第175話 長野旅行①
年が明ける二日前である十二月三十日、今日から旅行だ。
朝早く起きた俺と瀬那は、家の戸締まりやガスの元栓などを確かめて家を出た。
今回は冬なので服の量が多く、金沢の時と違って二人とも大きめのスーツケースを使っている。
最初は大きめのスーツケースに二人分を入れて、それぞれリュックで行こうかと考えていたのだが、思った以上に荷物が入りきらず断念したのだ。
だが逆に、二つになったことで手持ちの荷物を少なめにできたのは大きい。
調整した結果、ちょっとそこまで遊びに行くくらいの手持ちになったわけだ。
ガタガタとスーツケースを引きながら駅まで歩く。
「ふふ、ここを二人でスーツケースを引いていると、拾われた時のことを思い出しますね」
「拾われたって、ネコかよ……。そういや、そうだな」
進行方向は逆だが、公園で拾った次の日か、その次の日くらいに、瀬那の家から荷物を運んだ時もこのスーツケースだったことを思い出す。
その時の帰り道に、ここを通ったわけだ。
少し前、たまたま一人の時に通ったのだが、瀬那が住んでいたアパートはすでに取り壊され、更地になっていた。
売地の看板は立っていなかったので、また何か建つのかもしれない。
……今でも、半壊した部屋の光景は思い出せる。
そんな感傷に浸りながら駅に着いた俺たちは、新幹線に乗るため、電車でターミナル駅まで移動することになる。
奇しくも、これから金沢へ行った時と同じ新幹線に乗るわけだ。
「私としては因縁の新幹線です。今度こそ寝ないで景色を楽しみます!」
「……フラグだな。……いてっ」
肩を叩かれた。
見ると、瀬那が頬を膨らませている。
不本意らしいが……考えてほしい。今日も朝早くに起きたんだ。しかも、女性の準備の関係で俺より早起きだった。
さらに言うと、遠足前の子供と同じく、興奮して昨夜寝るのが遅くなっていたわけだ。その状態で二時間弱の新幹線。
……絶対寝るね。
「それなら、今のうちに少しでも寝ておいたらどうだ? 乗り換えまで三十分はあるからさ」
「……れません」
「うん?」
「楽しみすぎて、寝られないのです……」
はい、お疲れ様でした。
寝るのはほぼ確定です。
それから乗り換え駅で新幹線に乗り込み、前日に買っておいた朝食やお菓子を取り出す。
コンビニで買うより、スーパーで買った方が安い。
新幹線での移動だけで二時間弱かかるので、家では食べず、ここで朝食を取ることにしておいたのだ。
駅弁でも良かったのだが、年末で駅構内がどこまで混雑するか予想できなかったのでやめた。
「ここまで来れば一安心ですね。野沢温泉ライナーでしたっけ?……あれに乗り遅れても、最悪タクシーがありますし」
「都合よくタクシーがいればな」
「?」
「まあ、大丈夫だろ」
年末ってこともあるし、あの辺りは車社会だろうから、タクシーの台数が多いとも思えない。
幸いと言っていいのは、この時期の野沢温泉ライナーは一時間に一本くらいあるみたいだ。
それに、飯山駅から出なくても休める場所はあるみたいだし、大丈夫だろう。
――というやり取りをしたのが、約十分前。
今、俺はスマホで読書をしていた。
その隣では、愛しい彼女が俺の肩にもたれかかり、静かな寝息を立てている。
……二コマ落ちすぎる。
それに、金沢の時も同じような光景を見たことがあるな。
あの時はストーカー野郎のせいで、少し落ち込み気味だった。
たまたま以前から決めていた旅行がタイミングよくあり、いい気分転換にはなったと思う。
だけど今回は違う。
特に何もなく、純粋に旅行を楽しめるはずだ。
カシャ♪
せっかくなので、旅の思い出として撮っておいてあげよう。
後で喜んでくれるはずだ。
……だから、寝顔を撮ったことは怒られないはずだ。
◇
飯山駅に着く少し前に起きたせなちーは、もうすぐ着くことがわかると、両手で顔を隠してへこんでいた。
