第191話 演劇が残したもの
Side:南雲 瀬那
観光から旅館へ戻ってきた私たちは、先に大浴場へ入ることにしました。
今日は最後の夜ですので、大浴場を楽しんだ後は、部屋の露天風呂にも入る予定です。
……もう一度、朔也くんと一緒に入りたいとお願いしたのは、私なのですが。
せっかく二人で来た旅行なのです。
もう一度ぐらい、いいではないですか。
身支度をして大浴場へ入ると、浴場の端に大きめの石が置いてありました。
朔也くん曰く、これにも『揺らぎ』が見えているのでしょうか。浴場にあるということは、効果としてはリラックス効果とかでしょうか。
今度、聞いてみてもいいかもしれませんね。
昨日までの私なら、「少し変わった石ですね」で終わっていたのでしょう。
けれど、今は違います。
この石にも何かあるのではないか。
あの柱にも、壁にも、私には見えない何かがあるのではないか。
そう考えると、今まで何気なく見ていた景色まで少し違って見えました。
(朔也くんには、ずっとそんな世界が見えていたのですね)
全部を理解したとはとても言えません。
それでも、昨日までよりほんの少しだけ、朔也くんの見ているものに近づけた気がします。
……そう考えると、少し嬉しいです。
肩まで温泉に浸かり、小さく息を吐きます。
身体から力が抜けていくのを感じながら、私は昨日のことを思い返していました。
朔也くんが話してくれた以上、私ももう一つの黙っていたことを話すべきだと思うのです。
あの演劇を観てから、ずっと考えていたことを。
昨日、朔也くんは話しにくいことを話してくれました。
なら、私だけ黙ったままというのは、なんだかずるい気がします。
(失望は……されないでしょうが、呆れられるかもですね)
それでも、言わずにいるよりはいいはずです。
ゆっくりと温泉を堪能してから大浴場を出て、身支度を整えます。
先に出ているであろう朔也くんのところへ向かうと、湯上がり処で誰かと話している姿が見えました。
「あら、あなた……」
「ん?」
朔也くんの前にいたのは、年配のご夫婦です。
どこかで見たことがあるような……。
「やっぱり。そのピアスは覚えているわ。金沢でも会ったの、覚えてる?」
「……あっ! フロントで助けてくれた方ですね。その節はありがとうございます」
朔也くんが立ち上がり、二人へ頭を下げました。
そこで私も思い出しました。以前、金沢へ行ったときにお会いしたご夫婦です。
まさか、こんなところで再会するなんて……。
「今日も、あのお嬢さんと一緒かい?」
「えぇ、もちろんです。今は出てくるのを待っています」
「そうかい。仲が良いことはいいことだ」
……あのお嬢さん。
間違いなく、私のことですよね。
なんとなく声をかけるタイミングを逃してしまい、少し離れたところで足を止めていると、奥様がこちらに気づきました。
「あら、ちょうど出てきたわね」
「あっ……お久しぶりです」
私も慌てて頭を下げます。
「あなたも元気そうでよかったわ」
「はい。お二人もお元気そうで何よりです」
軽く挨拶を交わしたあと、ご夫婦はそれぞれ大浴場の入り口へと向かっていきました。
その背中を見送ってから、私は朔也くんの隣へ座ります。
「偶然って、あるものですね」
「俺もびっくりしたよ。まさか、ここで会うとはな」
本当にそう思います。
遠く離れた旅先で、一度会った人ともう一度出会う。
こういうこともあるのですね。一期一会と言いますが、この場合はなんと呼べばいいのでしょうか。
単純に二期二会? ……そんな言葉、あったでしょうか。
そんなこともありつつ、そのまま部屋へ戻ると、すでに食事の準備がされていました。
すべてではなく、食器や鍋などが用意されていて、テーブルには一枚のメモが置かれています。
『お戻りになりましたら、内線にてご連絡ください』
朔也くんが内線で連絡をしてくれて、ほどなくして料理が運ばれてきました。
次々と料理が並べられていきます。
初日と同じく、この旅館らしい地元の料理が中心ですが、当然ながら内容は少しずつ変わっています。
「……食べられそうか?」
「何故、私に聞くのですか?」
「昼に蕎麦食って、そのあとおやきも食べただろ」
思わず、うっと言葉に詰まってしまいます。
「朔也くんも半分食べていたではないですか」
朔也くんは悪びれる様子もなく、飄々と言い放ちます。
「俺はいいんだよ」
「ずるいです」
そう言いながら箸を取ります。
「それに、旅行中は細かいことを気にしてはいけないのでしょう?」
「それ、お前が言ったやつだからな?」
