第164話 年末年始のご予定
俺は今、数か月前と同じ状態に陥っていた。
『それ』は今、俺の手の中にある。
数か月前も、こんな紙切れ一枚に振り回された記憶があるんだよな……。
「期限が年度末じゃねーのかよ……」
十二月に入ろうかという頃、一週間後に迫った期末テストの勉強をしていたら、ふと部屋の整理をしたくなった。
だから、俺は朝から自室の掃除を始めていたわけだ。
『……わかりますよ。課題や勉強をしていると、ふいにそういうことしたくなりますよね』
と、瀬那には生温かい目で見られてしまったが、やりたくなったものはしょうがない。
日々、復習とは別に勉強しているので、そこまでテストに焦っていないというのもある。
そして簡単に掃除をして、ふと目に入った優待券をしまっている棚を確認したら……という流れだ。
普段使わない優待だから、忘れてしまっても仕方ない。
夏休みに使い切れなかったものだったから、さらに仕方ない。
そう、仕方ないんだ……。
俺はそれを持ったまま、リビングで雑誌を読んでいる瀬那のところへ戻った。
わざわざリビングで読んでいるのは、気分だと思う。決して俺が掃除で音を上げるのを待っているわけじゃないだろう。
「あれ、掃除はもう終わったのですか? それとも手伝いましょうか?」
残念、後者でした……。
「ほとんど終わったよ。それよりも瀬那さん……お願いがあるのですが……」
「……何を改まって。少し怖いじゃないですか」
瀬那は読んでいた雑誌を閉じて、俺の方へと向き直った。「怖い」とは言っていたが、その仕草に怯んだ様子はまったくない。
「瀬那さんは冬休み、大きなご予定はありますでしょうか?」
「だから何でそんな畏まって……。大きな予定と言われると、特にないですね。愛莉さんや雫さんたちと遊ぶ予定があるぐらいです」
「……そうか。なら、年末年始に旅行へ行か――」
「行きます!」
食い気味に、しかも立ち上がって迫ってきながら即答された。
瀬那が年末年始に帰省することはないので、用事があるとすれば初詣ぐらいだろう。それなら俺も一緒に行くのは当たり前だろうし、場所はどこでもいいはずだ。
そう、県外でも。
「おう、賛成してくれて良かった」
「旅行へ出かけるのはもちろん賛成ですよ! でも、それで畏まる必要は――あ、もしかして?」
「……はい、そのもしかしてかと」
俺は隠していた優待券を見せた。
使い道は前回と似たようなものだが、対象になる場所や路線が少し違う。
「期限が見事に年末ですね」
「そうなんだよ。せっかくなら使いたいだろ?」
「……これって、あの時にホテルで使ったものに近いのですか?」
夏休みのホテルは結構な割引になっていた。
後でそのことを知った瀬那は、唖然としていたな。
「まあ、同じようなものだな。それは置いておいて、どこに行きたいとかある?」
俺は瀬那の正面の席に座りながら、検索するためにスマホを取り出した。
「そうですねー。私としては、寒い中で温泉に入りたいとは思います。せっかくなので、冬ならではのアクティビティもやりたいですね。夏は海に入りましたし」
そう言うと、瀬那はさっきまで読んでいた雑誌を開いた。
そこには『冬休み、彼氏と行く旅行はここだ!』と、神の啓示のごとく、でかでかと書かれている。
そして、そのまま一度部屋に戻ると……ノート一冊分ぐらいの旅行チラシの束を持ってきた。
「……結構あるな」
いや、旅行代理店でも開くつもりだったのだろうか。
「なんででしょうね?」
瀬那は、あたかも「意味がわかりません」と言わんばかりに首を傾げていた。
だが、俺は知っている。
金沢旅行で旅行そのものの楽しさを見いだした瀬那が、定期的に旅行チラシを持って帰ってきていることを。行かなくても、見ているだけで楽しいらしい。
「何、その意味のない誤魔化し。……まあ、いいか。冬ならではのアクティビティね……。それなら、定番のスキーとかスノボーか?」
冬のスポーツの定番を挙げると、彼女は「あっ……」と小さく声を漏らした。
「……私、やったことないです……」
俺たちの年齢なら、親に連れて行ってもらわなければ、なかなか行く機会もないだろう。それは予想できた。
「そんなことだと思った。安心しろ、俺もやったことがない!」
「なんで自信満々に!?」
正確には、スキーなら二度ほどやったことはある。
ただ、小学校低学年の頃だし、ほとんど覚えていないから同じようなものだ。
「教えられないけど、一緒に覚えていくのは、それはそれで楽しくないか?」
「……それ、良いですね。一緒に練習するのも楽しそうです♪」
「インストラクターを付けるかどうかは置いておいて、動画でも参考にすれば、ある程度できるだろ。俺と瀬那の運動能力ならさ」
