SS 東條 朔也:動かない身体
作者からの注意事項。
少々重い話でございます。
― 東條 朔也:中学二年 ―
「……死にたい」
床の上で目を覚まして、最初に口から出たのがそれだった。
いじめの件がひと段落ついて、自宅に帰ってきた俺は今後のことを考え始めた結果――心拍数が異常に上がり、そのままぶっ倒れた。
視界に入るのは、床とベッドの脚だけ。
起き上がろうとは思った。だけど、身体が言うことを聞かない。
「身体が動かない……か」
自室で良かったと思う。
だけど、この症状はまだ落ち着く気配がないし、いまだに慣れない。
廊下から物音もしない。
誰かが様子を見に来る気配もない。
……まあ、いつものことだ。
助けを呼ぼう、という考えすら浮かばなかった。
呼んだところで、誰を呼ぶんだという話だ。
初めてこれが発症したのは、須藤先生との何度目かの打ち合わせの時だった。
何ら特別でもないことを話しながら、今までのいじめの内容を録音データと照らし合わせてまとめていた時だった。
急に、耳の奥がきん、と鳴った気がした。
『また◾️◾️◾️して――かよ。ほんっと◾️◾️◾️だな、お前』
『◾️◾️◾️なら、二度と◾️◾️◾️に――よ! 目障りなんだよ!』
『◾️◾️ぁ……ほんと◾️◾️◾️。だから誰にも◾️◾️◾️んだよ』
ふいに、その場にいない奴の声が聞こえ、急に動悸が激しくなったと思ったら、視界が暗転した。
気づけば、病院のベッドの上だった。
須藤先生がすぐに病院へ連れて行ってくれたわけだが、母親にも連絡したものの、いまだに返答がないとのことだった。これに関しては、まったく期待していないので別にいい。
だけど、先生にはこのことを母親に言わないよう、口止めをお願いした。知った後の対応が面倒になることしか思いつかないからだ。
……未成年を担当している弁護士としては、言わないわけにはいかないはずなのにな。先生には申し訳ないと思うばかりだ。
その後、いろいろと検査をしたが、身体的な異常は見つからなかった。
倒れた状況を考えると、強いストレスによる症状ではないかという話になり、須藤先生から知り合いの精神科医を勧められた。
少し変な奴だけど、信用はできるから、と。
俺は少し考えてから、その提案に同意した。
この方面にはまったく詳しくないし、それに俺はただの中学生だ。
自分で探したところで、いい先生を見つけられるとも思えない。それなら、最近で唯一信用できそうな須藤先生の提案を信じるしかなかった。
この決断は、今でも良かったと思う。
精神科の先生は、確かに変なところはあっても、話をすれば納得できる説明をしてくれた。
俺に起きている異常……時折、痛みを感じなくなる症状にも、『感覚脱失』というちゃんとした呼び方があることを知った。
それからしばらくは、この症状が出ることが続いた。
ただ、傾向がわかってきたのは助かった。自分から意識して思い出すのではなく、不意にそのことを『思い出す』と発症するようだ。
精神科の先生もその傾向には納得してくれて、完全に抑えることはできないものの、ある程度は予防になる薬を処方してくれた。
その時からの付き合いだから、もう半年以上か……。
「いい加減、どうにかしたいものだけど……」
少しずつ動かせるようになってきた身体を起こし、ベッドに背中を預けて座る。
時間を見ると、倒れていたのは三十分も経っていないくらい。長い時間ではなくて、ほっとした。
この症状は、家族の誰も知らない。
知ったところで何もしないだろうし、できない。むしろ、下手に何かされるくらいなら関わってほしくない。
「たぶん、俺は一生この状態が続くんだろうな」
不思議と、それほど驚きはしなかった。
治らないなら、治らないなりに生活すればいい。人に迷惑をかけないように、一人でどうにかできる方法を考えればいい。
友達も、恋人も、無理に作る必要はない。
こんな状態の俺に付き合わせるくらいなら、最初から一人の方が楽だ。
……そう考えると、妙に納得できてしまった。
自分のことだからよくわかる。
こんな面倒な症状を抱えているんだ。彼女も作れないだろうし、できたらできたで迷惑をかける未来しか見えない。
「……それもしょうがないな」
せっかく起き上がったのはいいが、それ以上動けないし……動きたくない。
そのままずるずると滑り、肩から横に倒れる。
視界の端に、カーテンの隙間から漏れる夕方の光が入り込んでいた。
何もできないけど、寝る気にもなれない。寝たら嫌な夢を見る気配しかしないから……。
幸い、手の届くところにスマホがあったので、適当にショート動画を見始める。
何でもいい。どんなものでもいいから、頭を空っぽにしたい。
そんな気分だった。
動画を一つ見る。
終わったら次へ送る。また次へ。
笑い声が聞こえる。誰かが楽しそうに騒いでいる。次の動画では犬が走り回っていて、その次では知らないゲームの映像が流れていた。
何本見たのかは覚えていない。
内容もほとんど頭に入っていなかった。
ただ、画面を指で送っている間だけは、余計なことを考えずに済んだ。
……それだけでよかった。
誰かから連絡が来ることもない。
俺から誰かに連絡することもない。
ただ、ただ、時間だけが過ぎていった。
◇◇◇◇◇
― 現在 ―
「……死にたい」
ふと口から出たその言葉で、数年前の自分を思い出した。
あの時と同じように動けないでいるから、余計に重なってしまったのだろう。
「まだ黙っていてください。それに動かないで……ずれます」
「瀬那、こっちの色の方が似合いそうじゃない?」
「確かにそうですね……うん、こちらの方が良いですね。そうしましょう」
椅子に座った俺の目の前では、愛しの彼女……瀬那がせっせと筆やペンを動かしていた。それぞれの道具の名前は知らないが、それが何なのかはわかる。
……メイク道具だということをな!
浩紀と愛莉たち、いつものメンツが遊びに来たのは良いが、ゲームで負けた奴は罰ゲームってことになり、俺が負けたわけだ。
そして、引いたくじに書いてあったのは『女装/男装』だった……。
「なあなあ、せっかくだから服も着替えさせない?」
「……アリですね」
「あはは」
「ねーよ!」
アホなことを相談しているみんなを見て、俺は叫ぶしかなかった。
「とりあえずカメラの用意はカンのペキだぜ!」
「……朔のことだから、ビデオカメラとか持ってそうじゃない?」
「それだ!」
「『それだ!』じゃねーよ!」
目の前では瀬那が真剣な顔で俺の顔を覗き込み、その横では浩紀と愛莉が楽しそうに次の悪巧みを相談して、エレノアがそれに乗っかり、和人が見守っている。
誰かの笑い声で、ふっと意識が引き戻される。
あの頃の俺が今の光景を見ても、たぶん想像できないだろうな。数年後に、こんな理由で身動きが取れなくなるなんて。
(同じセリフでも、こうも変わるとはな)
あの頃は、誰かを呼ぼうという発想すらなかった。
でも、今なら……。
少なくとも、あの時のような絶望感はない。
「……」
……いや、今は別の意味では絶望しているけどな!
― 東條 朔也:動かない身体 完 ―
たまにシリアス入れないといけない症候群が……。
でも、安心してください。明日はアホな話です。




