第22話 瀬那が願う「埋め合わせ」
夕食のあとは、少し休憩を挟んでから二人でテーブルに向かい、一緒に勉強をした。ストーカー騒動というトラブルはあったが、中間テストの足音は待ってくれない。軽くでも復習をしておいた方が良いのは事実だ。
ただ、その間、南雲……いや、瀬那は、ことあるごとに「朔也くん、この問題なんですけど」「朔也くん、お茶飲みますか?」と、わざわざ名前を呼んで話しかけてきた。
何がそんなに楽しいのかわからないが、本人が満足そうに笑っているなら構わない。
――呼ばれる度に背中がむず痒くなるほど、恥ずかしいが。
夜の9時半を回る頃、俺は先に勉強を切り上げて風呂に入った。
今は自室のデスクに向かい、シルバーアクセサリーのデザイン案を練っている。俺が風呂から上がった頃には瀬那も自室に戻っていたため、扉越しに「おやすみ」とだけ声をかけておいた。
(奇抜過ぎても使いにくいしな……)
かと言って、市販されているようなありふれたデザインで作っても、わざわざセレクトショップの店頭には並べてもらえないだろう。店長の好意に甘えれば置いてくれるかもしれないが、それではクリエイターとしてダメだ。せっかくなら、客が納得して手に取るものを作りたい。
(今度、休みの日にでも博物館や資料館みたいなところでインプットしてみるか)
シャープペンシルの尻をコツコツと叩きながら悩んでいると、ふいに部屋の扉を叩く音がした。
コンコン、と控えめな音。
こんな時間に誰か、なんて訊くまでもない。瀬那だ。
「……まだ、起きてますか?」
「起きてるよ」
「……開けても、良いですか?」
「大丈夫だ」
ガチャリと、ゆっくり扉が開く。そこには、少し上目遣いで申し訳なさそうな顔をした瀬那が立っていた。なぜか両手は後ろに回され、何かを隠しているように見える。
――だが、俺の視線はどうしても別の場所に吸い寄せられてしまった。
彼女が身に纏っているのは、いつもの部屋着ではない。薄手の寝間着……いわゆる、ネグリジェというやつだった。白い肌と華奢な鎖骨が覗き、石鹸の香りがふわりと部屋に入り込んでくる。
「……どうした?」
なんとか声の裏返りだけは防げた。この冷静さは全力で自分を褒めてやりたい。
「……あの、こんな夜分に言うのも何なのですが。以前、野外学習の時の『埋め合わせ』をするというお話……覚えてますか?」
「ああ、覚えてるよ」
一体何を言い出すのかと身構えていたが、それは先日キャンプで俺がやらかした時に約束した『埋め合わせ』のことだった。
だが、なぜこの時間に。なぜその格好で。そして後ろに隠している手には、一体何を持っているんだ……?
「その『埋め合わせ』が、どうかしたか?」
「その……お願いがあります。それに使いたいです」
「……もちろん構わないけど。何のお願いだ?」
『お願い』、か。同居を始めてからまだ日は浅いが、瀬那がこんな風に改まって『お願い』をしてくるのは初めてじゃないか。少なくとも、「そこの醤油を取って」なんて軽い話ではないらしい。
「今夜……一緒に、寝てください」
「……えっ!?」
爆弾発言と共に、瀬那は後ろに隠していた手を前に出した。その腕には、彼女のベッドにあるはずの枕がしっかりと抱き抱えられている。
「な、なにを言っているのかわかっているのか……!?」
「……わかっています。でも、どうしても……」
少しうつむき気味になった彼女の腕に力がこもり、抱きしめられた枕がぎゅっとつぶれる。ネグリジェ姿の美少女からのお誘いなんて、男子高校生からすれば反則でしかない。
反則でしかない、はずなのだが――枕に食い込むその白い指先は、小刻みに震えているように見えた。
――それを見た瞬間、ハッと気がついた。
『風呂上がりに、彼女が自室のドアを少しだけ開けたままにしていたこと』を。
「もしかして……一人になるのが、怖いのか?」
