SS 東條 詩織:義兄とプール・後編
スライダーには、予想したとおり長い列ができていた。
プラカードには十五分待ちと書かれているので、思ったよりは待たないのかも。
「……結構高い所まで上るんだね」
「予想よりは高いな」
「ぶっちゃけていい?」
「どうぞ」
階段を上るにつれて、さっきまで遊んでいたプールがどんどん遠くなっていく。それは良いのだけど……金属製の階段は足元の踏み板には細かな穴が空いていて、その隙間から下が見えるし、誰かが歩くたびにわずかな揺れが伝わってくる。
……これが地味に怖い。
「この鉄骨で組まれた足場が……何か心許なくて、ちょっと怖いかも」
「あー、わかる。揺れるのが怖く感じるよな」
「うん、それ!」
共感してもらえて良かった。
あと何組かで順番になるところまで来て、気づいたことがある。
前の人たちを見ていると、専用のゴムボードに二人で乗り込んでいた。
……これ、二人で滑るの!?
そう言えば、入り口で受け取ったボードは、義兄さんがここまで持ってきてくれたのだけど……一つしかなかった。
(二人で滑るの……ね)
前のボードでは、女の人が振り返って、後ろの男の人と楽しそうに笑い合っている。
……私たちも、周りから見たらあんなふうに見えるのかな。
兄妹だなんて、見ただけじゃわからないだろうし……。
「そろそろ順番だけど、どっちが前になる?」
「じゃあ、私が!」
前に乗った方が意識しないはず。
係員さんに案内されて、ゴムボードの前側に腰を下ろす。
両脇の持ち手を握って待っていると、後ろに義兄さんが乗った重みで、ボードが少し沈んだ。
「詩織、ちゃんと掴まってろよ」
「わ、わかってるって」
……思ったより声が近い。
顔が見えなければ大丈夫だと思ったけど、後ろにいると、それはそれで気になるものらしい。
目の前には、筒状のスライダーの入り口。流れ込んでいく水が、その先の曲がり角で見えなくなっている。
……これ、どれぐらい速いのかな。
「それでは、いってらっしゃーい!」
心の準備をする間もなく、係員さんに押し出された。
「わっ、ちょっ……速っ!」
最初はゆっくりだったのに、坂に入った途端、ぐんっと速度が上がる。
慌てて持ち手を握り直すと、今度は目の前にカーブが迫ってきた。
「え、これ、ぶつかっ……きゃあっ!」
ボードが壁を駆け上がるように傾いて、思わず体を固くする。
でも、ひっくり返ることもなく、そのままするりと曲がっていった。
「ははっ、結構速いな!」
「笑ってる場合じゃ……わあっ!」
言い終わる前に、またカーブ。
右に左に振り回されて、さっきから声が勝手に出てしまう。
……でも。
「……あはっ、何これ!」
次はどっちに曲がるんだろう。
先を見ようと顔を上げたところで、ぱっと視界が明るくなった。
「あ、出口――」
バッシャーン!
