第201話 冬休みが明けて
あれからも視線は何度も感じたが、何かをしてくることはなかった。それはそれで気持ち悪いが。瀬那に持たせた防犯用のリングもメンテナンスを済ませてあるし、今できる対策はひと通りしてあるはずだ。
せっかくの休みなので、瀬那の眼についても何かできないか調べてみた。効果があるかもしれないものが見つかったので、休みの間にそれを作り始めている。
どこまで効果があるかはわからないけど、コンタクトレンズをしなくていいなら、その方が楽だろうしな。
まだ試してもいないものを、できたも同然のように話すつもりはない。
それでも、作業をしていると、完成したものを渡す時の反応を考えてしまう。喜んでくれるといいのだけど。
……その前に、ちゃんと使えるものにしないとな。
そんな休みもとうとう終わり、今日から三学期だ。
そして、来年度から二学期制になるため、うちの学校にとっては最後の三学期にもなる。
在学中に制度が変わるなんて、珍しい経験ができるんだな、ぐらいの気持ちだけど。
始業式の日に授業はなく、課題の提出と来年度に向けた説明などがあるだけだ。
午前中には終わるので、その後はみんなでファミレスに行こうという話になっている。
「忘れ物はないですか?」
「ああ、課題もすべて入れてある。さっき確認したし、大丈夫だろう。瀬那も OK?」
「もちろんです」
「そうか。あ、一応連絡しておくか」
俺はメッセージアプリのグループを一つ開いた。
『@ひろ @あいり 課題を忘れるなよ』
一言だけだが、満足してアプリを閉じる。
すぐに瀬那にも通知が届いたのだろう。スマホを確認して苦笑していた。困ったように眉を下げながら、それでも口元は少し緩んでいる。
「……朔也くん」
「連絡するだけ、いい友達だろ。これで忘れたら俺は知らない」
「そうとも言えますが……。仲のいい方たちだけなので、いいですかね」
ヴヴ……。
スマホが震えたので画面の通知を確認すると――
『朔也! 連絡はありがたいけど、グループに送ってくるのは悪意がある!』
『そーだ! そーだ!』
――早速、見てくれたようだ。うん、満足だ。
「よし、これで大丈夫だな。行こうか」
「返信しなくていいのですか?」
「……いる?」
「してあげてもいいと思いますよ?」
瀬那に言われたら仕方ないので、エレベーターに乗っている間に返信することにした。さて、なんて書いてやろうか……。
打っては消し、打っては消し。親指が止まったまま、階数表示だけが一つずつ減っていく。
うーん、と悩んでいると、瀬那が「くすっ」と笑った。
……なんだ?
「面白いことでもあったか?」
「いえ、朔也くんも変わったなと思いまして。もちろん、いい意味でです」
「……そうか」
「そうです」
瀬那がいつの俺と比べて変わったと言っているのかはわからないが、返信に悩む姿を見て、何か感じ取ったのかもしれない。
確かに、すれていたころの俺が今の姿を見たら、笑い出しそうな気もする。
気恥ずかしさを誤魔化すために、俺はスマホに目を落とした。
何を書くのか楽しみにしているような顔をされると、妙にやりづらい。……期待されるほど、まともな返事を書くつもりはないんだけどな。
『すまん、送り先を間違えたな。クラスグループの方がよかったよな、ごめん』
『それはもっと違う! あと、二回謝るのは逆にガチそうで怖いよ!』
「くすっ」
また隣で笑われてしまったではないか。
……まあ、いいか。
◇
朝のホームルームで、三波先生が課題を集めていた。
三十人以上いるクラス全員の課題を回収するのも大変だろうが、あの小柄な先生がすべて持っていくのは、もっと大変だろうな。
と、そんなことを考えていたら、先生と目が合った。
そのまま数秒、目が合ったあと先生はなぜかにこっと笑った。
「申し訳ありませんが、東條くん、課題を運ぶのを手伝ってくれますか?」
「……なんで?」
「目が合ったからです♪」
「マジか……」
理不尽に感じるが、ここで頑なに拒否するのも違う気がした。それに、先生には迷惑をかけているので、これくらいならいいだろう。
