第190話 来年も、その次も
年末と年始。
その境目で俺は……俺たちは一段階進んだわけだ。
年が明けて早々の出来事としては、良い始まりだったのではないかと思う。
……少し変態チックか。
付き合い始めてから初めての年明けを、一緒に旅行先で迎えるという、高校生としては稀有なことをしている俺たちだが、この旅行も明日までとなっていた。
元日ぐらいは忙しなく移動したくない。
三ヶ日の最後は交通機関が混むのではないか。
――という理由で、その間の二日に帰ることになったわけだ。
「お待たせしました」
「よし、さあ行くか」
朝起きた後、二人ともシャワーを浴びた。
一緒に入ったかどうかは黙秘しておく。
現在時刻は十一時半。
起きるのが遅く、旅館の朝食に間に合わなかったため、これから朝飯兼昼飯を取りに出かけることにした。せっかく元日なのだから、この土地らしいものを食べようということになったわけだ。
そのまま観光をゆっくり楽しむ予定だ。
あらかじめ調べていたお店へ向かう。
寝た後に雪が降ったらしく、昨日より少し雪が積もっていた。
「寒いですが、やっぱり陽が出ていると若干暖かいですね。……あと地味に眩しいです」
「ホントだな。ほれ、転ぶなよ?」
「はい♪」
瀬那は俺の腕に自分の腕を絡めるようにして組んでいる。気のせいだろうか、昨日より密着具合が強く感じた。
昨日までなら気にしなかった距離なのに、今日は妙に意識してしまう。
俺は陽の光とは別の眩しさまで感じているが、瀬那も瀬那で何か思うところがあるのかもしれない。
昨日までと同じ場所のはずなのに、元日だからだろうか。温泉街の雰囲気が少しだけ違って感じる。
軒先には正月飾りが下がり、雪の白によく映えている。
閉まっている店もちらほらあるが、思っていた以上に営業している店は多い。歩いている観光客もかなりいた。
「もっと静かだと思っていました」
「俺も。元日だからほとんど閉まってると思ってたわ」
「スキー場も普通に営業していますし、観光地にとっては繁忙期なのかもしれませんね」
「なるほどな。俺たちみたいなのが大量に来るわけだし」
軒下から少し離れ、屋根から落ちてくる雪を避ける。
道路は除雪されているものの、端には俺の腰より高く雪が積み上がっている場所もあった。
「それで、昼はさっき見せたお店でいいんだよな?」
「はい、温かいものが食べたいですから」
「俺も。じゃあ、蕎麦屋に行こうか」
大晦日の夜にも小さな年越しそばを食べた気がするけど、そこは気にしないことにする。
少し歩き、目当ての蕎麦屋へ入る。
俺は山菜の入った温かい蕎麦、瀬那はきのこの蕎麦を頼んだ。
「はぁ……温まります」
湯気の立つ器を前に、瀬那が幸せそうに息を吐く。
「雪の中歩いたあとだと余計に美味いな」
「はい。……昨日もお蕎麦を食べた気がしますけど」
「言うな。俺も今思ってた」
それを言われて俺も思い出す。
ただ、幸いなことにあの時とは味付けが少し違う。同じ地域でも、店によって味付けは違うらしい。
「ふふっ。でも、昨日は年越しそばで、今日は昼食ですから別物です」
「そういうもんか?」
「そういうものです」
断言された。まあ、わからんでもない。昨夜出たのは小さめのお椀だったので、しっかり食べた感じはしなかった。
そういう意味なら、蕎麦で良かったのかもしれないな。
セットに付いてきた野沢菜を口に入れる。
昨日の旅館でも何度か食べたけど、こちらも塩気や味が少し違うのが面白い。
「これ、家に買って帰るか?」
「野沢菜ですか?」
同じく野沢菜に箸を進めていた瀬那に言う。
「ああ。瀬那、結構食ってただろ」
「朔也くんも同じぐらい食べていたじゃないですか」
「じゃあ決まりだな」
「ですね」
少しゆっくり食事を取ってから外へ出た。
この後は、特に行き先を細かく決めているわけではない。
昨日まで二日間スノボーをしていたし、今日はのんびり温泉街を歩くだけでもいいだろう。
「まず、あそこ行ってみるか?」
