第178話 長野旅行④
俺が衝撃的な一言に唖然としているのをよそに、瀬那はスーツケースの中身を整理していた。
女性ということもあって多くなった荷物を、使いやすい場所へと置いていく。ヘアアイロンやメイク道具などなど。
「いつまで呆けているのですか? 準備しないと夕食の時間になりますよー」
「はっ!」
瀬那の一言で、俺は我に返った。
すげーことを言われた気がしたが、きっと気のせいだろう。
夢か何かだ。
「大丈夫ですか?」
「変な妄想をしてた。瀬那、さっき……その……一緒に風呂に入るって言ったか?」
「はい、言いましたよ」
まじか、現実だったか……。
「……お前さ、着替えの時にも言ったけど、もう少し恥じらいを持てよ」
「だから、恥じらいくらいありますって。ただ、朔也くんとはすでに交際していますし、同棲もしています。そこまでおかしなことではないと思いますよ?」
恋人同士で一緒に風呂へ入ること自体は、別にあり得ない話ではないのだろう。
……だが、俺たちはそういう距離感では、まだなかったはずだ。
「……あのな、俺だって男だぞ?」
もしかすると、俺を男として認識していない可能性が……。
「もちろん知っていますが?」
……そんなわけないか。
「……何するかわからんぞ?」
「……もちろん覚悟の上ですよ」
「……っ!?」
「そもそも嫌だったらこんな提案しませんよ」
こ、こいつ……この旅行で言うことか!?
テンションが上がっているからかもしれないし、いつもと違う環境だからこその暴走かもしれない。
……でもな。
「それに、朔也くんには半分は手を出されているようなものですし」
「……お前な」
「うふふ」
この反応を見る限り、半分くらいは俺の反応を楽しんでいるのだろう。
とはいえ、よく見ると指先は落ち着きなく動いている。
……こいつも普通に緊張してるじゃねーか。
体調不良やどちらかが泊まりでいない時でもない限り、そもそもここ半年近く添い寝をしている。
そう考えれば、今さらと言われるのもわからなくはないのだが……。
「私は、いつも朔也くんの近くにいたいのですよ。でも、朔也くんは優しいので、そのせいで無理をさせていないか、たまに心配になるのです」
そう言った瀬那は、さっきまでの余裕が嘘のように視線を泳がせた。
恥ずかしいだろうによく言うものだ。
それに、変な心配をするもんだな。
「言いたいことはわからなくはないが……飛躍しすぎだろ」
「そうですか……では、お風呂に入りましょうか!」
「待て! まだ心の準備が!……あ、明日にしよう!」
声には出していないが、口元だけで「えー」と言いたげな状態になり、お得意のジト目をこちらへ向けて――
「……ヘタレましたね」
――刺さる言葉を放った。
……これについては、自覚しています。
「……否定はしない」
「ふふっ。朔也くんがそう言うとは思っていましたから、いいですよ。だけど、言質はもらいましたからね!」
「……急だったから狼狽えただけだ。先に話を聞いていれば大丈夫だ」
「へーそうですかー期待しています♪」
瀬那にしてやられた感は強いが、最初くらいは俺にも心の準備をさせてほしい。
それにしても、どうして瀬那はそこまで一緒に入りたいのだろう。
単なるスキンシップ……にしては、少し思い切りが良すぎる気もするが。
◇
お互いにスーツケースの中身を整理し、ウェアを脱いで干しつつ、今朝から着ていた服へ着替えた。
……もちろん、仕切りを挟んで別々にな。
この旅館には浴衣も用意されている。
ただ、浴衣はそのまま寝間着にするつもりなので、風呂へ入る前から着て汚したくはない。
ということで、今朝から着ていた服のまま大浴場へ向かうことにした。
『部屋のお風呂なら、そんなこと気にしなくていいのですけどね』
という瀬那のツッコミは、聞かなかったことにした。
そして現在、俺は大浴場にいる。特に感慨もないが、一応報告しておく。
よくある大浴場の造りで、壁際に身体を洗う場所が並び、何十人も入れそうな大きな浴槽が室内と露天に一つずつある。
どちらも同じ源泉から引いているらしいが、室内の方には一部ジェットバスもついているようだ。
