SS 南雲 瀬那:一人で寝る夜
今夜、朔也くんはいません。
前川さん宅で泊まり込みの勉強会です。
今日の昼食後、家を出る前のことです。朔也くんは私のことを気にして、声をかけてくれました。
『一人で大丈夫か? 寂しくないか?』
『幼い子供じゃあるまいし、大丈夫ですよ。お友達と過ごす時間も大事だと思います。気にせず行ってきてください』
『……ちゃんと一人で寝れるか?』
『……やっぱり、子供扱いしてますよね?』
玄関の扉が閉まった瞬間、部屋がいつもより広く感じました。人が一人減っただけで、こんなにも空間は変わるものなのですね。いつもなら気にも留めない冷蔵庫の作動音まで、妙にはっきり聞こえます。
「……寂しいですね」
ここに来る前はずっと一人で過ごしていたのに、たった一日……いえ、たった一夜だけ一人になるとわかっただけで、こんな気持ちになるとは。
「我ながら、朔也くんに依存していますよね」
さて、気持ちを切り替えましょう。
私も私で、今日は久しぶりに一人で過ごす日になります。いつもはできないようなことをしてみましょう。
とりあえず、TV をつけてみました。
朔也くんが暇なときにしているように、ネト〇リを起動して、何か手頃な映画がないか探します。
「これは以前、話題になった恋愛映画ですね。今度、朔也くんと見ましょう」
他には……。
「これは、この間朔也くんと一緒に観た映画の中で、一番面白かった作品ですね。観たことがありますし、違うものにしましょう」
話題の作品から探すと、観たことがあるものが多いです。
「このアクション映画は、朔也くんが今度観たいって……さっきから、朔也くんのことばかり出てきますね……」
我ながら単純なものです。
今の私の生活は、彼がいてこそ成り立っているのだと再認識します。
住まいもそうですが、それ以上に精神的にも、彼がいるから安心できているのでしょうね。
せっかくなので、恋愛映画を観てみましょう。
えっと……あらすじは――
『目覚めたら十年前に戻っていた!? それなら私は、幼馴染の彼を助けなくちゃ!』
――タイムリープものということでしょうか。
この手の話は良作か駄作かにはっきり分かれる印象で、中途半端な作品はあまりないですよね。
『何もやる気が出ず、日々を惰性で生きていた私。信号待ちをしていると、突然背中を押された!? 車が勢いよく走る道路へ飛び出してしまった私は、轢かれる寸前、目の前が一瞬光り――目を開けると、身体が縮んでいた! それに、いつの間にか小さい頃に住んでいた部屋。どうやら私は過去に戻ったらしい! それなら、彼を、幼馴染で大好きだった彼を助けなくちゃ!』
……なるほど。
好きな人を救うお話ですね。
『彼を殺そうと、何度も迫りくる事故や天災、そして未知の生物! 私は最後まで彼を救うことができるのか!? あの巨匠「ウチジ・ヤ・ナイヨ」がこの夏贈る、涙なしでは語れないかもしれない、感動の恋愛物語!』
「……えっ!? 最初の二つは良いとして、最後のは何なのですか!? なんで現代風なのに、UMA が出てくるのですか!? き、気になるじゃないですか! これにしましょう!」
早速、その映画を再生します。
鬼が出るか蛇が出るか……楽しみです!