呆れながらも、朔也くんは笑っています。
さあ、この旅館での最後の晩ご飯をいただきましょうか。
◇
食事をしながら、今日見たものの話をします。
麻釜のこと。
お土産屋にあった、よくわからない金色の剣のこと。
そして、来年もまたここに来ようと約束したこと。
どれも特別な話ではありません。
けれど、こうやって今日あったことを二人で話す時間が、私は好きです。
食事を始めて数十分、二人とも食べ終わったころ。
楽しかった今日の話も一段落し、部屋には穏やかな空気が流れています。
……今なら、話せるでしょうか。
いえ。
むしろ、今だからこそ話したくない気持ちもあります。
せっかくの旅行最後の夜なのです。
このまま他愛のない話をして、お風呂に入って、隣で眠る。それでもいいのではないかと思ってしまいます。
けれど――
『言わなければ、嫌っていると思われても仕方がないのでしょうか』
あの演劇を観たとき、自分で口にした言葉を思い出します。
……駄目ですね。
ここで逃げたら、あのとき何も学ばなかったことになってしまいます。
……緊張しますが……。
膝の上で一度、ぎゅっと手を握ります。
大丈夫です。話すと決めたではないですか。
「朔也くん……一つ、お話があります」
「改まってなんだ?」
「昨日、朔也くんが色々と話してくれたので、私もどうしても話しておきたいことがあるのです。この機会を逃すと、なかなか話すタイミングがなさそうなので」
私の雰囲気に何かを感じたのか、少し姿勢を正してくれました。
……それが余計に緊張させます。
「芸術鑑賞会のあの演劇を観て、気づいたことがあります。言わないと伝わらないことがあるって。言葉にすると当たり前なのですが、すれ違いが起きる一番の原因なのではないかと考えたのです」
「確かに、あの演劇はそういう内容だったな。……待って、何か俺やらかしたか?」
「え?……いえいえ! 朔也くんが『何か』をしたのではなく、私が『何か』をした、になります」
「瀬那が? ……こっそり俺の私物でも持っていった?」
この人は、なんでそんな方向になるのでしょうか……。
まあ、バレていないようですけど。
「……」
「いや、なんで黙るんだよ」
「今はその話ではありません」
「否定してほしいんだけど!?」
話が脱線してしまったので、「ごほん」とわざとらしく咳をして、再度姿勢を正します。
「……あの演劇を観て、いつか話しておきたいと考えたのです」
「……何を?」
「私が叔母様――美乃里姉さんを嫌っている理由です」
「……そのことか」
美乃里姉さんを嫌っている理由……いえ――
「嫌っているというのは嘘で、本当は遠ざけている……遠ざけたいのです」
「……あぁ、そうだったのか。嫌っていないのは知ってたけど、離れたがっていたのか」
「……やっぱりバレていましたか」
一度、視線を膝へ落とします。
「そうです。美乃里姉さんのことは嫌っているどころか、大好きです。南雲の家で私とちゃんと接してくれた数少ない一人ですし、小さい頃は相馬兄さんと一緒に遊んでくれましたし……でも、それがいけなかったのです」
「?」
もちろん私は覚えていませんが、私が生まれたとき、両親が私を毛嫌いしている中で、美乃里姉さんは気にせず赤ちゃんだった私を抱いてくれたらしいです。
兄さんも姉さんに連れられて、私の面倒を見てくれたと、ひいおばあちゃんたちが教えてくれました。
「朔也くんは、どうして姉さんの苗字が『南雲』ではなく『朱門』なのかわかりますか? 私の父の妹なのに、です」
「そりゃ、結婚して……あれ? 五条さん……?」
途中まで口にしたところで、朔也くんも違和感に気づいたようです。
「……姉さんは、私が知る限り未婚です。朱門家の誰かと結婚したわけでもありません」
朔也くんがこちらを見ています。
その視線を受け止めきれず、私は一瞬だけ目を伏せてしまいました。
言わなければ。ここまで話したのですから。
私は膝の上で手を握り、一度だけ息を吸いました。
喉の奥がぎゅっと締まるのを感じながら、私はゆっくりと口を開きました。
「……養子になったのです」
一度、そこで言葉を切り――
「いえ――養子に出されたのです」
――言い直します。
「……誰に?」
「問題は……そこではないのです」
私は首を横に振り、そして、ずっと口にしたくなかった言葉を告げました。
「……私のせいなのです」
「はぁ?」
部屋の空気が、一瞬だけ止まったような気がしました。
旅行の最後の夜に話すような内容ではないかもしれませんが……心の中で、朔也くんに謝っておきます。