さすがに可哀想なので、彼女の肩に手をポンと置いてから、
「な。言った通りだったろ?……いてっ!」
また腕を叩かれた。……解せ……なくはない。
予定通り飯山駅で降りると、野沢温泉ライナー――バスが来るまで、駅で待つことになる。
時間にして数十分。
だが、この駅にはカフェがあるので、そこで時間を潰すことができる。
「バスの時間まで二十分くらいありましたよね」
「……うん、予定通りみたいだからそれくらいだな。上にカフェがあるみたいだし、そこで時間潰そうか」
「はい!」
席と飲み物を確保して荷物を置くと、瀬那は、
「眠気覚ましに、その辺りを見てきます!」
と、散歩しに行った。
迷子になることもないだろうし、事件に巻き込まれることもないはずだ。
メガネの少年や IQ 高めの高校生がいなければな。
それにしても、今日の彼女は珍しく落ち着きがない。まだそわそわして、テンションが高いのがわかる。たぶん今の瀬那に尻尾があったら、全力で振っている。
窓から見える景色を眺めるため、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。
学校で見せる落ち着いた姿とは似ても似つかない。
……そこまで喜んでくれるなら、誘った甲斐があったと思える。
できれば俺も一緒に見たいのだが、荷物が心配でその場を離れられない。
こういうところは、我ながらそんな性分なのだと思う。
心の中で自分自身にツッコミを入れながら彼女を見ていると、俺の視線に気づいたのか、瀬那がこちらを振り返った。
目が合うと、楽しそうに微笑んでくれる。
……楽しそうで何よりだ。
野沢温泉ライナーにも無事に乗れ、揺られること三十分弱。
バスから降りた瞬間、冷たい空気が頬を刺した。
「寒っ……」
東京の寒さとは、レベルが違う気がする。
飯山駅でも十分寒かったはずなのに、ここまで来ると一段違う気がする。
息を吐けば、白い煙がすぐ目の前に広がった。
周囲を見渡すと、道路の脇には除雪された雪が壁のように積み上がり、その向こうには大小さまざまな建物が肩を寄せ合うように並んでいる。
屋根にもこんもりと雪が残り、遠くに見える山まで白く染まっていた。
駅前とはまるで違う景色だ。
旅館らしい和風の建物もあれば、土産物屋や飲食店らしい看板も見える。
道を行き交う人の中にはスキーウェア姿もちらほらいて、大きな板を抱えて歩いている人までいた。
「おぉ……来たって感じがするな」
「はいっ! 一気に温泉街らしくなりましたね!」
隣では、瀬那が寒さも忘れたように目を輝かせている。
雪に覆われた温泉街を眺めていると、ようやく旅行に来た実感が湧いてきた。
◇
バスを降りてから十分もかからず、宿泊予定の旅館へ着いた。
目の前には、ザ・旅館といった佇まいの玄関。
暖簾や、季節柄か門松までが俺たちを迎えてくれる。
古めかしい見た目だが、本当に古いというより、そう見えるように趣を残しているのだろう。
「大きい旅館ですね」
「……思った以上にでかい。旅館だからかな、余計に高そうに感じるな」
「……その気持ちがわかってしまうのが、少し嫌ですね」
旅館に着いたのはいいが、チェックインにはまだ早いので、荷物だけ預かってもらう予定だ。
……今回もちゃんと先に確認しているぞ。
少しだけ勇気を出して、自動ドアから中へ入る。
玄関を抜けると、その奥には落ち着いた色合いの絨毯が敷き詰められ、木を基調とした内装が広がっていた。
外から見た和風の雰囲気はそのままだが、古びた感じはまったくない。
土足のままでいいらしく、そのままフロントへ向かった。
「本日ご宿泊のお客様でしょうか?」
「はい。まだチェックインの時間前なので、荷物だけ預かっていただければと思いまして。今日から宿泊予定の東條です」
