第176話 長野旅行②
旅館を出た俺たちは、近くのバス乗り場へ向かった。
シャトルバスがゲレンデまで無料送迎してくれるので助かる。
乗り場へ行くと、思ったより人は並んでいなかった。
宿泊客の多くは雪山目当てと言っても過言ではないだろうし、予想では乗れないくらい混んでいるかと思っていたのだが……。
「朝一ではないので、空いてますね」
「……あぁ、そういうことか。そういや、もう十時だもんな」
「?」
言われてみれば単純だった。
すでにピークを過ぎているだけだった。
恥ずかしい……。
次のバスにすんなり乗り、揺られること十五分ほどで長坂エリアに到着した。
バスを降りれば、目の前には一面の雪。
その先には白く染まった山がそびえ、山肌には何本ものコースが伸びていた。
山の上へと伸びていくゴンドラも見えている。
思っていた以上の長さに驚いた。
まずはチケットを買うためにチケットセンターへ。
ここでリフト券を買い、予約していたスノーボードとブーツを受け取れば準備は終わりだ。
……調べてはいたけどさ。
思っていたより高いんだよな。
「時間を考えると、少し滑ったらすぐ昼食だけど……一度滑ってみるか?……初心者だけど」
「……とりあえず、今の私たちがどこまでできるか試してみましょう」
「オッケー!」
結局のところ、インストラクターは予約しなかった。
理由はいくつかある。
経験者の浩紀に訊いたら、
『インストラクターなんて使ったことないから、イケる! イケる!』
と言われたのが一つ。
あいつの場合、インストラクターではなくても、経験者に教わったことくらいはありそうだけどな。
もう一つは、俺のわがままだ。
なんとなくだが、男性のインストラクターに瀬那が教わっているところを見たら、イライラしそうな気がした。
女性なら気にならないんだろうけど……。
我ながら、思ったより嫉妬深いらしい。
そのままゴンドラに乗り込んだ。小さい頃はリフトに乗った時が一番怖かった記憶があるが、今回はゴンドラなので、怖いどころか景色がよく見えて逆に楽しい。
「一面、真っ白ですね!」
「雪山に来たって感じがするな。こういうところに来るの、久しぶりすぎて新鮮だわ」
俺の言葉に、瀬那が訝しげな視線を向けてきた。
少し睨んでいると言ってもいいだろう。
「……なんだよ?」
「……スキーもスノボーもやったことないって言ってませんでした?」
「あぁ、それね。正確には、スキーをしたことはあるらしい。だけど、小学校低学年の時だから、ほとんど覚えてないんだ。リフトが怖かったのと、途中で飽きてそりで遊んだことくらいしか覚えてない」
「……そういうことですか」
まだ両親が仲良かった頃のことだからな。
……ずいぶん前の話だ。
覚えていることも断片的なものしかない。
瀬那の声が少し暗くなったのは、多分、そのことを気にしているのだろう。
「とにかく初心者と同じようなもんだからさ。頑張ろうぜ。おぉ、上に来るとまた景色が変わってくるな!」
「……はい♪」
俺が努めて明るい口調で言ったので、意図を汲んでくれたらしい。
俺自身、忘れていたくらい本当に気にしていないことだ。
せっかくの旅行をこんなことで暗くしても仕方ないから、助かる。
ゴンドラから降りた俺たちは、まずはどう滑るかをスマホの動画でおさらいした。
数日前や昨夜にも見た動画だが、実際にボードを履いてから見れば印象も変わるはずだ。
人の邪魔にならない場所で、歩き方や片足だけをボードにつけてスケボーのように移動する方法、転び方などを確認する。
「うん、完璧だな。もう滑っても大丈夫だろ」
「まだ二十分も練習してませんよ! 早いですって!」
はやる気持ちを瀬那にたしなめられながら、その後もう二十分ほど練習を続け、やっと――
「よし、そろそろいいでしょう!」
「やった!」
――とうとう、瀬那から許しが出た。
それから俺たちは、当然ながら初心者コースを滑ることにした。
いざ滑るとなると、急に緊張してくる。
眼下には白い斜面。
動画で見るのと、自分がそこに立つのとでは、まるで話が違う。
このコースは横幅が広いので、周囲に気をつけていれば人にぶつかることもそうそうないだろう。
コース脇がすぐ崖というわけでもない。
そのまま突っ立っていても邪魔でしかないので、気持ちを切り替えて滑り始める。
……とりあえず、上手そうな人の動きを思い出しながらやってみるか。
両足が一枚の板に固定されているという状態は、思った以上に安定しない。
転びそうになっても、とっさに片足を出して支えることができないのだ。
それに加え、慣れていない雪の上。
練習が必要になるのもよくわかる。
……何が言いたいかというと。
尻が痛いし、冷たい。
雪山の洗礼というやつだろうか。
「大丈夫ですか……思いっきり尻餅をつきましたけど?」
「……恥ずかしい……見ないで……」
「いつになく恥ずかしがっていますが、初心者なのですから普通ですよ。私もさっき転びましたし」
俺は開始十秒もしないうちに転んだわけだ。
初心者だから仕方ないのはわかっている。
……わかっているのだけど、それを瀬那に見られるのは恥ずかしいわけで。
彼氏として……男として。
「何を考えているか、なんとなくわかりますけど……こんなことくらいで見限ったり、蛙化……でしたっけ? そういうことにはなりませんよ?」
「……良かったです」
「もう、変なところで心配性なのですから。立てますか?」
瀬那が俺に手を差し出してきた。
多分、引っ張って立たせようとしているのだろうが……ダメだろ。
「一人で立てるから大丈夫だって」
「そんなこと言わないのですよ。……ほら」
「やめろって――」
瀬那が俺の手を掴んで引っ張ろうとする。
――が。
ドサッ!
