第157話 時期外れな彼女②
エレノアが転入してきた話は、昼休みを待たずに学園中へ一気に広まった。もちろん、『イケメン森田和人の婚約者』という装飾も含めてだ。
どうでもいいが、この学校はどんな噂でも広まるのがめちゃくちゃ早い気がする。
それだけゴシップネタに飢えているのだろうか。噂の当人は困るだけなのだけど。
昼休み前の授業が終わり、移動教室から自分の教室へ戻る途中、廊下の端々でエレノアの噂をしているのが聞こえてきた。それを聞いた俺の感想が、これだ。
「これが学園七不思議の一つ。『噂を広めるスズメ』か」
「……朔也、何言っているんだ、お前」
どうやら、考えていたしょうもないことが口から出ていたようだ。隣にいた浩紀に聞こえてしまったらしい。
……めっさ、恥ずかしい。
ちなみに和人は、エレノアに連れられて早々と学食へ向かっている。俺と浩紀は、弁当を取りに教室へ向かっていたわけだ。
「学園七不思議ってなんだよ。気になるじゃないか! 他には何があんだよっ」
無駄に食いついてきやがった。
今テキトーに作っただけの一発ネタを引っ張らないでくれ……。マジで恥ずかしいから。
「……気にすんな。俺がテキトーに作っただけだ」
「いやいや、お前がそんなことをするはずがない! ずるいぞ! そんな面白いネタ、教えてくれよ!」
「そんな信頼はいらん!」
俺が不用意に口にしたせいで、ここまで話を広げる浩紀。
あーだこーだ言いつつ教室へ向かうと、瀬那と愛莉がすでに教室の前にいた。
「何を騒いでるの、二人とも」
「聞いてよ、愛莉! 朔也が『学園七不思議』のことを教えてくれないんだよ!」
「えー! 何それ! 知りたーい!」
これまた面倒な奴に聞かれた。相乗効果で、四倍くらいうるさく感じる。
「お前、無駄に広めんなって……だから、俺がテキトーに妄想しただけのネタだっての。意味はねーよ」
「いや、嘘だ! 親友の俺に、なんで嘘つくんだよ!」
「……はぁ、駄目だこいつ。瀬那、先に行こうぜ」
「えっ!? は、はい」
手に持っていた和人とエレノアの教科書やノートを、それぞれの机の上に置いた。
そして、自分の鞄から弁当を取り出し、食堂へ行く準備をする。今日も瀬那が作ってくれた弁当だ。
「そういえば、エレノアさんが転入してきたと聞いたのですが、本当ですか?」
「本当だ。今日の和人は彼女に振り回されて大変そうだったな。今も彼女に連れられて、先に食堂へ向かっているよ」
俺は、手に持っていたエレノアのノートと筆記用具を指さした。
二人がそのまま食堂へ向かうというので、荷物を教室まで持ってきたのだ。……決して、テンションが高いエレノアから離れたかったわけじゃないぞ。
「本当だったのですね。それにしても、時期が中途半端なのは理由があったのでしょうか?」
「うーん、先生は家庭の事情とは言ってたなー」
同じく準備をしていた浩紀が、瀬那の問いに答えた。
俺としては「家庭の事情ねー」って気持ちだが、多分、和人に関係しているのではないかと考えている。
「まあ、人には色々と事情ってものがあるんだろ」
「そりゃそうか。とりあえず、これからさらに学校生活が面白くなりそうで、俺は嬉しいけどな!」
「そうね! エレノアにタジタジな和が見られるだけでも、私は……うふ」
「イエーイ」とハイタッチしているこのカップルは、楽しければ何でもいいと思っている節がある。らしいっちゃらしいが、この件についてはクラスではやめておいた方がいいぞ。……女子の数名が肩を落としているじゃないか。少しは自重してほしいものだ。
◇
食堂へ着くと、一角だけ人がはけている場所があった。
その中心にいるのは、和人とエレノアの二人。多数の生徒が、遠巻きにその二人を見ている感じだ。
少しその中に入るのを躊躇したが、浩紀と愛莉は気にせず入っていく。こういう時、この二人の度胸……というか、周囲を気にしない性格は羨ましいと思う。単に優先順位が違うのかもしれないけど。
では、なぜみんなが遠巻きに見ているのかは……近くへ行かなくてもわかった。
「カズト、ランチ楽しみね!」
「あぁ……そうだね。ごめんだけど、少しだけ離れてくれないかな」
「ノー!」
エレノアは、和人の腕をがっしりと抱え込んでいる。
和人の腕が埋もれているほど、ぴったりと密着していた。
事情を知らなければ、明らかにバカップルのそれである。
(確かにこれは、意味もなく二人に絡みに行くのはきついな……)
たまに周りの様子を窺っているところを見ると、別の意味もあるのだろう。
……俺は知っている、この行動の意味を。瀬那がたまにやっているから。
(和人は女子に人気が高いからわかるが、瀬那は過剰なんだよな)
「よう、和人。ラブラブだな!」
「はいはい、うるさいよ」
ニヤニヤしながら言う浩紀を、和人は雑にあしらった。その気持ちはよくわかるぞ。
俺は気づかれないように「うん、うん」と頷いておいた。横にいる瀬那から腕をつつかれてしまったが。
荷物を置いた浩紀と愛莉は、そのまま学食の給水コーナーへ向かっていった。俺たちの分も取りに行っているのは、ここに来る前にじゃんけんをして、二人が負けたからだ。
「正直、来てくれて助かったよ。……この状態は居心地が悪くてね」
「だろうな」
俺と瀬那は苦笑いをしつつ、和人へ同情の目を向けた。
当事者でもない俺たちでさえ居心地が悪いと感じるんだ。和人ならもっとだろう。