指差した先にあるのは、大きな木造の建物。
野沢温泉を調べると必ずと言っていいほど出てきた『大湯』だ。
「昨日も前を通りましたけど、明るい時間だと印象が違いますね」
「夜は夜で雰囲気あったけどな」
「入りますか?」
瀬那が入口へ視線を向ける。
俺も少しだけ考えたが、すぐに首を横へ振った。
「旅館帰れば温泉あるしなぁ……」
「私も同じ意見です」
二人して建物を眺めるだけにして、そのまま通りを進む。
外湯巡りを目的に来ているなら片っ端から入るのもありなのだろうけど、俺たちは昨日から何度も温泉に入っている。温泉自体はお互い好きなのだけど、さすがにそれだけに時間を使うのももったいない。
温泉地に来て、目の前の温泉を見送るという贅沢な選択をしていた。
「……あっ、朔也くん」
「ん?」
「あれを見てください」
瀬那が立ち止まり、土産物屋の店先を指差している。
並んでいたのは、野沢菜や饅頭――その横には、大量のキーホルダー。
「……出たな」
「……出ましたね」
「観光地特有のよくわからないキーホルダー。少し見ていこうぜ」
「この流れだと、前川さんに買いそうですね」
そう言いながら瀬那も笑っている。
「さすがに買わんて」
「どうだか」
金ぴかの龍。
金ぴかの剣。
何に使うのかわからない鈴。
やたらと存在感のある『開運』の文字。
……そして『野沢温泉』の文字。
「やっぱり、こういう金ぴかの剣って、どこの観光地にもある気がする」
「需要があるから残っているのでしょうけど……誰が買うのでしょうね?」
「小学生が買うイメージだな……瀬那、買ってやろうか?」
「いりません」
こちらを見ずにぴしゃりと言い切る。
そこまでいらない感じですか……?
「……即答かよ」
「当たり前です……待ってください、今の流れって『小学生のように小さいから』ってことですか!?」
「ちがっ……邪推するなよ」
それだと俺が瀬那を子ども扱いしてるみたいになるだろうが……。
結局、普通に野沢菜と土産用の菓子をいくつか購入した。
店を出てさらに坂道を進むと、周囲に漂う湯気が少しずつ濃くなってくる。
「……すごいですね」
瀬那が感嘆の声を漏らした。
目の前にあるのは『麻釜』。
雪に覆われた景色の中で、そこだけ大量の白い湯気が立ち上っている。
気温が低いからだろう……湯気の量が余計に多く感じる。
「九十度以上あるらしいぞ」
「ほとんど沸騰しているではないですか」
「だから地元の人が野菜とか茹でるのに使ってるんだってさ」
「温泉を……調理に……」
目を開いて驚いている。口も半開きになっているぐらいだ。
瀬那の中で『温泉=入るもの』という常識が音を立てて崩れているらしい。
温泉で茹でるという発想に驚く気持ちはわかるが、驚きすぎじゃないですか、瀬那さん。
「なんでそんな顔してるんだよ」
「いえ、温泉といえば入浴するものという印象が強かったので。生活の一部としてこういう使い方をするのは面白いな、と」
「さすがに俺たちは入れないけどな」
「入ったら大惨事ですよ!?」
そういう意味じゃない。
地元の人しか中に入れないという意味で言ったのだが、瀬那には別の意味で伝わったらしい。
「さすがの俺でも九十度の温泉に入ろうとは思わん」
「朔也くん、時々とんでもないことをしますから……」
「しないからな?」
「どうでしょう?」
瀬那は疑うように目を細める。
「なんで疑われてるんだよ……」
湯気の向こうで瀬那が楽しそうに笑っている。
白い湯気の向こうで揺れる笑顔を眺めていると、指先の冷たささえどうでもよくなってくる。
……平和だ。
昨日、神社で願ったことを思い出す。
『今年は、瀬那と穏やかに過ごせますように』
まだ今年が始まって半日程度しか経っていないが、今のところは願い通りだ。
「朔也くん?」
「ん?」
「何を笑っているのですか?」
自分でも気づかないうちに、口元が緩んでいたらしい。
俺は白い息を吐きながら、隣の瀬那を見る。
