第204話 招かれざる参加者
年が明けてしばらくすると、主要科目だけのテストがある。
学年末テストの前哨戦みたいなもので、成績には関係ないが、ここで点数が落ちていると後が大変だよ、ということらしい。
範囲も、今年度に習ったところ全部。
……結構きつい。
ちなみに三年生は自由参加。
受験の方が大事だから、当たり前っちゃ当たり前だ。勉強の成果を見るために受ける者もいれば、テキトーに済ませる者もいるらしい。
そもそも、もう短縮授業に入っているんだったか。三年生に知り合いはほとんどいないから、よく知らないが。
だが、そんな事情は一年生の俺たちには関係ない。
俺も瀬那も旅行中はサボっていたところがあるが、それ以外の冬休み中はそれなりに勉強していたので、まあ問題はない。
例によって、問題なのは浩紀と愛莉。
課題はちゃんと済ませていたが、日頃からこまめに復習するような二人ではない。
習ったことを思い出すだけでも一苦労だ。
「さあ、頑張ろうか!」
「そうだね!」
「……とりあえず、こんなもん作ってみたからやれ」
俺は自宅で作っておいた、今年度ここまでのまとめテストみたいなものを二人に渡した。
暇な時間に、教科書の範囲をもとに AI に問題を作らせてみたのだ。
変な問題が混じっていないか確認して、瀬那にも解いてもらってある。
……便利な世の中になったものだ。
「な、なんでテスト勉強でテストしないと駄目なんだよ!」
「そーだ! そーだ!」
「どこがわかってないのか、わかんねーだろ」
「ぐぬぬぬ……」
唸っている浩紀には悪いが、まずは強制的にやらせるつもりだ。さすがにすべての教科は難しいので、今回は解き方や理解度を確かめたい数学と英語に絞った。ほかの教科の暗記は、家でもやってもらおう。
「出来上がった時、朔也くん、テンションが高かったですよね」
「……それは言うなって」
「ふふ、怒らないでください。いい出来だと思いますよ」
瀬那はそう言いながら、愛莉に消しゴムを貸していた。
始める前から借りてんじゃねーよ。
さて、今回の勉強会は俺の家ではやっていない。
理由は単純だ……家に上げたくない奴らがいるからだ。
「東條くん、これ、自分で用意したの?」
向かい側に立っていた鷹司が、プリントを覗き込んだ。
「ああ。お前もやるか?」
「うん。余ってるなら貰ってもいい?」
「そのつもりで持ってきた」
一部渡すと、鷹司は両手で受け取った。
約束していた通り、今日はこいつも参加している。
……それだけならよかったのだが。
「私も欲しいな」
「あ、私も。どんな問題か見てみたい」
ほかにも、特進クラスの女子が二人。
これまで俺を目の敵にしていた連中が、今日はにこにこと机を寄せている。
……気持ち悪いったらありゃしない。
この二人の顔には見覚えがある。自己紹介も聞いたが、名前を覚えておこうとは思わなかった。
鷹司との約束に二人が加わったのは、今日になってからだ。
正確には、俺が知ったのが今日。
教室に来た鷹司の後ろに二人がいて、当然のように「よろしく」と言われた。
鷹司が何か言いかけて、結局、口を閉じたのも見ている。
そんなわけで、放課後のうちの教室を使うことになった。窓の外では西日が傾き、寄せ合った机の端を橙色に染めていた。
今日は和人がいないが、エレノアはテストに向けて一緒に勉強するため、参加している。
「東條くんって、面倒見いいんだね」
と、肩まで髪を伸ばした方が言った。
「別に。こいつらがわかんねーってうるさいから」
それを聞いて、浩紀がプリントから顔を上げる。
「オレ、まだ何も言ってなくね?」
「これから言うだろ」
「信頼されてんなー」
どこがだ。
余分に刷っておいたプリントを渡すと、肩まで髪を伸ばした方が、俺の横へ椅子を動かしてきた。
「ねえ、わからないところは聞いてもいい?」
「そのための勉強会だろ」
「やった。じゃあ、ここなんだけど」
まだ名前すら書いていないプリントを指さし、そのまま俺の腕に手を掛けようとする――
「触らないでくれ」
「触らないでください」
教室の温度が、二度ほど下がったように感じる。
俺の声に、瀬那の冷たい声が重なったから仕方ない。
それを受けて女子の手が、途中で止まる。
隣を見ると、瀬那もこちらを見ていた。笑ってはいるが、怒っているのが丸わかりの表情だ。
「……自分で言えるぞ」
「私も言いたかったので」
そうですか……まあ、所有権を主張するのは大事だよな。
向かいで愛莉が口元を押さえている。
……笑ってないで解け。
「ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど」
「問題なら聞くから、まずは解いてみてくれ」
女子は唇を尖らせたが、ようやくシャーペンを持った。
鷹司が、端の空いている椅子を引く。
すると、もう一人の、髪を後ろで結んだ女子が顔を上げた。
「そこに座るの?」
「え?」
「東條くんに教えてもらうんでしょ。もっと近くに行けばいいのに」
鷹司の手が止まった。
「ここでも、聞こえるから」
「でも、せっかく――」
「俺の声、そんな小さくねーだろ」
女子がこちらを見る。
俺が口を挟むとは思わなかったのか、たじろいでいた。
「……そういう意味じゃないけど」
「じゃあ、そこでいいだろ」
鷹司は椅子に座り、プリントを机に置いた。
紙の角を揃える指に、少し力が入っているのが見えた。
俺は鷹司から視線を外して、浩紀の手元を覗いた。
「おい。一問目から飛ばすなって」
「いや、解けるところからやろうと思って」
「それで最後まで行ったらどうすんだ」
浩紀はもっともらしく顎に手を当て、「うーん」と考えてから答えた。
「戻る!」
「一周するだけじゃねーか」
「あはは!」
目の前の愛莉が吹き出した。おかしなことを言っているのは、お前の相方だぞ!
