第186話 年越し
食事を終えた俺たちは、参拝にはまだ早いので、ダラダラと TV を見ていたわけだ。瀬那は疲れたのか、俺の膝に頭を乗せて寝てしまった。
……よく眠る子だな。
(あんな摩訶不思議なことを話したから、余計に疲れたのかもしれない)
俺も寝落ちしたら困るので、二十三時ぐらいにアラームをセットしておく。
TV では年越しの定番番組が放送されていた。特段、興味があるようなものではないので、BGM 代わりになってしまったが、なんとなく点けてしまうのはなぜだろうか。
(それにしても、晴れてくれて助かるな)
時期が時期だ。
この辺りなら吹雪いてもおかしくないのに、予報では今のところその様子はない。だから、今夜の参拝も問題なさそうだ。
勉強会のメッセージグループでは、これからのことが話題に挙がっていた。
ほとんどのみんなは明日か明後日に初詣へ行くが、今夜行くのは浩紀と愛莉のコンビだけらしい。
『朔ー。瀬那から返事こないけど、何かあった?』
個別のメッセージに愛莉から連絡が届いた。返事がないから心配してくれたのだろう。わざわざ個別なのは、旅行をしていることを知らないメンバーがグループの方にいるからだと思う。
『大丈夫、疲れて寝ているだけだ』
『疲れて……へぇー(ニヤニヤ)』
わざわざ、変な猫のスタンプまで送ってきた。
『……何か含みがあるな』
『べっつにー♪』
なんだこの反応……確実に何かあるぞ、これは……。
どう考えても良いことではないだろうが……。
『なんだよ』
『えー、だってー、お風呂付きなんでしょ?』
「またそのことかよ……」
俺は額に手を置いて呟いた。
昼頃に、浩紀にも同じようなメッセージをもらったことを思い出す。
この二人は一緒にいるみたいだし、情報は共有されるわな。
『旦那と同じことを訊くなよ……別に風呂付きだからなんだ?』
『ふふー、べっつにー♪』
『お前らが期待していることは何もないぞ』
『ふーん♪』
なんともむかつく顔が目に浮かんだので、俺は嫌そうな顔をしているスタンプだけ押してアプリを閉じた。
ブブー♪
「……」
ブブー♪
無視をしていると、その後もしばらく定期的にスタンプを送ってきたので、嫌々ながら返答をした。
何を期待しているのかわからない……こともないが、それにその予定もあるけどさ……気にしすぎだろ、このバカップルが!
そんなやり取りをしていると、瀬那はアラームが鳴る前に自然と目を覚ましてくれた。
寝ぼけ眼でグループの方に届いている通知の数を見ると、「えっ!」と驚いてから苦笑いを浮かべていた。
……その気持ちはわかるぞ。
◇
二十三時を少し過ぎた頃、俺たちは防寒対策をしっかりしてホテルを出た。口元はマフラーで隠し、このためにカイロまで用意しているので準備は万端だ。
もちろん、お揃いのニット帽も被っている。
フロントには今夜はスタッフが常駐しているらしく、出る前に「お気を付けて、いってらっしゃいませ」と快く送り出された……例の石田さんに。
……今のところは何もない。何もないが、なんでだろうか。身構えてしまう。
ひとたび息を吐けば、白く染まった吐息が街灯の下を漂ってすぐに消えていく。
「さ、さらに寒くなっていますね」
「氷点下だもんな……それに、日差しがないのも大きいかもな」
「そうかもしれませんね……」
昼間とは明らかに違う寒さに、日差しがあるだけで体感はだいぶ違うのだと、文字通り体でわかった。
ここまでして見に行きたいかと言われると少し疑問に思ってしまうが……やっぱり、恋人とならこういうイベントもやりたくなるものだ。
「あのご夫婦に教えてもらったのは、あの辺りですよね?」
「そうだったはず。少し坂を上るけど、雪があるから足元に気を付けていこうか」
「はい」
俺は瀬那の手を、手袋越しにしっかり握って歩く。
これで転ぶときは一蓮托生だぞ……ではなく、護れるはずだ。
握る手に少し力を込めると、横の瀬那は「ふふっ」と上機嫌な声を漏らした。
「ふと思ったのですが、魔導具で周りを暖かくすることはできるのですか?」
「……できると思う。作ったことないから確証はないけど……言われてみればそうだな」
確か、似たようなものもあった気がするが……もう少し調べておけばよかった。
そんなやり取りをしつつ、なんとか転ばずに教えてもらったポイントへたどり着いた。すでにそこには何組かの家族連れやカップルがいた。それなりに有名な場所なのかもしれないな。
