第27話 漏れ出す思い
Side:南雲 瀬那
なぜ私は登校早々、見知らぬ人から責められているのでしょうか。
今朝も、いつもどおり朔也くんと不本意ながら途中で別れて、一人で学校に向かいました。そのまま教室に向かおうとすると、廊下でいきなり話しかけられたのです。
「ちょっと南雲さん、これ以上、和人くんにちょっかい出さないでくれませんか!」
確か、野外学習で朔也くんたちと同じ班だった女の子で、お名前は……うめなんとかさんです。申し訳ないですが、関わったことがないので覚えていません。
『和人くん』……たぶん森田さんのことですね。朔也くんやクラスメイトから、森田さんの人気が高いという話は訊いたことがあります。しかし、直接話したのは昨日の勉強会が初めてでした。
(ああ、高校でも同じことを言われるのですね。立ち回りには気をつけていたのですが……)
人から見ると羨ましいことなのかも知れませんが、私の亜麻色の髪や琥珀の目など、容姿は日本では目立つ方です。私としても自分磨きの一環として、スキンケアや体形維持など気を使っていますので、それなりに自信もあります。
ただ、やはりと言うべきか、小中学校と女子からやっかみを受けたことは何度もあります。目の前のこの人のように、自分が好意を寄せている男子が私のことを好きになって……というトラブルもありました。
(私としては、誰にでも愛想よくしているだけで、色目を使ったつもりはないのですけどね)
朔也くんには冗談半分で小悪魔な態度をとったことはありますが、それはほぼ二人っきりの時です。他の人には意図して使ったことはありません。むしろ……面倒なのであまり関わりたくないのですけどね。
森田さんに対してもそうです。ただの知り合い以上、友人未満……言うなれば『友達の友達』くらいの距離感で接しています。
森田さんの方もそうです。昨日の会話を思い出す限り、女性に慣れていて優しい感じの方ですが、私との距離を測りかねている空気を感じました。初対面なのでそれぐらいが普通です。
それなので、この人の言っていることは本当に意味が分かりません。分かりませんが……私が森田さんの近くにいるだけで嫌なのでしょうね。実際は森田さんではなく、朔也くんを構いに行っただけなのですけど、この人には関係ないのでしょう。
「森田さんのことですよね? 何か誤解されているかもしれませんが、昨日のことだとすると、東條さんや愛莉さんたちと勉強をしていただけですよ」
「東條……? なんでそこで東條がでてくるのよ」
すごく嫌な顔をしています。そういえば、彼女は朔也くんに対してひどく辛辣だと、昨日前川さんが言っていましたね。
それを思い出し、少し気持ちがムッとします。
「なんでって……昨日の勉強会を見たから、私に文句を言っているのではないのですか?」
「……勉強会?」
どういうことでしょうか。お互いに話が噛み合わず、余計に意味が分からなくなりました。
「私は友達に、和人くんとあなたが夕方一緒に歩いていたって訊いたのよ! あなたなら、他にも男子を選り取り見取りでしょう。和人くんに関わってほしくないのよ」
「選り取り見取りって……」
(人をショーケースの商品か何かと勘違いしているのでしょうか。ずいぶんと失礼な言い草です。それに、私が男性を取っ替え引っ替えしているように聞こえませんか)
思わず顔に出そうになった不快感を、必死にいつもの『優等生の仮面』の下へ押し込める。
周りの生徒が「なんだ?」「どうした?」と遠巻きにこちらを見ている。こんなことで注目されるなんて、早く教室に行きたいです……。
「一緒に歩いていたと言えば本当ですが、」
「ほらっ! やっぱり和人くんをたぶらかして――!」
「……最後まで聞いてください」
私はピシャリと、冷たく響く声で彼女の言葉を遮りました。
「先ほど言った通り、東條さんや愛莉さんとも一緒です。勉強会のあとに一緒に『皆さんと』お食事に行きましたから。その聞いたお友達に、もう一度事実関係をご自身で確認なさってはいかがでしょうか」
変な誤解が無いように『皆さんと』を強調し、少しだけ声のトーンを落として告げます。昨日のファミレスは、せっかく心が温かくなるような楽しい時間だったのに、それをこんな理不尽な嫉妬で汚されそうで、本当に不快ですね。
こういう時、不器用で真っ直ぐな朔也くんならどう対応するでしょうか。論詰めで攻める可能性もあるし、逆に睨んで無視することもありそうです。
「和人くんと食事……」
(うーん、まだ納得されていないようですね。面倒な人です……)
これ以上何を言っても無駄だと判断し、無視して教室へ行こうとした、その時。
「――何してるんだ、こんなところで」
私の背後から、少し不機嫌そうな低い声が降ってきました。