「了解です。……浩紀、悪いけど席を取っておいてくれるか?」
「オッケー!」
この後は講堂で始業式だ。
クラスごとに座る場所は決まっているので、その中で浩紀に席を確保してもらう。もちろん、一人でもいいのだけど、式は無駄に長いし、周りをあまり関わりのない奴らに囲まれると辛い。
課題を持ち上げてみると、思った以上に重かった。これを全部、小柄な先生一人で運ぶのは、やはり無理がありそうだ。
「すべて持たなくていいですよ。半分ずつにしましょう」
「それでしたら、そっちにあるものをお願いします。上に重ねると不安定になりそうなので」
大量のノートは俺が持ち、先生には比較的軽いプリント類を持ってもらった。
腕にずしりと重みがかかるが、歩けないほどではない。
「ふふ、ありがとう、東條くん。彼女持ちは違いますねー」
「……どういう意味ですか、それ」
「まあ、気にしないでくださいね。それでは行きましょう」
先生と並んで廊下を歩き出す。冷えた廊下に、二人分の上履きの音だけが響く。
今は三年生が移動していて、一年生が講堂へ向かうのはもう少し後なので、この辺りの廊下にはほとんど人がいない。
人を避ける必要もなく、ただ重いものを運ぶだけで済みそうなミッションだった。
そして、教室から少し離れたところで、先生が口を開いた。
「東條くん……最近はどうですか、ご家庭の方は」
「……そういうことですか」
目が合ったから、というだけではなかったらしい。三者面談の後も、気にかけてくれていたようだ。
小中学校と違って、高校ではあまり家庭のことまで首を突っ込まなくてもいいと思うのに、優しい先生だ。
「すみません。呼び出すと、それはそれで誤解を招きますから。こういうタイミングでないと……ね」
先生は申し訳なさそうに眉を下げて、言葉の端を濁した。
「わかりますよ。まあ、ぶっちゃけ変わっていないですよ。というより、このまま変わらなくていいので」
軽く言ったつもりだったが、先生の顔は見られなくて、俺は前を向いたまま歩いた。
少しの沈黙のあと、先生が控えめに口を開く。
「……お正月は、実家には帰らなかったのですか?」
「少しだけ帰りました。義妹のことも気になったので」
帰省した意味は、あまりなかったけどな。
強いていえば、詩織と両親の様子を確認できただけでも、よかったのかもしれない。
「妹さんがいるのですか?」
「はい、一つ下に」
「……こんなことを訊いていいのかわかりませんが、妹さんは大丈夫なのですか?」
先生は歩みを止めて、俺を見上げた。
その表情には、不安がにじんでいるように見えた。
俺は抱えていたノートを少し持ち直す。大丈夫か、と訊かれると、すぐには答えが出なかった。
腕の中のノートが、さっきより少し重く感じた。
『単純に、いい方向に変わったんだって思えないのが、《《私たち》》なんだよね』
詩織の言葉が、ふと頭をよぎる。
あいつが気にしていたのは、両親が急に世話を焼くようになったことだ。今、何かをされているという話ではない。……だからといって、心配がないわけでもないのだけど。
「さすがに俺のことで懲りているでしょうから、母親も下手なことはしないでしょう。義父さんもいるので」
「……母親」
何か気になるところがあるようだけど、先生の立場でこれ以上できることはないだろう。……それに、先生が背負うことではない。
「先生、気にしなくて大丈夫ですよ。家族にも色々あるってことですよ」
「……もし、耐えきれなくなったら、相談に乗りますからね」
「……ありがとうございます」
先生は何か言いかけたように口を開いたが、それ以上は訊かずに小さく頷いた。
俺もノートを抱え直して、止めていた足を動かす。少し遅れて先生の足音が隣に戻ってきた。
正直、家のことを話すのは好きじゃない。
それでも、こうして気にかけてもらっていることまで、迷惑だと思っているわけではなかった。
この先生、優しいのだと思うけど、胃に穴が開かないか心配だ。
……マジで。