「その自信がどこから来るかわかりませんが……」
瀬那は教えたらすぐに自転車にも乗れたのだから、大丈夫だろうと思っている。
どちらかと言うと、俺の方が心配だ。
「とりあえず、これを見て当たりをつけてみようか。それであとは、優待を扱ってくれそうな旅行代理店に行ってみようと思うけど、瀬那はどうする? テスト勉強もしないとだろ?」
「もちろん、行きますよ! 朔也くんだけ行かせたら、どういう所を選ぶか気になって勉強に身が入りません!」
「オ、オッケー。それなら、今すぐ考えようか。さすがに少しはテスト勉強したいし」
「はい!」
行くことが決まってから、瀬那のテンションが高い。
これは暴走しないように気を付けないとな。
旅行チラシのうち、スキーやスノボーを扱っているものを見ると、行き先は北の北海道から、新潟や長野といったところだった。
とりあえず店員に訊く前に、多少は知識を入れておきたい。
「せっかくなら北海道まで行くって手もあるよな。食べ物も美味しそうだし」
「そうですね。飛行機になりますが、いつか行ってみたいと思います。でも、場所によっては車がある前提で考えた方がいいと聞いたことがありますね」
「あー、確かに聞いたことあるかも」
北海道の地図だけ見ていると近く見えても、実際に移動するとかなり距離があると聞く。
しかも、場所によっては公共交通だけだと移動が大変らしい。
……行ったことはないから、聞いただけだけど。
「さすがに車の免許は取れないから、行くならちゃんと考えないとな」
「早くても、あと二年は必要ですからね。私もいずれは取りたいです」
「……取るのは良いけど、一人で免許合宿に行くのはやめてな」
「なぜですか?」
はっきりとは言いづらい。
だから俺は、瀬那の耳元に内緒話をするような感じで伝えた。
「……っ! え!? そんなことがあるのですか!?」
「本当かどうかわからないけど……あるらしいぞ」
「気を付けます……行くなら朔也くんと一緒です」
「そうしてくれ」
本当かどうかわからないが、用心に越したことはない。
瀬那の身の安全が大事だからな。
◇
行き先をある程度絞った俺たちは、ルナポートへと向かった。
近場で複数の旅行代理店を比較できるのは、やっぱりルナポートだった。
大きめの駅なら駅前に一店舗ぐらいはあるだろうが、比べるなら複数の店舗が並んでいる方がいい。
ルナポートでは旅行代理店が一か所にまとまっているので、その点でも都合が良かった。
まずは、それぞれの店舗前に置いてある『スキー・スノボー特集』というポップの下に並んだ旅行チラシを眺める。
そこには、瀬那が持っていたものと同じものがずらり。
瀬那は「あ、これも見たやつです」「これは新作ですね」と、一枚一枚楽しそうに見比べている。もはや旅行代理店の常連のような手つきだった。
……瀬那さん、ここから持ってきたな。
いや、そうだろうとは思っていたけど。
まずは大手の旅行代理店へ入った。
入り口で番号札を取ると、幸いそこまで混んでおらず、三組待ちだった。
呼ばれるまで、条件の最終確認をしておく。
椅子に座ると、瀬那がそわそわしているのがわかった。
「あははっ、落ち着けって」
「仕方ないじゃないですか。初めてなのでドキドキですよ?」
夏休みの金沢旅行では、旅行代理店を使わなかった。
優待券の都合で代理店を使えなかったのもあるが、利用できる新幹線の方向が決まっていたこともあって、思ったよりスパッと行き先が決まったのが一番の理由だ。
今回は勝手のわからないスキー旅行なので、相談しに来たわけだ。
「八番の方、四番窓口までお願いします」
「行きましょうか、朔也くん!」
「だから、落ち着けって。死地へ向かうわけじゃないんだから」
瀬那の意気込みに笑いが出そうになるのを必死で抑え、俺は瀬那に続いて呼ばれた窓口へ向かった。
「今回は、どちらのご用件でしょうか?」
窓口には、人当たりの良さそうな女性が座っていた。
明らかに若い俺たちに対しても驚くことなく、笑顔のまま椅子を勧めてくれた。
「はい、スキー場が近くにあって、温泉や――」
俺は瀬那と相談して決めた条件を、お姉さんに伝えた。
「――という条件です。事前に見た旅行チラシだと、長野か新潟辺りかなって考えているのですが」
「その条件だと、北海道や山形も候補に挙げられますよ」
「そうですね。移動は電車か新幹線しか使えないんです。車はまだ免許を持っていなくて」
「そういうことでしたら、そうですね――」
お姉さんは、手元にあった資料の入ったファイルを広げた。
この時期だから、同じような旅行計画を立てる人もいるだろうし、すでに用意されているのだろうな。
「そうですね。この辺りがよろしいかと」