最後に盛大な水しぶきが上がって、顔までびしょ濡れになった。
「……っぷは!」
「詩織、大丈夫か?」
「うん……最後のは聞いてない……」
顔の水を拭って振り返ると、義兄さんも前髪から水を滴らせていた。顎の先から水滴が一つ、ぽたりと落ちた。
なんだ、義兄さんもしっかり被ってるじゃん。
そう思ったら、おかしくなって笑ってしまった。
ボードを降りても、まだ体がふわふわしている。
あんなに気になっていた義兄さんとの距離も、途中からすっかり忘れていた。
「どうする? 少し休むか?」
「もう一回!」
「……怖がってなかったか?」
「それとこれとは別なの!」
今度は、もう少し目を開けていられるはず。
私は義兄さんを振り返りながら、さっきの列へと向かった。
◇
ひとしきり遊んで、ちょうど良い時間になったので帰ることになった。
シャワーを浴びて着替えると、心地良い脱力感に包まれた。プールの後って、なんでこんなに気持ち良い疲れ方をするんだろう。
「お待たせ、義兄さん」
出口で待っていた義兄さんと合流して、バス停まで歩き出す。
私の髪はまだ乾いていないけど、義兄さんの髪も濡れたまま。プールにいる間はあまり気にしていなかったけど、少し……色気があるかも。思わず視線を逸らして、何でもない顔でバッグを持ち直した。
バス停には、同じように帰るところらしい人たちが並んでいた。それでも、次のバスには乗れそうで良かった。
駅までシャトルバスが出ているので、その点も助かる。
「そういや、お願いってどうするんだ?」
列に並んで待っていると、義兄さんが口を開いた。
最初は何のことかと思ったけど、そう言えば勝負したんだった。
「考えてなかった……それなら、来年もまたプールに連れてきてよ」
「……そんなのでいいのか?」
「そんなのがいいの」
もっと何かあるだろう、とでも言いたそうな義兄さんを見上げる。
別に高い物を買ってほしいわけじゃない。今日みたいに、一緒に遊べたらそれで良い。
「わかった。じゃあ、来年も来ような」
「うん、約束だからね」
義兄さんが頷くのを見て、私もつられて笑った。
来年の今頃には、受験も終わっているはず。その時は、ちゃんと新しい水着も用意しよう。
バスが近づいてきたので、肩にかけたバッグを持ち直す。
遊び疲れて体は重いのに、もう来年が楽しみになっている。
……うん。良い一日だった!
◇
数日後。
今日は学校で夏期講習があるので登校していた。
もちろん、麻里も一緒だ。
プールで遊んだ帰りは、義兄さんが家まで送ってくれた。そういうところは紳士だと思うし、彼氏がいたらこんな感じなのかな、と考えてしまった。
その夜には麻里から電話があって、洗いざらい話すことになったのだけど……彼女のテンションが高かったのは意味不明だった。
ヒソヒソ……。
「今日って数学と国語だったよね。古文って苦手なんだよね」
「私も得意ってわけではないけどね」
ヒソヒソ……。
「お昼はお弁当持ってきた?」
「うん、持ってきたよ。終わったら図書館に行くんでしょ?」
「そうそう」
ヒソヒソ……。
さっきから、こちらをちらちらと見られている……。
あまり話したことのない同級生たちだから、聞きに行くのも難しいかな。
「ねえ、さっきから私たちを見て……何か言ってない?」
「言ってるねー。何だろ?」
麻里も気づいているみたいだけど、理由は知らないみたい。
本当に何なんだろう?
周囲を気にしていたら、その中の一人と目が合った。すると、そのグループがこちらに近づいてくる。
……若干、にやにやしているのが気になる。
「ねえ東條さん、彼氏いたの?」
「……はい?」
何をひそひそ話しているのかと思ったら、私に彼氏ができたと思っていたのね。
でも、残念ながら私に彼氏はいないのだけど……。
「えっと……いないけど?」
「この前、プールで男の人と一緒にいなかった? 何か抱きかかえてもらってたけど!」
プール……抱きかかえてもらった……。
そう言えば、あの時もこちらを見ていた子たちがいたような。
横を見ると、麻里がにやにやしていた。あとでつついておこう。
今年、男の人とプールに行ったのは、あの日だけだ。
「……義兄さんとは行ったけど?」
「お兄さん!?」
「うん、義兄さん」
同じ言い方だけど、多分、思い浮かべている字は違うかもね。
「なーんだ、そうだったんだ」
ひとまず納得してもらえたみたいで、ほっとした。
なのに、横から麻里が余計なことを言い出した。
「でも、楽しかったんでしょ? 来年も二人で行く約束をしたぐらいだし」
「麻里!」
にこにこしている親友を睨むけど、まったく効果はなさそうだった。はぁ、とため息をついて、私は天を仰いだ。
それどころか、目の前の同級生たちまで、また楽しそうな顔になっている。
「え、もう来年の約束までしてるの?」
「……だから、義兄さんだってば!」
これ、全部説明しないと終わらないのかな……。
……来年は、絶対に麻里も連れていこう。