「どういうこと、カズト? ワタシといるのが嫌なの?」
「そういうことではなくて」
周りの状況はわかっているだろうに、本当に牽制のつもりはなかったのだろうか。
……解せぬ。
「そういうことを言うなら、牽制もほどほどにしておけばいいだろ」
「マーキング……? ノー。ワタシは当たり前のアピールをしていただけよ。ねぇ、セナ。あなたならわかるでしょ、この気持ち」
「え? 私ですか……黙秘します、とだけ言っておきます」
……逃げたな。
ここで「もちろん、朔也くんにマーキングしています!」なんて言うようなキャラではないし、言われても困る。
どちらにしろ、浩紀と愛莉がいなくて助かった。
エレノアはそわそわしながら、自分のスマホを眺めていた。
その視線を何気なく追ってしまい、画面が目に入る。開いていたのは食堂の注文アプリだった。表示されたメニューを、楽しそうに眺めている。
「そんなに食堂が珍しいのか?」
「ウーン、そうね。もちろん前の学校にもあったわ。でも、こんなにメニューが豊富ではなかったから、とても新鮮よ」
海外――しかも、エレノアが暮らしていたノルウェーやイギリスの学校に、どのような学食があったのかはわからない。
ただ、ここの食堂には和洋中、さまざまなメニューが揃っている。これが日本で一般的かと言われると微妙なところだが、エレノアにはそれが新鮮で、見ているだけでも楽しいのだろう。
しばらくして浩紀と愛莉が戻ってきた頃、エレノアと和人の注文が出来上がったという通知が来た。
それを取りに行くエレノアの足取りは軽かった。
「いただきます」
「いただきます。……日本のこの挨拶、ワタシは好きよ」
和人とエレノアが戻ってきたので、俺たちも食べ始めることにした。
時折、エレノアが瀬那の方へ視線を向けているのが気になる。視線がやや下を向いているので、瀬那自身を見ているのかは微妙なところだ。
俺と瀬那の弁当は、彼女が作ってくれているので、当たり前だが構成は同じで量が違うだけだ。
エレノアは、以前の和人と同じく、その共通点を目ざとく見つけて笑った。
「微笑ましいとは、このことを言うのね」
「今更だから、いじられてもなんとも思わん」
「いじる……?」
日本語が上手なので気にしていなかったが、まだこういうニュアンスはわからないらしい。隣の和人がフォローしている。
「――こんな意味かな」
「フーン、そうなのね……それよりもカズト、それも美味しそうね。……アーン」
エレノアは、和人が注文していたハンバーグを指さして要求した。
……学食でやるとは……エレノア、恐ろしい子!
「あげるのはいいけど、それはやらないよ」
「……どうして? セナはやっていたわよ?」
「えっ!? こ、ここではやっていません……よね?」
「なんで瀬那が自信ないんだよ……」
瀬那は目を泳がせ、両手をわたわたと動かした。
「……ここでは、していません。ここでは」
周りの連中がニヤニヤし始めた。
言い出しっぺのエレノアまで楽しそうに笑っているのは、どうにも納得がいかない。
うかつなことをポロッと言った瀬那は、「あぁ……」と恥ずかしそうに顔を隠していた。
この空気はどうにかしないと、しばらく言われる!
「まあ、それはいいとして、和人はエレノアにやってあげるべきだな」
「グッドなことを言いますね!」
「なんでだよ……朔也と浩紀がやったら、俺も考えるよ」
「……『考える』なら条件にならないな。『やる』と言うなら、俺もやってやってもいい」
和人のことだ。定番の逃げ道は潰しておかないといけない。
それに、そう答えれば本当にやることには――
「えー、俺もやるのー? ほれ、愛莉ちゃん。あーん」
「あーん。んぐ……うん、あんがと!」
(なんで一切ためらわないんだよ!? 普通、そこは少しくらい恥ずかしがるだろ!)
俺と和人は目を合わせ、言葉に出さなくても「困ったことになった」と意気投合する。
和人が浩紀まで巻き込んだのが悪い……と言いたいところだが、逃げるために和人へ話を振った俺にも連帯責任があるのだろうか。
……どちらにしろ、このあとの展開は予想できている。
「はい、俺たちはやったよ。次、朔也たちなー」
「待て。なんで勝手に条件が成立したことになってる」
俺はとりあえず拒否の姿勢を見せるが……。
「和人が言ったじゃん」
まあ、そう言うよな。
浩紀に視線を向けられた和人は、苦笑いを浮かべた。
「俺は二人を逃がさないために言ったんだけど……逃げなかったね」
呆れたように言っているが、もう俺たちも逃げられない。
最初に言い始めたエレノアは、目をキラキラさせながら和人を見ている。瀬那は少し顔を赤くしているが、その目は期待に満ちていた。
もう逃げることは……できない。
顔の温度が一気に上がるのを感じながら、俺たちは観念して、それぞれの相手に「あーん」をするのだった。
恥ずかしい……。
ピポ♪
「なっ!?……金森!? 今、何を撮った?」
「青春の記録」
「あぅ……」
ドヤ顔で胸を張って言い放つ金森。
……憎たらしいとはこのことか。
さすがに瀬那も恥ずかしいらしく、俯いてしまった。
「消せ」
「嫌だ。安心しろ。今のところ、拡散する予定はない」
「『今のところ』をつけるな!」
俺が立ち上がるより先に、小柄な体形を生かした彼女は、テーブルの間を縫うように逃げていった。
……一緒に来ていたはずの木内を残して。




