第160話 三者面談の問題(一年次)
あの日以降、エレノアはあの話題を俺たちに持ち出すことはないまま、自然にクラスへと馴染んでいった。
瀬那との間には少しぎこちなさがあった……と言うより、瀬那が一方的に警戒していたのだが、エレノアがあまりにもいつも通りだったためか、すぐにその緊張はほどけていった。
たまたま俺とエレノアの二人になるタイミングがあったのだが、その時、彼女は言っていた。
『サクヤがセナを大事に思っているのはわかる。ワタシもカズトが大事。だから、これ以上セナを巻き込むつもりはない。……でも、サクヤ。あなたは多分、逃げられないと思う。これはワタシが何かするのではなく、フェイト――運命よ』
『……どういう意味だ』
『ただのフィーリングよ』
すぐにみんなが合流したので、それ以上は追及できなかった。
だけど、瀬那もそうだが、この手の女性の勘はよく当たる。それなら、せめて瀬那が巻き込まれないようにしないとな。
そんなことはあったが、学校生活は変わらず進んでいく。
以前から通知されていたとおり、今日から三者面談が始まった。
三者面談の三者は、生徒と先生、それと保護者だ。
これには俺も瀬那も困ったわけだ。
まず、瀬那の方だ。
当たり前だが、実の両親に連絡を取るわけがないし、取ったとしても来るわけがない。そして、仮に来たとしても、まともな面談になるわけがない。
そうなると、必然的に実質的な保護者である朱門さんになる。
……そう、この学園の理事長である朱門さんだ。
朱門さんが瀬那を大事に思っているのはわかっているので、瀬那の気持ちは置いておいて、お願いすれば即 OK するだろう。ただ、瀬那が理事長の姪だと知っているのは、ごく一部の人だけだ。
他の家庭と同じように、教室の前で瀬那と朱門さんが待機席に座っている……想像すると、なんともシュールだった。
ただ、これについては思った以上に簡単に解決した。
相馬さんの存在だ。三者面談のことを知った相馬さんが、変装して父親役を務めることになった。
朱門さんの秘書として教師陣と顔見知りなので、変装するらしい。
わざわざ変装してまで出る必要はないのではないかと思ったのだが、この話を持ちかけるために瀬那へ電話をかけてきた相馬さんのテンションがとても高かったらしく、瀬那も断ることができなかったようだ。
……来年もやるのだろうか。いや、来年は今年以上に変装の完成度を上げてきそうで怖い。
ちなみに、念のため何か意図があるのかと相馬さんに確認したら、
『美乃里が保護者として出たがっていたが、まだ学校では関係を伏せておいた方がいいはずだ。あいつに変装させても、どこかでポカするに違いない。その案も却下した』
とのことだ。
でも、俺は気づいていた。相馬さんはもっともらしいことを言っていたが、あの話しぶりからすると、単に『変装が最後までばれないようにやり遂げるゲーム』として楽しんでいるだけなのだと。
瀬那と朱門さん。この二人の関係も、いい加減どうにかしないといけないのかもしれない。
そういうことで、瀬那の方は無事……うん、無事に三者面談を受けられることになったわけだ。
残ったのは、俺の問題だ。
母親はどうしても嫌なので、義父さんにお願いすることになるのだが、母親に話が伝わるのは間違いない。できれば面倒は避けたいが……。
とはいえ、あまり時間もなかったので、数時間悩んだ末、意を決して義父さんに連絡を取ることにした。
『久しぶり、義父さん』
『久しぶり。朔也くんの方から連絡なんて珍しいね。……それで、何か用かい?』
『ああ、今度、三者面談があるんだけど――』
俺は必要な情報を義父さんに伝える。
もちろん、母親には来てほしくないというニュアンスも含めて。
『わかった。私でいいのなら出るけど……やっぱりまだ、夜香さんのことを怒っているのかい?』
『……怒っている、というのとは違いますね。もう関わりたくないし、何も期待していないだけです。三者面談だって、母が来たら俺の意図とは違うものを押しつけてきそうだし』
『あはは……』
その声から、義父さんが電話の向こうで苦笑しているのが伝わった。
思うところはあっても、実の親子なのだから仲直りしてほしいのかもしれない。
……でも、俺には無理だ。少なくとも今は。
そういう経緯があって、今、俺は義父さんと並んで、教室前の廊下に置かれた待機用の椅子に座っている。
「そういえば朔也くん、こないだの詩織の宿泊はありがとうね。何があったのかは教えてくれないが、帰ってきてからさらにやる気を出しているよ」
「勉強を見た以外に、特に何もしていませんが……ああ、強いて言えば、この学校まで見に来ましたね。それで少しやる気が出たのかも」
「うーん、それだけじゃなさそうなんだよね」
「?」
詩織だけでなく、麻里ちゃんもやる気を出していたことは知っている。
