員会の集まりがあるため帰れない。
――不良じゃないから、さぼらないけどさ。
初回だし、軽い説明だけで終わってくれると助かる。委員会なんて面倒なことはしたくないが、公正にくじで決めた以上は仕方ない。
俺の所属は図書委員。本は暇なときに読む程度で、詳しいわけじゃない。本の紹介とか振られたら困る。
一人で教室を出ようとしたところで、女子に声をかけられた。
同じ委員会の――
「東條くん、委員会の集まり行くんでしょ? 一緒に行こ」
「あ、あぁ」
水野雫。
クラスでも明るく、ムードメーカー寄りの存在だ。バスケ部で、和人と話しているのをよく見る。
ポニーテールがよく似合う、活発な子だ。男女関係なく距離が近いタイプ。
……まさか、俺にも普通に話しかけてくるとは思わなかった。
「図書委員ってなにやるんだろうね。やっぱり貸し出しとかかな?」
「それぐらいなら良いのだけど、本の紹介とか書かされたら困るわ」
「わかる! 私、ほとんど本読まないから何も紹介できないや」
取り留めのない雑談をしながら、集まりの教室へ向かう。陽キャ相手に思ったより会話が続いたのが意外だった。水野のコミュニケーション能力が高いのだろう。
「東條くんって怖そうに見えるけど、話してみると普通だよね。……あ、普通っていうか、むしろ話しやすい?」
なんて屈託のない笑顔で言われて、俺は少しだけ視線を泳がせた
楽しそうに話してくれるから、こちらとしても気が楽だ。
教室に入ると、すでに人が集まっていた。思っていたより多い。
各クラス、男女一人ずつ。しかも三学年分。五十人近くになる計算だ。
……多いな。
特進クラスは、体育祭や文化祭のような行事系以外は委員会参加が任意らしい。
そこだけは、少し羨ましかった。
空いている席に二人並んで座り、雑談していると扉の開く音がした。無意識にそちらを見る。
特徴のある髪色の女子が入ってきた。
――南雲だ。
隣には男子がいて、なにかと話しかけている。……なんとなく必死に見える。同じ委員会だから、親睦を深めようとしているのだろう。
(そういえば、順位表の前で微笑んでいたな)
今朝のことを思い出す。あれは俺と目が合ったから、ではないはずだ。そこまで自惚れてはいない。
じゃあ、なぜ笑った? 知り合いでもいたのか――そう考えながら視線を外し、前を向くと、
「隣、いいですか?」
南雲に話しかけられた。
透き通るような、きれいな声だった。容姿が良くて、声も良いとか反則だろ。
まさか話しかけられるとは……予想外すぎる。
「特に席は決まっていないみたいだから、大丈夫だと思う」
「ありがとうございます」
すんと、彼女が纏う清潔感のある香り感じた。夕暮れ前の、少し埃っぽい放課後の教室。その乾いた空気に、彼女が纏う清潔感のある香りがふわりと混じった。
不意に縮まった距離に一瞬だけ固まったが、なんとかどもらずに返せた自分を褒めてやりたい。
……びっくりした。
「南雲さん、他の方がいいんじゃ……」
隣にいた男子が、小声で呟く。
(いや、普通に聞こえてるって)
失礼だとは思うが、俺が彼の立場でも同じことをしていたかもしれない。
南雲も聞こえているはずなのに、気にした様子もなく席に座った。そしてなぜか男子に少し睨まれた。
……俺、なにもしていないのだが?
水野、俺、南雲、名前をしらない男子の順に座ることになった。
「南雲さんだよね? 初めまして 1-D の水野です!」
「はい、そうです。初めまして、1-A の南雲です」
「よろしくね! テストの順位見たよ! 一位ってすごいね!」
「ありがとうございます。頑張ったかいがありました」
コミュ強の水野は臆面もなく自己紹介を始めた。改めて水野のコミュ力の高さがわかる。ただ、俺を挟んで話さないでほしい。気まずい。ほら、一緒に来ていた男子が所在なさげにしているじゃないか。
一通り話し終わると、南雲は俺を見て、
「東條さんもよろしくお願いしますね」
と、またまた予想外なことを言い放った。
「あぁ、東條だ。こちらこそよろしく。……名前知っていたんだな」
「ふふ、ある意味目立っていますからね。今日のテスト結果も含めて」
ある意味ってなんだ?気になるじゃないか。
追及するかどうか悩んでいると――
「俺は早瀬って言います!よろしく!」
南雲を挟んだ席に座っていた彼が、会話に割って入った。タイミングを見ていたのだろうな。早瀬って言うらしい。
水野が「こちらこそ、よろしくね」と返したので、俺も続けて「よろしく」とだけ言っておいた。
しばらくして全員集まったのか、黒板の前に二人の生徒が立って話を始める。緑のネクタイ――三年の先輩だ。前に出たということは委員長なのだろう。
この学校のネクタイとリボンは自由選択で、性別の指定はない。色は学年識別用で、紺→赤→緑の順に毎年繰り上がる。だから三年に一度、同じ色が回ってくる。
委員長の説明を簡単にまとめると、こんな感じだった。
・貸出と返却の受付(当番制)
時間は昼休みと放課後。
・本の整理や修繕(1~2月一回ほど)
主に司書の手伝い。
・おすすめ本の掲示
これは希望者のみ。
警戒していた本の紹介が任意なのはありがたい。
進学校らしく、勉強優先で無理に仕事は増やさない方針らしい。
ここまでは問題ない。想定通りだ。
――このあと、想定外のことが起きるとも知らずに。
◇◇◇◇◇
数日後。
俺は図書室の受付に座っていた。
そして、隣には――南雲 瀬那がいる。