見せてくれたのは、長野の野沢温泉周辺と、新潟の越後湯沢。
事前に調べていた時にも候補に挙がっていた場所だ。
「どちらも有名なところですし、ここからでも移動にさほど時間がかかりません。また、温泉地としても有名ですから、気に入っていただけるかと」
「ありがとうございます。それでしたら――」
そこからさらに条件を出して候補を絞った結果、最終的に長野の野沢温泉に決まった。
有名なところだから、大きく外すことはないだろう。
ただ、人混みは凄いかもしれない。とはいっても、どこへ行っても似たようなものだろうし、気にしたら駄目だ。
そのまま、新幹線や宿泊先について相談を続けた。
ただ、宿泊先には株主優待を使いたかったので、少し面倒なお願いをすることになる。
「宿泊先はこちらの株主優待を使いたいんですけど、こちらで相談だけして、新幹線の手配をお願いできますか?」
俺は持ってきていた、宿泊用と新幹線用の優待券をお姉さんに見せた。
「もちろん可能ですよ。……えっ?」
「どうかされましたか?」
それを見たお姉さんが、驚いた声を漏らした。
「い、いえ、すみません。お気になさらずに。少しお調べしたいことがありますので、少々お待ちいただけますか?」
「はい、大丈夫です」
そう言って、お姉さんは優待券を持って奥へ行った。
すると、
「店長! これってアレじゃないですか!?」
……聞こえてますよ、お姉さん。
俺は瀬那の方を見て、「なんだろうな」とでも言うように首を傾げたが、瀬那は呆れた顔をしている。
……なんで?
「……朔也くん。あの株主優待券って、やっぱりすごいものではないですか?」
「さあ、よくわからん。使うかどうかわからないけど、良さそうなやつを教えてもらったんだよ。あれもその一つだ」
「……どなたにですか?」
「須藤先生にだよ。投資を始める時に、便利だからって勧められた」
いじめの件では、弁護だけでなく、その後のことまでフォローしてくれた。
中学生だった俺が、まとまった慰謝料を手にして金銭感覚を狂わせないように、と。
ただ……。
「……あのお二人の金銭感覚で?」
「今思えば、そこを考慮してなかった」
あの二人、はっきり聞いたことはないが、相当持っていると思う。
何がとは言わないが。
……今更ながら、そんな二人の金銭感覚を基準にした「おすすめ」を鵜呑みにしたのは失敗だったかもしれない。
「恐ろしいよな。だから、もしかしたらやらかしているかもしれないな……」
「私としては……朔也くんの方が恐ろしいですけどね……」
「なんで!?」
顔を背けた瀬那が、小声で「だって、その二人のおすすめを……」と言っている。
なんとなく察したが……解せぬ。
そんな話をしていると、お姉さんが戻ってきた。
手には資料を持っている。
「お待たせしました。こちらの優待について確認してきました。野沢温泉でお使いになるなら、こちらのお宿がよろしいかと」
そう言って見せてきたのは、いわゆるラグジュアリー宿に分類されるような高級旅館だった。
……「高校生にそれは高すぎるだろ」と言いかけたところで、俺たちが高校生だとは話していないことに気づく。見た目が若いけど、ギリギリ大学生にも見えなくはない……か。
だが、あの優待を見た上でこの宿を提案してきたことを考えると、うかつにそれを言えない気がした。
とりあえず資料を手に取り、瀬那と一緒に見ながら小声で話す。
「……ここって、たぶんだが、金沢のところよりやばいぞ」
「……お値段を見てください。高校生が泊まっていい所ではないですよ」
「……でもな、ここで高校生って言うと、多分面倒なことになる」
「……ああ……それは、確かに……」
俺の懸念を聞き、瀬那も想像できたのだろうな。
親の優待を使っていると思われるなら問題ないが、盗んできたと思われるなら当然まずいし、金券ショップで手に入れたものだと思われても、優待の利用条件に引っかかる可能性がある。この優待は株主本人かその家族しか使用できない。
……そもそも、高校生が泊りの旅行ってだけで目立つのにな。
「……腹をくくるしかないか」
「……えっ!? 朔也くん、待ってください!」
「せっかくの旅行だ。今回ぐらい良いところに泊まろう」
「『今回ぐらい』で済ませていいお値段ではありませんよ!?」
気づけば、暴走していたのは俺の方だった。
その勢いに押され、瀬那もしぶしぶ了承した。
……でも、優待適用後には金沢の時と同じくらいの金額まで割り引かれ、二人そろって安心したのは、そのすぐ後だった。
「な、なんだ……よかった……」
「本当ですよ……変な汗かきました……」
……さっきまでの覚悟を返してほしい。
高校生らしくないことさせる時の魔法の言葉「株主優待」。