「かしこまりました。確認いたしますので、少々お待ちください」
フロントスタッフが確認を始める。
……なぜか無駄に緊張してしまう。
「……なあ、今回は大丈夫だよな」
「さすがに金沢と同じことは起きないですよ……ね」
「……」
「黙らないでくださいっ」
待つこと一、二分。
確認が取れたのか、フロントスタッフが顔を上げた。
「お待たせいたしました。ご予約を確認できました。お荷物はこちらでお預かりできます。また、このあとゲレンデへ行かれるようでしたら、着替え用のスペースもご用意できますが、いかがなさいますか?」
着替えはチェックインしてからでないと駄目だと思っていたので、それまでは辺りを散策しつつ、昼食にしようかと話していた。
もしこのまま雪山へ行けるのなら、それはそれでいいように思える。
「そうなのですね。……瀬那、せっかくだから今からスノボーやりに行くか?」
「はい、行きましょう!」
「……ということで、一度着替えてきます」
「かしこまりました。あちらのスタッフにお声がけいただければ、着替え用の個室へご案内いたします」
俺たちは一度フロントを離れ、着替えに向かう。
着替え用スペースの近くにいたスタッフへ一言声をかけ、中へ案内してもらった。
案内されたのは、宿泊客向けに一時的に貸し出している小さな個室だった。
「……待て、同じ部屋なのかよ」
「まあ、そこは気にしなくて大丈夫ですよ」
「気にしないといけないのは瀬那だろうに……」
「私は気にしませんよ?」
付き合っているとはいえ、もう少し恥じらいをだな……。
だが、それをここで言って別々に着替えることになれば、好意で貸してもらっている部屋を長時間占有することになるか。
「仕方ないか……あまりこっちを見るなよ?」
「それこそ私のセリフではないですか?」
とりあえず、少し離れた位置で着替えることにする。
簡単ではあるが、仕切りもあるので助かる。
俺は早めに着替えを済ませ、瀬那の方を見ないようにしながら、今後の流れをスマホで確認する。
近くのバス停から無料のシャトルバスが出ているようなので、それに乗れれば良さそうだ。
「朔也くん、もう着替え終わりましたか?」
「ああ、終わったよ」
「良かったです。では、私も出ますね」
仕切りの向こうから瀬那が姿を見せる。
ちゃんとスノボーのウェアに着替え終わっていた。
「……お前、さっきから随分と平然としてるな」
「そうですか? まあ、朔也くんしかいませんからね」
「それが問題なんだよ……」
「付き合っているのですから、そこまで気にしなくてもいいのでは? そもそも、今更ですよ。いつも隣の部屋で着替えているのですから」
ぐうの音も出ないとは、このことか。
確かにそうなんだが……。
そう……そうなんだけど……。
「お前は少しくらい恥じらいを持てよ……」
「失礼ですね。私だって恥じらいくらいありますよ」
瀬那は文句を言うように腰へ手を当て、頬を少し膨らませた。
これ以上何を言っても仕方ないので、頭を撫でて誤魔化しておく。
部屋を出て、近くにいたスタッフへ着替えが終わったことを伝え、再びフロントへ戻った。
「それでは、お荷物はこちらでお預かりいたします。お部屋の準備が整いましたら、こちらでお運びしておきますね」
「ありがとうございます。お願いします」
「はい。こちらは石田が承ります」
「!?」
思わず瀬那と顔を見合わせる。
声にならない悲鳴が、二人の間で静かに響いた気がした。
フロントスタッフ……石田……。
……うっ、頭が。
もちろん、あの石田さんとは何の関係もない……はずだ。
わかっている。
わかっているんだが……。
嫌な偶然もあるものだ。
……頼むから、ここの石田さんは何もしないでくれよ。
このパート長くなる予定です。
ご了承ください<(_ _)>