◇
「ぐすっ……まさか、あんなことが起こるなんて……。彼女の祖母のあのセリフは、そういうことだったのですね……。UMA が実は……だなんて、わかるわけないじゃないですか……。感動しました!」
想像以上です。
まさか適当に選んだ映画で、こんなに感動するなんて思いませんでした。
……恋愛映画かと言われると微妙ですが、感動できる大作ですね。
これは今度、朔也くんにもおすすめしないと。
「あ、もういい時間ですね。ご飯を用意しましょう」
一人なので声に出す必要はないのだけど、つい癖で語りかけてしまいます。
数か月前の自分がどうだったのか、もう思い出せません。
一人前だけ用意するのは少しおっくうです。
なので、昨晩の残り物を集めて食べることにしました。
「……一人で食べるの、味気ないですね」
テーブルの向かい側には、当然誰もいません。一人分減っただけなのに、テーブルは昨日よりずっと大きく見えます。
普段なら朔也くんが座っている場所が空いているだけなのに、妙に目についてしまいます。
少しの間だけですが、叔母様の家にいたときも一人でした。
ただ、あれは仕方のないことです。叔母様も怒っていましたけど……。
一人暮らしを始めてからは、当たり前ですが一人です。
一年以上その状態で、もう慣れたと思っていたのですが……。
(ここに来て……朔也くんと一緒に食事をするようになって……また、寂しさがわかってしまいました)
もちろん、駄目なことではありません。
むしろ良い変化だと思います。
だからこそ、もう離れたくないとも思ってしまう。
お風呂に入っても、それは変わりません。
ここに住んでからも、お風呂はいつも一人で入っているのに、やっぱりどこか寂しい。
「……重症ですね」
弱くなったと……そう自覚してしまいます。
でも、本当にそうなのでしょうか。
昔の私は一人でも平気だったのではなく、一人でいるしかなかったから、平気だと思い込んでいただけなのかもしれません。
この弱さが悪いのか良いのか、私にはまだわかりません。
それでも、悪いことだとは思いたくありません。
お風呂から上がった私が目にしたのは『あるもの』。
気づいたら、手が伸びていました。
くんくん。
「朔也くんの匂いがします」
くんくん。
「これはこれで……いいかも?」
実は今朝、朔也くんが脱いだパジャマを洗っていません。
休日なら朝から洗濯をするのが日課ですが、少しだけ、本当にほんの少しだけ、この寂しさを予想していたので、今日はしていませんでした。
……自然にしていたので、彼には気づかれていないはず。
「……」
朔也くんが寒くなったこの時期に着ているのは、主にチャックのないパーカーです。彼曰く、「フードを被りながら寝ると気持ちいい」とのことです。
私も彼も暖房を付けずに寝るので、そうしたくなる気持ちはわかります。
くんくん。
「……」
いっそ、これを着てみても良いでしょうか……?
明日の朝、洗濯をすれば大丈夫な……はず?
「……」
きょろきょろと周りを見回しますが、もちろん誰も見ていません。
これは……チャンス!?
「……いやいや、さすがに本人の許可なく着るのは駄目ですよね――」
ズボ!
「――はっ! 朔也くんに包まれている!?」
意識していないうちに、いつの間にか着ていました!
不思議なくらい落ち着きます!
袖は手の先まで隠れ、裾も普段の私の服よりずっと長い。少し厚手の生地が、肩からふわりと落ちてくる。
……これ、思った以上に『朔也くんに包まれている感』がありますね。
「どうしてこうなったのかわかりませんが、もう着てしまったのは仕方ないですね。うん、仕方ないのです。このままでいましょう♪」
心なしか独り言が多くなっていますが、大したことではありません。
このパーカーを着られたことに比べれば!