だが、特に俺は何かをした記憶はないし、瀬那も特別なことはしていないと思うが……。
「それで、訊いていなかったけど、朔也くんは今後……高校を卒業したらどうする予定なんだい?」
「とりあえず進学する予定です。ただ、どこの大学に行くか、どういう学科を選ぶかは全く考えていないですね。……ふわっとした感じなら、経営方面かな、と」
「へえ、経営に興味があるんだね」
「俺自身の問題ですけど、誰かの下で働ける気がしないんですよね」
性格はともかく、今のメンタルの状態では、ピアスを外すことはできない。
仕事でストレスが溜まった時に、ピアスを触らないわけにはいかないだろう。瀬那と同じ会社に入って、常にそばにいられるとも到底思えない。
クリエイティブな仕事なら大丈夫かもしれないが、会社によってはピアスが問題になることもあるだろう。
そもそも、面接の時点で落とされるかもしれない。
それならいっそ起業して、『ピアスは自由』と就業規則に載せた方が早い。
……待て、この発想は毒されていないか? 単に『ピアス禁止』にしなければいいだけじゃないか。
俺がそんなことを考えていると、前の組の面談が終わったらしく、教室から親子が出てきた。すぐに三波先生から「東條くんとお父様、中へお入りください」と教室の入り口から呼ばれたので中に入り、三者面談用に配置を変えられた席へ座った。
「初めまして、東條くんのお父様。私はこのクラスの担任をしている三波と言います」
「初めまして。私が東條朔也の父です」
二人は簡単に挨拶を交わし、本題へ入った。
「東條くんですが、成績は優秀ですし、学業面では特に問題ありません。その他の学校生活についてですが――」
そう言って、先生は一度ちらりと俺を見た。
俺は軽く頷いて、それに答える。
……事前に話を通しておいて正解だったな。
「――特にいじめなどもなく、仲のいい友人もいるようなので、こちらから見る限り、問題はないように思います。……東條くんは、学校生活について何かこの場で伝えておきたいことはありますか?」
「いえ、特にないです。俺からもここで話すような問題はありません」
三波先生とは、事前に二つのことで口裏を合わせている。
一つ目は、『文化祭での飛び降りの件』。
本来なら、学校側から保護者に連絡しなければならない問題だったかもしれないが、あの時、「俺が親に説明した方が早いので」と、半ば無理やり押し通した。
その際、最終的には朱門さんまで出てくることになったのだが、彼女は俺の意図を汲み、黙認してくれた。
事実を伏せることが、さらに学校側の不祥事になりかねないだろうに、今になって思えば少し申し訳ないことをした。
確認はしていないが、朱門さんの瀬那への態度を考えれば、俺がどういう男なのか――要するに、俺の出自や経歴などは調べているだろう。だから、いじめの件も知っていると思っていい。
……多分、メンタルの問題も知られているはずだ。
二つ目は、『いじめの噂の件』だ。
これが原因でいじめが発生したのなら問題だが、事実が広まっただけで、学校側に落ち度があるわけではない。
ただ、この件が親……特に母親に知られると、面倒になりかねない。
最悪、ここぞとばかりに、自分の信用を取り戻すためか、保身のためかはわからないが、学校側に抗議する可能性がある。
そのため、三者面談を機に、俺のメンタルの不調の原因について少しだけ三波先生に伝えた。
内容は「いじめが根本の原因だが、親の見栄のせいで問題が悪化した。だから、この件が知られると面倒事になって、俺のメンタルが不安定になる可能性が高い」と。
暴論であり、多少の脅しも入っているが、ぎりぎり辻褄は合う。
そもそも、俺のメンタルがどこで不安定になるかは、俺にしか判断できない。デリケートな部分だけに、先生も慎重にならざるを得ない。我ながら、卑怯な手を使ったものだ。
ちなみに、先生に責任が及ばないよう、この件で他の先生から何か言われたら、「理事長から許可をもらっている」と言ってくれとも伝えてある。
……朱門さん、申し訳ない。
俺の提案に、三波先生は渋々ながらも従っているわけだ。
問題はほかにもいくつかあるが、直近の問題はこの程度だ。
赤口や勝田の問題は、まだ動く時ではないと考えている。
「図書委員の仕事にも真面目に取り組んでいると、図書室の司書から伺っています。それに成果として、東條くんがまとめたブックガイドが中央図書館にも展示されているそうです」
「それはすごいですね。それにしても、朔也くんが図書委員だったのは初耳だね」
「……言っていませんでしたっけ?」
「聞いていないよ……」
俺と義父さんのやり取りが、普通の親子らしいものではないことは、見る人が見ればわかるだろう。そうでなくても、単純なぎこちなさくらいは伝わると思う。