「と、東條……」
うめなんとかさんが息を呑んで固まっています。
私より少し後を歩いていた彼が、気怠げな足取りで私の横に並びました。
彼が来てくれたという事実が、私の内側にある強張りをスッと解いていくのがわかります。
「で? 和人がどうかしたのか? 梅沢」
あ、そうでした、『梅沢』さんです。
東條さんが鋭い視線で梅沢さんを見下ろす。彼の耳元で揺れるピアスが、チャラリと冷たい音を立てました。
私が絡まれて困っていると察して、わざと割って入ってくれたのだろう。本当に優しい人です。
「あんたたちが昨日、和人くんと勉強会や食事したって本当なの?」
「本当だな。浩紀たちに勉強教えて、その流れだ」
「そう。それにしてもあんたたち、知り合いだったのね」
梅沢さんは、朔也くんと私をジロジロと見ながら言いました。
その口元には、イヤな笑みが浮かんでいます。
「委員会が同じだからな。そもそも同級生だ、いつどこで知り合っててもおかしくないだろ」
「……東條、あんた人気がある二人に擦り寄って、少しは人として自分の立場を考えた方がいいわよ。あんたみたいなクズ、ずっと一人がお似合いよ」
「なっ!? あなた、なんてことを……!」
「少なくとも梅沢には関係ないことだろ」
私が言い返そうとすると、朔也くんがスッと手を出して私を制しました。彼のもう片方の手は左耳のピアスを触っています。これ以上、大ごとにしても仕方ないってことでしょうが、私は納得できません。朔也くんのことを悪く言うのは許せません。
「ふんっ」
それだけ言うと、梅沢さんはわざと「ドンっ」と朔也くんの肩にぶつかりながら歩き出しました。
……申し訳ありませんが、私、あの人嫌いです。
「なんなんだあいつ。大丈夫だったか、南雲」
「特になにも。内容はともかく、一方的に話をされていたただけですので」
「そっか」
それだけ言うと、ピアスを触ったまま、朔也くんも教室の方へ歩き出しました。私は納得できない気持ちを無理やり引っ込め、自分の教室へと入ります。
……まだ、心の奥がムカムカします。
◇◇◇◇◇
Side:東條 朔也
今は瀬那と二人で並んで晩飯を作っている。横にはフリルが付いているブラウンのエプロンをした瀬那が立っている。ちなみに俺はフリルなしのシンプルな黒のエプロンだ。
今朝は瀬那と梅沢が言いあっていて驚いた。そのやり取りを遠くから見ていた浩紀がメッセージで連絡してくれたので、早めに間に入れたと思う。
あのあと、メッセージで瀬那に聞くと、昨日和人と一緒にいたことが梅沢の逆鱗に触れたらしい。
……どんだけ好きなんだよ。本当に面倒な奴だ。
「そういや、朝以外は何もされなかったか?」
「はい、特に何も。クラスメイトたちからも心配はされましたが……あっ、朔也くんのことを『怖くなかったか?』とも訊かれましたね。もちろん『怖くないですよー。彼は無意識に威嚇しているだけですよー』と言っておきました」
もちろん、そのまま内容で言ったわけではないだろう。でも瀬那は、ニヤっと口元を上げて、「私、偉いでしょ?」と胸を張って報告してきた。
ただでさえ暴力的な胸部の武装によってエプロンが押し出され、なんとも煽情的なシルエットになっている。俺は慌てて視線を逸らした。
「お、おう、ありがとう」
そう言うと、瀬那は無言で頭をこちらに向けて、少し下げてきた。
一拍の間考えた。まさか……。
俺は恐る恐る右手を瀬那の頭に乗せて、ナデナデした。
「……♪」
(無言だけど、喜んでるなこれは)
しばらく撫でていると、瀬那がポツリと喋り始めた。
「……朔也くんは気づいていると思いますが、私は学校で少し猫を被ってますにゃー」
(その語尾だと、真剣なのか冗談なのか分かりづらいのだけど……)
「……知ってるよ。処世術か何かだろうから、特に気にしてないけど」
うちにいる時と、学校で他人との接し方が違うのはよくわかる。俺の前や、たまに浩紀たちの前だとその仮面が崩れることがあるが、それは気を許してくれてるからだろう。
「これには理由がありまして、今日みたいなことが起きないようにするためだったのです。他人からすると羨ましいことかもしれませんが、私は目立つ方なのは自覚しています。いつもちゃんと手入れしているので、容姿に自信を持っています。ただ、これは他人のためではなく、自分磨きの一環です」
お風呂上がりの入念なスキンケアだけではなく、瀬那は軽い筋トレやジョギングをしている。最近のジョギングはストーカーを警戒して、このマンションに設置してある住民専用のトレッドミルを使っている。たまに俺も付き合って参加しているので、彼女の努力は知っていた。