花火が上がるまで、まだ数十分ある。
それでも丘の上には俺たちと同じことを考えた人がそこそこいて、身体を寄せ合ったり、温かそうな飲み物を片手に談笑したりしながら、その時を待っていた。
「思ったより人がいますね」
「みんな考えることは同じってことだろ」
「でも、あそこの会場よりはずっと少ないです」
「あそこは……すごいな」
俺たちも写真を撮ったり、スマホでライブ中継を見たりしながら時間を潰していた。
画面に映るスキー場の一部には、雪面が見えないほど大勢の人が集まっている。
歓声や音楽までスマホ越しに聞こえてきて、同じ野沢温泉にいるはずなのに、まるで別世界のようだった。
「朔也くん、人混みが苦手ですから、こっちで正解でしたね」
「瀬那だって、あの中に突っ込みたいとは思わないだろ?」
「はい。今は、こっちの方がいいです」
そう言って、瀬那が俺の腕に自分の腕を絡めた。
「こっちなら、こうしていられますから」
「……そういうことを平然と言うよな」
「嫌ですか?」
「嫌なわけないだろ」
肩を寄せると、厚手のコート越しでも瀬那の存在を近くに感じる。
時刻は二十三時五十九分。
遠くで除夜の鐘も鳴っている中、ついにその時がやってきた。
眼下に広がるのは、野沢温泉街の温かな灯り。
建物の間からは白い湯煙がいくつも立ち上り、そのさらに奥では、ナイター照明に照らされた白銀のゲレンデが夜闇の中に浮かび上がっていた。
ここまで会場の熱気は届かない。
聞こえるのは、雪を踏む音と、周囲で小さく交わされる話し声。
そして、誰もが今か今かと待ち望んでいるような、妙な静けさだけだった。
さっきまで聞こえていた話し声まで、気づけば少なくなっている。
皆が同じ瞬間を待っている――そんなことが、言葉にされなくても伝わってきた。
「もうすぐですね」
「ああ」
瀬那が俺の手を握った。
手袋越しでも伝わるくらい、その力は強かった。
「……今年、終わっちゃいますね」
「色々あったな」
「本当に、色々ありました」
瀬那が小さく笑う。
「でも、最後に朔也くんと旅行できて良かったです」
「まだ二日目だけどな」
「今年最後の日として、です」
「それなら俺も同じだよ」
スマホの画面では、会場のカウントダウンが始まっていた。
「五!」
丘の上でも、誰かが声を上げる。
「四!」
それに釣られるように周囲からも声が重なった。
「三!」
瀬那がこちらを見る。
その瞳に映る自分の姿を見て、なぜか鼓動が速くなるのを感じた。
「二!」
俺も瀬那を見る。
「一!」
「――あけましておめでとうございます、朔也くん!」
「あけましておめでとう、瀬那」
その直後だった。
遠くのゲレンデから、一筋の光が漆黒の夜空へ向かって尾を引きながら伸びていく。
ヒュー……。
バーン!
夜空に巨大な光の花が開いた。
「わぁ……!」
瀬那が思わず声を漏らす。
赤や金の光が宙で弾け、眼下の雪面まで一瞬で鮮やかに染め上げる。
少し遅れて――ドン、と腹の底まで響くような低い音が丘に届いた。
「音、結構遅れてきますね」
「距離あるからな」
「あっ、次来ます!」
二発、三発と、次々に夜空へ光が昇る。
青。
赤。
金。
光が広がるたびに雪面が違う色へ染まり、街の屋根や木々に積もった雪まで淡く輝いた。
会場から少し離れているからこそ、花火だけではなく、その下に広がる野沢温泉の街ごと一枚の景色として見える。
「綺麗ですね……」
「ああ」
「写真、撮ります?」
「撮ってもいいけど……」
スマホを取り出しかけて、やめた。
「今は、見ていたいかな」
「ふふっ。私もです」
瀬那が再び俺の肩に寄りかかる。
次の花火が空いっぱいに広がった。
その光に照らされて、瀬那の横顔が一瞬だけ明るく浮かび上がる。
夜空の花火より先に、俺の視線はそちらへ吸い寄せられていた。
「……朔也くん?」
「いや、なんでもない」
俺は慌てて視線を花火の方へ戻した。
「本当ですか?」
瀬那が疑わしそうに、こちらの顔を覗き込んでくる。
「花火見ろ。終わるぞ」
「もう……」
そう言いつつも、瀬那は笑っていた。
静かな丘の上。
眼下に広がる温泉街。
その向こうで、何度も夜空に咲いては消えていく光。
一年前の年越しに何をしていたかなんて、もうほとんど覚えていない。
――でも。
この年越しの景色だけは、たぶんずっと忘れない。
隣にいる瀬那の手を、俺はもう一度握り直した。




