第193話 涙のあとに、いつもの二人
話が終わっても、瀬那は俺の腕の中でうずくまっていた。時折、しゃくり上げる声が聞こえてくる。嫌な記憶を思い出したのだから、無理もない。
俺は彼女の気持ちが落ち着くまで、その背中を撫で続けた。
そのまま数分が経つと、今度は静かな寝息が聞こえてきた。どうやら、泣き疲れて眠ってしまったらしい。
腕の中の寝顔がどこか幼く見えて、自然と頬が緩む。今まで、このことを誰かに話して泣くことさえできなかった反動なのかもしれない。彼女の性格からして、そう簡単に人に泣きついたりはしないだろうしな。
(そういう意味でも、瀬那の支えになれていたらいいんだけどな)
腕の中に感じる小さな重みが、今はやけに愛おしく思えた。
実際に支えになれているのかはわからない。それでも、そうなれるように努力することはできるはずだ。
眠ってしまった彼女を静かにベッドまで運び、横たえる。ブランケットをかけて、そっと頭を撫でた。
「う、うーん……」
「ごめ……寝ているか」
起こしてしまったかと心配したが、杞憂だったようだ。ただ、眉間に皺が寄っている。嫌な夢でも見ているのかもしれない。
「い……いや……」
そんなことを考えていると、寝言が聞こえてきた。当たってほしくない予想に限って、当たるもんだな。
「大丈夫、大丈夫だから」
そう言って頬に手を当てると――
ぎゅっ。
――その手を捕まえられてしまった。
一瞬、やっぱり起きているのかと思ったが、目を開ける気配はない。何かに縋っていたいのかもしれない。
あの出来事が瀬那に何を感じさせたのか、すべて理解できるとは言えない。俺が自分の事件の時に感じたことを、誰かに全部わかってもらうのが難しいのと同じだ。
それでも、彼女がしたいことや楽しいことを一緒にしたり、愚痴を聞いたりはできる。こうやって手を繋いでいるだけでもいい。
瀬那が望む形で、支えていこう。
◇
一時間弱、そのまま手を握っていた。
俺もうとうとし始めた、その時だった――
「!?」
――急に、手を掴む力が強くなった。
はっとして瀬那の顔を見る。特に変化はない……いや、なくもない。
瞼が少し震え、小さく唾を飲み込むのが見えた。
顔を覗き込むと口元がわずかに緩みかけ、すぐに引き結ばれる。
……なるほどそう言うことか。
なぜ寝たふりを続けているのかはわからないが、そのつもりなら、少し付き合ってやろうじゃないか。
今にして思えば、寝落ちしかけていたせいで、俺も頭がぼーっとしていたのだろう。狸寝入りしている瀬那に、ついイタズラをしたくなってしまい、口角が自然と上がっていくのを、自分でも止められなかった。
俺は、瀬那の唇に優しくキスをしてみた。
彼女は少しだけビクッとしたものの、まだ目を開けようとしない。
……そこまでして続ける意味がわからないが。
ならばと、次は頬にキスをしてみる。
……変化なし。当たり前か、唇よりインパクトは少ないわな。
お次は……やっぱり――
「ひゃう!」
――首を舐めてみた。可愛い声が出たもんだ。
俺の性格を知っている瀬那なら、耳に来ると思っただろう。実際、一度耳元へ顔を寄せておいたので、そちらを警戒していたのかもしれない。
……まあ、それも無駄に終わったようだが。
しかし、明らかに声まで出したにもかかわらず、彼女はまだ必死に目を瞑っていた。その時点で、誤魔化せていないんだが。
次はどうしようか。
このまま見つめていれば、根負けして目を開けるだろう。それだと面白くない。……ならば。
瀬那にかけていたブランケットをずらし、顔を近づけた。
そして、へそのあたりに口を当て、息を吹き込む――
「ぶぶぶぶっ!」
「ひゃあっ!? ちょ、あはははっ! や、やめてください! くすぐったい、くすぐったいですっ!」
さすがに、これは耐えられなかったらしい。
瀬那はたまらず目を開けると、笑いながら俺の頭を押し返してきた。
「な、何するんですか!」
「スキンシップだが?」
「そんなこと彼女にして、楽しいのですか!?……いえ、楽しいですよねー」
「もちろんな」
いつものジト目を向けてくるが、怒ってはいなさそうだ。
「何をしてくれるのかと思ったら、こんなことだし……」
「狸寝入りしていた瀬那こそ、何を期待していたんだよ。……それより、大丈夫か?」
きょとんとした彼女は、「うーん」と少し考えてから口を開いた。
「……なんだか、寝る前の嫌な気持ちが少し薄れました。そうですね……これからどうするかを考えた方がいいのかもしれません」
「そうだな。朱門さんがどう考えているかは、ちゃんと話してみないとわからないけど……俺は、瀬那が心配しているようなことじゃないと思う」
「簡単に言いますね……でも、朔也くんがそんなふうに楽観的だと、そうなのかもしれないって思ってしまいます」
どういう意味だろうか。何か失礼なことを言われている気がする。
「どういう意味――」
コンコン。
聞き返そうとしたところで、部屋のドアがノックされた。
「失礼しまーす。ご夕食の片付けに参りましたー」
そういえば、まだ食器を下げてもらっていなかった。
瀬那が寝ている間に来なくてよかった。
仲居さんたちを招き入れ、片付けてもらう。
ところが、入ってきたうちの一人は……フロントの石田さんだった。
「……」
なんとなく、俺一人だけが気まずくなっている。向こうと目も合わないし、気にしなくていいのだろうが。
「朔也くん、気にしすぎじゃないですか?」
「いや、これは致し方ないで候」
「なんでそんな口調……」
瀬那が小声で呆れている。
『石田』がよくある苗字の一つなのは、わかっている。気にしすぎなのも承知しているのだけど……。
俺の心配をよそに、食器はどんどん片付けられていった。
最後の一つを手に取った石田さんと、不意に目が合う。
「そういえば、お客様って高校生なのですよね?」
「!?」
「え、あ、はい」
思わず身構えた俺の隣で、瀬那が答えた。
「やっぱり! お若いと思って!」
気になるのは、わからなくもないが。
石田さんは食器を持って部屋を出ていき、やがてドアが閉まった。
その向こうから、声が聞こえてくる。
『石田! お客様にプライベートなことを聞かない!』
『だって、気になったんですもん!』
……おい、まだ聞こえているぞ?
瀬那と目が合い、二人で苦笑するしかなかった。
「……今回は賑やかなだけの方だけみたいですね」
「ああ。こっちの緊張まで持っていかれた」
そう答えると、瀬那がくすっと笑った。
目元には、まだ少し泣いた跡が残っている。それでも今は、俺を見て笑ってくれていた。
部屋の中に、ようやくいつも通りの静けさが戻ってきた。
その手に触れると、今度は瀬那の方から指を絡めてくる。
俺も、そっと握り返した。
作者からの豆知識。
寝ている間は唾を飲み込む回数が少なくなりますが、まったく飲み込まないわけではないそうです。
なので、それだけで狸寝入りを見抜くのは難しいようです。
まあ、皆さんが狸寝入りする際は飲み込まないようにした方が良いですよ!