「ですが、それを別の角度で感じる方もいます。男性なら恋人対象として。女性だと羨望の対象としてなら良いのですが、嫉妬の対象として見られることの方が多いのです。特に、自分が懸想している男性が、私のことを好きになって……」
「今日の梅沢みたいになるってことだな」
「はい。ただ、森田さんが私のことをそういう対象として見ているとは考えていません。むしろ、若干距離を取っているようにも見えました。浩紀さんに関しては、愛莉さんのことがすごく好きなのが伝わってきますので、心配したこともありません」
「恋愛に関して、和人はよくわからないんだよね。感覚でしかないけど、好きな人がいるような雰囲気はある。ただ、うちの学校ではなさそう」
「そうなのですね」
浩紀と愛莉に関しては、仲を疑う必要もないぐらい、他人の目があってもイチャコラしている。バカップルといっても過言ではない。
しかし、和人に関しては本当にわからない。あんなにモテているのに全く女性の影がない。男色ではないかと言う噂もあったぐらいだ。本人が笑顔で否定していたが。
「これからどうするつもりだ。あいつらから距離を取るか? 俺としては、あいつらはこんな俺でも付き合ってくれる良い奴らだし、信用もできると思っているんだけど」
右手が頭に乗ったまま、瀬那は顔を上げ、俺の方を向く。
その琥珀色の目には、呆れと、ほんの少しの怒りがはらんでいるように見えた。
「『こんな俺でも』って……朔也くんは、たまに自己肯定感が異様に低い時がありませんか?もっと、ご自身の魅力と価値に自信を持つべきです」
「まあそれは置いておいてだな」
……まただ。胸の奥の深い底から、ヘドロのように不快なものがこみあげて、じわじわと息苦しさを感じてきた。
俺は右手は瀬那の頭にのせたまま、いつも通り左耳の銀のピアスを指先で弄り、瀬那に気づかれないよう、無意識に呼吸を整えて心を落ち着かせようとする。
「私としては置いておけないのですけどね……。私も皆さんとは仲良くしたいと思っています。三人とも感じが良い方ですから。特に愛莉さんは、少し壁を作っている私に気づいているはずなのに、気にせずにぐいぐい来て、でもそれが全く不快に感じない方。女性でそんな方がいるとは思いませんでした」
「女性で?男性はいたの?」
「……自覚ないとは……」
「?」
ジト目で見られた……どういうことだ?
「とにかく、梅沢さんのことは気にせず、皆さんと仲良くしていくつもりです。それよりも私は、朔也くんをあんな風に悪く言われたことの方が、何百倍も嫌でした! なにが『あんたみたいなクズ』ですか! 朔也くんほど色々できて、不器用だけど人のことをちゃんと考えられる優しい高校生なんて、他にいません! そんなひどいこと言うあっちの方が、よっぽどダメな人です! アホなのです!」
瀬那が怒りに任せて、梅沢の言葉を引用して放った『あんたみたいなクズ』という言葉。それを耳にした瞬間。
――俺の心の中に厳重に蓋をして沈めていた、黒く濁った『過去』が、決壊して溢れそうになる。
『◾️ー◾️っが◾️◾️◾️クズ◾️◾️ー! 一生◾️◾️で◾️◾️してろこの◾️◾️◾️ッ!』
頭の中で、昔、浴びせられ続けた暴力的な罵声が、瀬那の声に変換されて、グワングワンと脳髄にリフレインする。
『この◾️◾️◾️◾️が! 頭◾️◾️◾️してんじゃねぇのか◾️◾️◾️バカがァ!』
瀬那が俺のことをこんな風に言うわけがない。
それは頭では完全に理解している。理解はしているが、――駄目だ。体が、本能が、あの頃を思い出して震え上がる。
急速に全身の血の気が引き、体温が下がるのがわかる。心臓が氷のように冷たく凍りつき、それを無理やり溶かそうとするかのように、心臓が異常な速さで激しく暴れ回る。
ドッドッドッドッ……!
(駄目だ、ここで崩れたら瀬那が心配する。気持ちを落ち着かせろ! 俺はもう、あの頃の無力な子供じゃない!)
左手で持っていたお守り代わりのピアスを、耳たぶがちぎれるほど強く握りしめる。だが、発作は治まらない。
急激な過呼吸で視界が歪み、胸を締め付ける激痛で立っていられない。
俺はとうとうその場に膝をついてしまい、自然と右手で胸を……服の上から心臓を鷲掴みにするように、爪を深く食い込ませた。
「――っ、朔也くん!? どうしたのですか! ねぇ!」
瀬那の、今にも泣きそうな悲痛な声が遠くで聞こえた。
……ごめん。やっぱり、心配させてしまったか。
(大丈夫、すぐ治るから。心配するな)
俺はその言葉を、声にして発することができなかった。
ただヒューヒューと浅い息を吐きながら、冷たいキッチンの床にうずくまることしかできなかった。
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