「……はい」
消え入るようなその声を聞いた瞬間、俺の胸の奥で、どす黒い怒りがふつふつと湧き上がってきた。もちろん、瀬那に対してではない。あの得体の知れないストーカー男に対してだ。
何でこいつが、自分の家で眠ることすらここまで怖がらないといけないのか。瀬那が何か悪いことをしたのならまだわかる。だが、話を聞く限り、彼女はただ真面目に店員として接客しただけだ。
そんな理不尽が……こいつが夜に震えなければならない原因になっていいわけがない。俺の中のくだらない動揺は、すっかり冷めきっていた。
「わかった。いいよ、一緒に寝よう」
「……ありがとうございます」
俺の言葉を聞いた瀬那は、申し訳なさと嬉しさが入り混じった顔でこちらを見上げた。今にも泣き出してしまいそうな、危うい安堵感がそこにはあった。
俺は急いで寝る準備を済ませ、彼女をベッドへと促しながら尋ねる。
「壁側と扉側、どっちがいい?」
「壁側で、お願いします」
……壁側で良いのか。俺は内心、少しだけ驚いていた。
俺が扉側へ行けば、彼女の逃げ場はなくなる。俺が不埒なことをすると思わないのか。心配にならないのか。それとも、俺のことをそこまで信用してくれているのか。
ぐるぐると色々な考えが浮かんでは消えていく。
「失礼します……」
瀬那は少し恥ずかしそうに一言だけ言って、もそりとベッドに入っていった。
それを見た瞬間、俺の中で保っていた冷静さが一気に吹き飛んだ。心臓がバクバクと五月蝿くてやばい。
(本当に、このまま一つのベッドで二人で寝るのか……?)
自らの軽率な行動に疑問は浮かぶが、代わりの解決策なんて思いつかない。
ここまできて「やっぱり駄目だ」なんて突き放すことはできない。それこそ、怖がっている瀬那を泣かせてしまう。
俺は覚悟を決め、瀬那の隣へと潜り込んだ。
途端に、ふわりと瀬那からシャンプーの甘い匂いが漂ってきて、一瞬だけ気持ちが高ぶってしまう。
「ふふっ……初めてこの家に来た日のことを思い出しました。最初は、このベッドを使わせてもらったんですよね」
「……そうだったな」
「あの時、すごく良く眠れました。このベッド、すごく良いものですよね」
「そうだったっけな。覚えていないや」
「いえ。私にとっては、とても良いベッドなんです」
「そうか。……それならよかった」
「はい。今日も……よく眠れそうです」
やがて、優しい静寂が二人を包み込んだ。
時間も遅いし、そろそろ寝ようと目を閉じる。ここ数日の疲れもあったのか、だんだんと強烈な睡魔が襲ってきた。意識が心地よく沈んでいく。
「……朔也くん。もう、寝そうですか?」
「……あぁ……そろそろ、な」
「……」
「……」
「……手を、握っても良いですか?」
「……いい、よ」
眠くて仕方なく、頭がうまく回らない。手を握るぐらい、大したことないはずだ。帰り道だって繋いでいたんだから。
布団の中で、そっと瀬那の細い手を握る。
少し冷たくなっていたその手に俺の体温がゆっくりと奪われていく感覚が、ひどく気持ちいい。
「……」
「……」
もう……完全に意識が……落ちる……。
すぐ隣に瀬那の気配を感じる。甘くて、落ち着く良い匂いだ。
「……抱きついても、いいですか?」
「……あぁ……」
彼女が何を言ったのか……もう理解できるほど……俺の頭は働いていなかった。
ただ一つわかっているのは、瀬那が……俺に害を及ぼすはずがないということだけ。
だから俺は……深く考えずに了承した……。
「……ありがとうございます、朔也くん」
耳元で囁かれたその甘い声を最後に、俺の意識は完全に深い眠りへと落ちていった。
腕の中にすっぽりと収まった、ほのかな柔らかさと温もりを感じながら。
今日は間違いなく、いい夢が見られそうだ。
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