歯磨きをして寝る準備が終わった私は、いつもの朔也くんのベッドに入りました。
「……冷たい」
なぜ冷たいのかは考えないようにします。
余計に寂しくなるからです。
……この家に住んでから、一人で寝るのはいつぶりでしょうか。
正直、買ってもらった自分用の布団で眠った記憶が、あまりありませんね……。
「まあ、そんな些細なことはどうでもいいです」
私は物心ついたときから、一人で寝ていた記憶しかありません。
ひいおばあちゃんたちとは仲が良かったですが、一緒に寝ることはありませんでした。家柄の問題もありますが、教育方針だったのかもしれません。
……雷が怖くても、一人で耐えるしかありませんでした。
(……思い出しても仕方ないですね。もう寝ましょう)
身体中から香る朔也くんの匂い。
彼はここにはいませんが、全身を包まれているように感じられて……安心します。
フードを被り、私は着ている服を抱きしめながら、目を閉じました。
パーカーの内側はもう私の体温で温かくなっていましたが、それでも、どこかに朔也くんの温度が残っているような気がしました。
目を閉じたものの、なかなか眠気がやってきません。
「何時でしょう……」
枕元のスマホを手に取ると、もう日付が変わろうとしていました。
普段なら、とっくに寝る準備を終えている時間です。
(朔也くんたちは、まだ起きているのでしょうか)
なんとなくメッセージアプリを開き、朔也くんとの画面を表示します。
『まだ起きていますか?』
そこまで入力して、指が止まりました。
「……駄目です」
せっかく前川さんたちと一緒に過ごしているのです。
寂しいからという理由で、私が邪魔をしてはいけません。
入力した文字を全部消して、スマホを伏せます。
「私は一人でも大丈夫です。……多分」
目を閉じます。
「……やっぱり、眠れません」
再びスマホへ手を伸ばしました。
連絡はしません。
しませんが……少し動画を見るぐらいなら問題ないでしょう。
そう思っていたはずなのに。
「……一時半?」
画面に表示された時間を見て、私は固まりました。
「これは……明日の朝、起きられないかもしれませんね」
さすがにスマホを置き、今度こそ目を閉じます。
パーカーの襟元を少しだけ握ると、微かに残る朔也くんの匂いがしました。
「……おやすみなさい、朔也くん」
本人はいませんけどね。
今度は先ほどよりも早く、眠気がやってきました。
◇
ガチャ。
多分、もう朝です。
窓から微かに差し込む陽の光を感じながら、ぼんやりと意識が浮かび上がってきます。
その中で聞こえてきたのは、玄関のドアが開く音でした。
この家に入れるのは、私と朔也くん……だけです。
だから、心配することは……ありません。
パタパタとスリッパの足音が近づいてきますが、気にする必要は……ないです。
意識が再び沈みかけたところで、寝室に誰かが入ってくる気配がしました。
「……な……せ……瀬那? よかった、寝ているだけか。それならいいや」
「うん……んにゅ……さく、やくん……?」
「ごめん、起こしたか」
重い瞼を開くと、目の前にはいつの間にか朔也くんがいます。
昨日、家を出たときと同じ格好で、ベッドの横に立っていました。
「おかえりなさい」
「おはよう、瀬那。いつもなら起きている時間だったからビビったけど、眠いだけならまだ寝てていいよ」
近くに置いてあるスマホを見ると、もう九時を回っていました。
「えっ!? もう九時ですか! お、起きます!」
「予定もないし、休日だから寝てても良いんだけど……それより、なんで俺の服を着てるんだ?」
「はっ!」
しまった!
朝、起きてすぐに着替える予定が……。
「……知りません。わかりません。気のせいではないですか」
「いや、着てるだろ」
「知りませんっ」
私はぐいっと掛け布団を頭まで被って、彼の視界から逃げます。
戦略的撤退というやつです。
「瀬那?」
「朔也くんがいないのが悪いのです!」
布団の中から自然と出た声は、完全に逆ギレのそれです。
自分でも何を言っているのか……。
彼に呆れられてしまう。
「……寂しかったのか?」
「……違います」
「違うのか」
「……少しだけです」
小さく答えると、布団の向こうから「くくっ」と笑う声が聞こえました。
「うぅー!」
私は布団の中から唸り声を上げて、威嚇しておきます。
「……なんですか? 私のことがそんなにおかしいですか?」
これは文句を言わずにはいられません。
「ごめんって。いや、やっぱり寂しかったんじゃないかと思ってな」
「……っ! もう! 知りません!」
「ごめん、ごめん」
もう!
怒りました!
しばらくは口をきいてあげません!
……十分ぐらいは。
……たぶん。
― 南雲 瀬那:一人で寝る夜 完 ―