身体を洗ったあと、まずは室内の浴槽へ入り、周囲を眺める。
メガネがなくてもまったく見えないわけではないので、こういう時でもどうにかなる。もっと視力が低い人だと大変だろうな。
(……メガネがないと、やっぱり少し眩しいところがあるな)
浴場の中に置かれている、一メートルくらいありそうな石の塊をぼんやり眺める。
……なんでこんなものが室内にあるのか、謎である。
「わー! ひろーい!」
「こらー、走らない!」
周りには観光客や、それこそスキーをしに来たのであろう親子連れや若い人たちが多かった。
俺は肩までゆっくり浸かったあと、露天風呂の方へ移動する。
外へ出た瞬間、冷たい空気が火照った身体を撫でた。
まだ、完全には日が沈んではいない、それが綺麗な色を出していた。
その光を受けた雪山が淡く染まっていた。
(瀬那も、この景色を見ているのだろうか)
湯に浸かりながら、ふと彼女のことを思う。
前回の旅行でも、温泉は良かったと言っていた。きっと今頃、向こうでも楽しんでいるだろう。
瀬那が喜んでくれるだけで、俺としては十分だ。
◇◇◇◇◇
Side:南雲 瀬那
髪をまとめ、お湯に浸かりながら、私は先ほどのことを思い出していました。
湯船に映る自分の顔は、思っていた以上に赤かった。
(またやってしまいました……)
どうしてでしょうね。朔也くんの前だと、口を滑らせることが多い気がします。
……それも、少し恥ずかしい方向で。
朔也くんと一緒にお風呂へ入ってみたかったのは本当です。
今まで、誰かと一緒にお風呂へ入る機会がほとんどなかった私にとっては、それは特別なこと。
……大切な人となら、なおさらです。
だから、朔也くんと一緒に入りたいという願望は以前からありました。
泊まる部屋にお風呂が付いていることも、私は最初から知っていて……朔也くんが気づいていないのにも気づいていましたが、あえて教えなかったのは内緒です。
彼が何かのついでに旅館のサイトを見て、部屋を確認したらすぐにバレてしまうような、小さな内緒ですけどね。
それでも、もし部屋を変更しようと言われたらどうしようかと、少しだけ不安でした。
(まあ、もし変更しようと言われても、聞き入れませんでしたけどね♪)
そして、私が楽しみにしていると知れば、最終的には付き合ってくれることもわかっています。
朔也くんは優しいですから。
本当に駄目な時以外は、私の希望を無下にはしません。
(……私は、ずるい女です)
それにしても――
(あんな言い方をしてしまうなんて……さすがにはしたないですぅ……)
顔が火照っているのは、お湯に浸かっているからなのか。
それとも別の理由なのか。
私にはわかりません。
……わかりません!
周りの人に気づかれないよう、口元までお湯に沈み、行き場のない気持ちを吐き出します。
ボコボコ……ボココ……ボココボコ。
気泡と一緒に、羞恥心も溶けてくれたらいいのに。
お行儀は悪いですけど、声にならないその音のおかげで、少しだけ落ち着きました。
言ってしまったことは仕方ありません。
明日、本当に一緒に入ることになったら……その時に考えましょう。
ふと、ガラスの向こうにある露天風呂の横へ目を向けると、説明書きが目に入りました。
『美肌の効果あり。シルクのような肌感を味わえます』
少し胡散臭い説明ですが、女性としては気になる文言です。
(せっかくですし、少しでも綺麗になっておきたいですね!)
私はお湯から出て、露天風呂の方へ。
扉を開けた瞬間、冷たい空気が押し寄せ、思わず肩が縮こまりました。
けれど、その先には――
夕日に照らされた雪山が、淡い橙色に染まっていました。
「綺麗……」
思わず、声が漏れます。
湯気の向こうに浮かぶ雪山を見つめながら、ふと頬に触れる自分の指先に気づく
朔也くんも、今頃この景色を見ているでしょうか。
同じものを見て、同じように綺麗だと思ってくれていたら――それだけで、少し嬉しいですね。
……だって、一緒にお風呂入ったら始まっちゃうやん?
……もう食事の時間なのよ?