「別に。平和だなって思っただけ」
「……そうですね」
瀬那が俺の横へ並ぶ。
「ずっと、こんな感じだといいですね」
「ああ」
白い息が二つ、湯気に混ざって消えていった。
◇
その後も特に目的を決めず、温泉街を歩いた。
昨夜初詣をした神社の近くまで行ってみたり、お土産屋を覗いたり、店先で売っていたおやきを半分ずつ食べたり。
「昼ご飯を食べたばかりでは?」
「これは別腹です」
瀬那は誇らしげに、小さく胸を張った。
「さっき蕎麦屋でも同じような理屈聞いた気がするぞ」
「旅行中は細かいことを気にしてはいけません」
瀬那がにっこりと笑いながら、おやきをもう一口頬張った。
「便利な言葉だなぁ」
とか言いながら、俺も半分食べているので人のことは言えない。
それに気づいたのか、瀬那も「ふふ」と柔らかく笑っていた。俺もそれにつられて笑いが漏れていたと思う。
午後になると雪が少し弱くなり、雲の隙間から薄く青空が見えるようになった。
せっかくだからと『おぼろ月夜の館』にも寄ってみる。
『故郷』や『春が来た』などを作詞した高野辰之という人物に関する記念館らしい。
「こういう所、瀬那好きそうだな」
「好きですよ。朔也くんは?」
「嫌いじゃない。知らないことを知るのは面白いし」
「ふふ、なら一緒ですね」
館内をゆっくり見て回り、喫茶コーナーで一休みする。
窓の外には、相変わらず一面の雪景色。
昨日まではその雪の上をスノーボードで滑っていたのに、今日は暖かい室内から眺めている。
「こういう旅行も良いですね」
窓の外の雪景色を眺めながら、瀬那が穏やかな声でそう言った。
「スノボーしない方がよかった?」
「そういう意味ではありませんよ。どちらも楽しいという意味です」
瀬那は少し慌てたように、カップを持つ手に力を込めた。
「わかってるよ」
「もう……」
カップを両手で包みながら、瀬那が外へ視線を向ける。
「明日には帰るのですよね」
瀬那はカップの縁を指でなぞりながら、小さく呟いた。
「そうだな」
「……早いですね」
「三泊の旅行なんだけどな」
瀬那は小さく首を振り、窓の外へ視線を戻す。
「それでもです」
少し寂しそうに言う瀬那を見て、俺も同じことを思っているのだと気づく。
来るまでは三泊もあると思っていた。
でも、気がつけば、ゆっくり過ごせるのは今日が最後だ。
「また来ればいいだろ」
「……また?」
「来年でも、その次でも。今度はもっと上手く滑れるようになってからさ」
「はい!」
瀬那が嬉しそうに頷く。
差し出された小指を見て、俺は思わず頬が緩むのを感じた。
「約束ですよ?」
「はいはい」
軽い返事に、瀬那がむっと頬を膨らませた。
「返事が軽いです」
「ちゃんと覚えてるって」
俺は苦笑しながら、瀬那の頭に軽く手を置いた。
「ならいいです」
これで、来年の予定が一つ増えたらしい。
もっとも、一年後にどうなっているかなんて、俺にはわからない。
それでも――
来年も、その次も。
当たり前のように瀬那が隣にいる未来を想像できるようになったことだけは、去年までの俺とは大きく違うのだろう。
「そろそろ帰るか?」
「そうですね。少し歩き疲れました」
「昨日まで散々滑ってたもんな」
「今日は早く寝られそうです」
昨日までのスノボーによる筋肉痛はそれほど残っていないが、それでも疲れはあったようだ。
晴れているとはいえ、雪の中を歩いていると少しずつ疲れが積もっていたみたいで、俺も瀬那と同意見だった。
「そうだな、今日は早く寝れるかもな」
「……」
「いてっ!」
何故か肩を叩かれた。しかも、わりと強めに。
そのままそっぽを向く彼女。
「なんだよ?」
「……別になんでもないです」
疑問は残るものの、これ以上追及してはいけないと俺の勘が言っていたので、スルーすることにした。
白い息を吐きながら、俺たちは並んで歩き出した。
外はまだ明るい。 元日の夜は、まだ少し先だ。
第四章に入ります。
これからもよろしくお願いします!