三波先生も例外ではないだろう。変に不審がられても面倒なので、事前に口裏を合わせた際、母親が入学直前に再婚したばかりで、義父とはまだぎこちなさが残っていることも伝えてある。
「――と、こちらからは以上になります。お父さんの方から、何かお聞きしたいことはありますか?」
「……そうですね。成績が優秀だとは聞いていましたが、学校生活にも問題がないようで安心しました。朔也くんからは学校のことをあまり聞けていないので、先生から見て、無理をしているように見えることはありませんか?」
三波先生は、ほんの一瞬だけ俺に視線を向けた。
「今のところ、授業や委員会活動で無理をしている様子はありません。ただ、自分の中だけで抱え込んでしまうところはあるようなので、こちらでも気をつけて見ていきます」
「そうですか。ありがとうございます」
いじめの件は、義父さんも知っているらしい。
その件についてちゃんと話し合ったことはないので、これまでの口ぶりから想像するしかないが。
義父さんとしては、俺がまたいじめに遭っていないか心配なのだろうな。
「それでは、これで終わりになります。ありがとうございました」
「ありがとうございました。これからも息子のことをよろしくお願いいたします」
俺たちは席を立ち、教室を後にした。
◇
わざわざ来てもらったので、駅までは送ることにした。
その道中に話題に上ったのは、面談のことだ。むしろ、俺たちの間には、ほかに共通の話題もない。それこそ、詩織のことくらいだろう。
「朔也くん。考えたんだが、やっぱり面談の内容は夜香さんにも話そうと思う」
「……好きにしてください。俺としては、面談を邪魔されなければ、それでいいです」
「……そうか。私としては、仲直りをして、一緒に暮らした方がいいとは思っていたんだ」
「……」
……過去形か。
「そのことを詩織に相談してみたんだ。情けないことに、家族の中で朔也くんのことを一番わかっているのは、詩織だからね」
「……」
……そうかもしれないな。
再婚前の家での立ち位置もそうだが、いじめ騒動以降、母親や姉とはほとんど話をしていない。
俺が何を考え、何を思っているのか……それどころか、俺が精神を病んでいることさえ知らない。言っていないし、教える義理もない。
医療費通知書が届いていたはずだから、俺がどこの病院に通っていたかくらいは知っているはずだ。でも、何も聞かれていない。中身を詳しく確認していないのか、それとも興味がないのか。
今は俺の収入の関係で、単独で保険に加入しているから、今後それを知る由もないだろうが。
「詩織に言われたんだよ。『父さんとお義母さんじゃあ、私たちの気持ちはわからないと思うよ。だって、子供の頃に同じ状況じゃなかったでしょ』ってね。『私たち』……胸を抉られたね」
「……」
詩織とも、そのことについて話し合ったことはない。
ただ、詩織から再婚前の状態を聞いているから、想像はつく。
ベクトルは違っていても、同じように家の中で孤立していた。いや、『家族はいるのに一人暮らしをしている』ような状態だったのだろうな。
「なんだかんだ、私も自分の親と同じように、子供の気持ちを蔑ろにしていたんだと思ったよ。私は……私たちは、もう一度ちゃんと子供たちと向き合わないといけないのかもしれない。そう思ったんだ」
義父さんの言葉を聞きながら、俺はいつの間にかピアスを握っていた。
喉の奥が、わずかに締めつけられる感覚があった。
なんともまあ、きれい事で、胸糞悪い言葉だ。
「……その考えは理解できますが、俺としては、もう放っておいてほしいですね」
「……朔也くん」
「義父さんが、詩織からどういうふうに聞いたのかはわかりません。けど、あの時、俺はもう母とは関わりたくないと思ったんです」
握ったピアスに、さらに指先の力がこもる。
「もし俺のことを考えてくれるなら、放っておいてください。最低限、保護者としての責務だけ果たしてもらえれば、それでいいです。その責務が残るのも、あと二年もありませんから」
「……」
自分でも辛辣だという自覚はある。
未成年、それも自分の半分も生きていない子供に――息子とはいえ義理の子供に、こんなことを言われて、怒鳴ったり暴力に走ったりしないだけ、誠司さんは立派だと思う。
「それでは、今日はありがとうございました。お気をつけください」
「……ああ。朔也くんも気をつけて」
そう言い合って、駅で別れた。
振り返らずに歩きながら、俺は表情を保つのに必死だった。
道を曲がり、誠司さんから見えない位置まで来たところで、俺は全力で走り出した。
今は……とにかく。
彼女に……瀬那に会いたい。
呼吸が乱れるより早く、足が瀬那のいる場所へ向かっていた。
ただ、俺はこのとき口にした言葉を、後悔することになる。
俺が義父さんにぶつけた本音が、しばらく後に思いもしなかった形で家族に影響を及ぼすとは、このときの俺は気づいていなかった。