一瞬、視界がピンクでいっぱいになった。
「きゃっ!」
「おっと……危ねーな。言わんこっちゃない」
「……足元が雪なのを忘れていました」
案の定、体重差もあるうえ、お互い足元が安定しない。
瀬那は踏ん張りきれず、そのまま俺の方へ倒れ込んできた。
先に予想はしていたので、どうにか受け止めることはできた。
顔を雪へ打ちつけるようなことはなかったが、危ない。
幸い、コースの端に寄っていたので他の人の邪魔にはなっていない。
「ふふ、こんなコース上で抱き合っていると、バカップルっぽいですね」
「実際はそんな甘い状態じゃないけどな……あと、バカップルなのは否定できないかもしれないぞ」
「……どういうことですか?」
俺は無言で周囲へ視線を送り、瀬那にも見るように促す。
「……あっ」
ここは初心者向けのコース。
ファミリー向けでもあるので、子供も大勢いる。
それに加え、初心者向けのレッスンらしきものも行われていた。
あまり速度を出さずに滑っている人が多いわけで……。
要は、俺たちのこの状態に気づく人も多いということだ。
「ゴーグルと帽子で顔が隠れていて良かったな。顔、真っ赤だぞ?」
「……言わないでください」
事情を察してくれるのは、ある程度年齢のいった人たちだけらしい。
小学生くらいの子供が俺たちを指さし、隣にいる親らしき大人へ何かを言っている。
……そして、その子は頭を軽く叩かれていた。
「さて、そろそろ尻も冷たいし、立とうか」
「……そうですね、そうしましょう」
今度は一度ボードを外してから立ち上がったので、お互いに転ばずに済んだ。
位置を調整して再びボードをつけ、滑り始めた。
◇
本来、何分くらいで滑るものなのかわからないが、あれから十五分ほどかけて、なんとか下まで滑りきった。
距離にして二キロくらいらしい。
もちろん、俺も瀬那も何度も転んだ。
だが、前から運動能力が高いとは思っていたが、瀬那は四分の三ほど進んだ辺りで要領を掴んだらしい。
そこからは一度も転ばず、最後まで滑りきっていた。
……悔しい。
「お疲れ様です、朔也くん」
「……くっ、余裕そうな表情しやがって。お疲れ様」
「なんですか、そんな顔してませんってば」
少しむくれた顔をしているが、俺が冗談で言っているのはわかっているのだろう。
……それにしても、ほんの少しだけ勝ち誇っているように見える。
「わかってるよ……悔しかったんだって」
「ふふ、コツを掴んできましたよ」
「あの後ろ姿を見たらわかる。自転車の乗り方を教えた時も思ったけど、瀬那ってバランス感覚もいいよな」
「特に何かしていたわけではないのですけどね。幼い頃から良いとは言われます」
体幹が強いのか、後ろから見ていると重心が安定しているように見えた。
それがスノボーにどれくらい重要なのかはわからないけど、見ていて格好良かったのは確かだ。
あとは、身長が低――
「サクヤクン、ナンデショウカ」
「ごめんなさい」
また読まれてしまったらしい。
俺って、そんなに顔に出やすいのか? マジで疑問。
「もう! それで、もう一度滑りますか?」
「……当たり前だろ。悔しいから、もう少しやりたい」
「了解です♪」
俺たちはもう一度ゴンドラに乗り、同じコースを滑った。
二度目だからか、転んだ回数は俺も片手で数えられるくらいだったが、瀬那は一回だけだった。
……悔しい。