「愛莉、お前も笑ってる場合じゃねーぞ」
「私はちゃんとやってるもん」
「名前しか書いてねえ」
「今からなの!」
本当に大丈夫か、こいつら。
瀬那が愛莉のプリントを覗き込み、最初の式の横を指さす。
「まず、これをこっちに移してみてください」
「こう?」
「はい。それで、符号はどうなりますか?」
「あ、そっか」
ようやく、何人かのペンが動き始めた。
俺も小さくため息をついてから、自分の問題集を開き、シャーペンを走らせる。
家には元々俺が持っていた問題集と、瀬那が買い足した問題集がある。もう混ざってしまって、今使っているこれが俺のものなのか、彼女のものなのかさえわからない。
(やったことがあるような、ないような……)
そんなことを考えつつ、気にせず解いていく。前にもやっていたとしても、復習にはなるだろう。
しばらくして、髪を結んだ女子が瀬那に声を掛けた。
「いつも、こんな感じなの?」
「こんな感じ……ですか?」
「二人で教えてあげてるのかなって」
瀬那が俺を見る。
俺は『何が言いたいのかわからない』と首を傾げてみせた。
「教え合うこともありますよ」
「でも、それだと自分の勉強、進まなくない?」
愛莉のペンが止まった。
ついさっきまで何度も消して書き直していた式の横で、シャーペンの先が浮いたままになっていた。
女子は気づいていないのか、そのまま続ける。
「南雲さんなら、もっと難しい問題をやった方がいいと思う。特進だと、もう少し先のこともやってるし」
「今の範囲にも確認したいところはあるので」
「そう? 先生も、もったいないって言ってたよ」
鷹司が顔を上げた。
表情はほとんど動かなかったが、唇だけは固く結ばれていた。
「ちゃんと力を伸ばせる環境にいた方がいいって。特進なら、周りも勉強する人ばっかりだし」
……今、目の前でやってんだろ。
思わず口に出しかけたところで、瀬那が口を開いた。
「私も、自分の勉強はしていますよ」
「うん。でも――」
「今日は、みんなと勉強したくて来たんです」
穏やかな声だった。
ただ、女子が言葉を継ぐのを待たず、瀬那は愛莉の方に向き直った。
「愛莉さん、さっきの続きをやってみましょう」
「あ……うん」
愛莉が小さく頷く。
浩紀まで黙ってプリントを見ていた。シャーペンの走る音だけが、やけに大きく響く。
こいつが静かに勉強するのはいいことだが、こんな黙り方をしてほしかったわけじゃない。
「ひ、人に説明してると、自分が曖昧に覚えてるところもわかるから」
鷹司が言った。
小さな声だったが、静まり返った教室の中では、よく通った。
勇気を出したのだろう。手が少し震えているのが見えた。
「……だから、一緒にやるのもいいと思う」
髪を結んだ女子が、鷹司を見た。
「別に、駄目なんて言ってないよ」
「……うん」
鷹司の声が小さくなる。
俺は問題集を閉じて、浩紀のプリントを引き寄せた。
「あっ、まだ途中!」
「途中なのは見りゃわかる。ここ……うん、合ってるぞ」
「え、マジ?」
「なんでお前が驚くんだよ。次も同じやり方でいけるから」
プリントを返すと、浩紀は前のめりになって式を見直した。
俺は机の中央、全員の手が届くところに解答の束を置いた。
「解答と解説はここな。読んでわかんなかったら聞いてくれ。先に終わった奴は、自分の勉強をしてていいから」
肩まで髪を伸ばした女子が、プリントをめくった。
「東條くんは、教えてくれないの?」
「聞かれたら教えるって、さっきから言ってんだろ」
隣で、瀬那が小さく息を漏らした。
今度は笑ったらしい。
少しして、鷹司がプリントの一か所を指さした。
「東條くん。ここ、聞いてもいい?」
俺は椅子を少し引いて、そちらに体を向ける。
「ああ。どこまでできた?」
「この式までは出たんだけど」
「なら、あとちょっとだな」
鷹司の指が示す途中式を見る。
彼女の視線が、特進の二人を気にするように一度だけ動いた。
俺はその先を追わず、空いている欄を指さした。
「ここ、使っていいか?」
「うん」
教室に来てから張り詰めていた鷹司の肩から、ようやく少し力が抜けた気がした。
「朔也ー。オレもあとちょっとだと思うんだけど」
「……お前は途中式を書け」
「答えは出た!」
浩紀のアホさ加減が、重くなっていた空気を少しだけ軽くしている。
「さっきと違うだろ、それ」
「もち、勘で修正した!」
「計算で修正しろ!」
まったく……。だけど、この調子だと自分の勉強が進まないかもしれない。
「……面白いね」
今まで黙っていたエレノアが口を開いた。
「……何がだよ?」
「うふふ、それはシークレットよ」
エレノアは、いたずらっぽく唇に人差し指を当てた。
「……えぇ」
自分の問題集に目を戻す。
さっきから、同じ問題の一行目を何度読んでいるんだろうな。
やっぱり、勉強が進まない。




