第154話 生徒会選挙:当日②
壇上へ上がった柊先輩は、いつもどおりの笑顔を浮かべ、マイクの前に立った。あとに続いた桐生先輩は、なぜかすでに疲れたような顔をしている。
……すでに何かやらかしたようだな。
「生徒会長に立候補した、柊菫です」
講堂のあちこちから、期待と警戒が入り交じったざわめきが起こる。『何かやらかすのではないか?』という不安もあるのだろう。
「最初に言っておきます。ボクは、規則を全部なくしたいわけではありません。先生に反抗したいわけでも、好き勝手にできる学校を作りたいわけでもありません」
柊先輩が笑顔のまま付け加える。
「……本当ですよ? そこ、疑わないでください」
柊先輩は、客席の一角を指差した。
その先にいた生徒たちから笑い声が上がる。反応からして、仲の良い人たちなのだろう。
一方、教師席からも苦笑が漏れ、桐生先輩は片手で額を押さえていた。
……お疲れさまです、先輩。
「たしかに、ボクは今回、ピアス着用の自由化を公約に掲げました」
何人かの生徒が俺のほうを見る。浩紀に至っては、こちらを指差してニヤついていた。
……頼むから、こっちを見るな。俺は関係ない……はずだ。
「それだけを聞けば、ふざけていると思った人もいるでしょう。生徒会長選挙で何を言っているんだ、と呆れた人もいるかもしれません」
柊先輩は笑みを残したまま、わずかに声の調子を落とした。
「でも、ボクが問題にしたいのは、ピアスという小さな装飾品ではありません」
講堂のざわめきが、次第に収まっていく。
「なぜ禁止されているのか。誰かに危険があるからなのか。授業に支障が出るからなのか。それとも、昔からそう決まっているから、何となく守り続けているだけなのか」
教師席にも目を向けながら、柊先輩は続ける。
「規則には理由が必要です。多くの生徒を守るために必要な規則なら、守るべきでしょう。危険を防ぐための決まりなら、むしろ厳しくする必要があるかもしれません」
思ったより、まともなことを言っている。
同じことを考えたのか、近くに座る面々も驚いたように瞬きをしていた。
「――先ほど、天童くんも似たようなことを言っていましたね。規則には理由が必要だ、と」
柊先輩は一度だけ、天童が座っている方向へ視線を向けた。
「ボクも、それには賛成です。彼の言うとおり、規則がなければ、声の大きい人間の都合が通りやすくなる。……でも、ボクが本当に見ているのは、規則の中身だけではありません」
一拍置いて、柊先輩は続ける。
「規則の外側にあるのに、規則よりもずっと強く人を縛っているもの。……そっちのほうが、ボクは怖いと思うんです」
……規則の外側か。
面白い視点を持っているんだな。
「たとえば、見た目が気に入らない。普通ではないように見える。今まで認められていなかった。ただそれだけで、誰かの事情や選択を否定するのなら、一度立ち止まって考えるべきです」
柊先輩の視線が、ゆっくりと生徒たちの間を巡る。
「それは本当に必要な規則なのか、と」
今度は、誰も笑わなかった。
「そして、規則よりも厄介なものがあります。噂と、空気です」
その言葉に、俺の指が無意識に耳元へ伸びかけた。
「誰かが被害に遭った過去を、その人の弱点として笑う。確かめてもいない噂を、面白いからという理由で広める。本人が何も言わないことを、噂を事実だと認めた証拠のように扱う」
その耳元へ伸びかけた左手を、瀬那が静かに握った。ピアスの冷たい感触へ逃げるより先に、瀬那の温もりが俺を捕まえた。
周りに見られたら恥ずかしいが……瀬那の手の温かさに触れると、少しずつ気持ちが落ち着いていく。
「ボクは、そんな空気を『仕方ない』で済ませる学校にはしたくありません」
柊先輩の声は大きくない。
それでも、講堂の隅々まで届いているように感じられた。
「冗談のつもりだった。皆が言っていた。本人も気にしていないように見えた。そうやって責任を薄めていけば、最後には誰も悪くなかったことにされます」
前方に座っていた何人かの生徒が、気まずそうに俯く。
「けれど、傷つけられた側には、きちんと影響が残ります」
桐生先輩も、今はふざけた様子を見せず、壇上に立つ柊先輩を見つめていた。
「規則には理由が必要です。でも、噂や空気だけで誰かを縛ることに、理由なんてありません」
柊先輩は指を一本立てる。
「見た目が怖そうだから、乱暴な人間に違いない」
二本目。
「成績が良いから、悩みなんてない」
三本目。
「明るく振る舞っているから、何を言っても傷つかない」
そして、立てていた指をすべて下ろした。
「そんな決めつけは、相手本人を見ることを放棄しているだけです」
講堂の中は、不自然なほど静かだった。
「ボクは、全員に理解し合えとは言いません。苦手な相手がいるのは普通ですし、誰とでも仲良くするなんて、たぶん無理でしょう」
柊先輩が少しだけ口調を軽くすると、張り詰めていた空気も、わずかに緩んだように感じられた。
「でも、理解できないことと、傷つけていいことは別です。距離を置くことと、排除することも違います」
瀬那が、俺にだけ聞こえる声で呟いた。
「柊先輩らしいですね」
「ああ。普段の言動さえまともならな」
思わずそう返すと、瀬那が小さく笑った。
「ボクが目指すのは、同じであることを強制する学校ではありません。違っていても、すぐに敵や異常者として扱われない学校です」
そのために、理由の曖昧な校則や慣習を見直す。
生徒が個別の事情を相談できる窓口を作る。
事実確認のない噂によって、生徒が不利益を受けない仕組みを考える。
柊先輩は、一つずつ具体的な案を挙げていった。
方向性は天童の主張と近い。だが、二人では出発点が違う。
規則によって弱い立場の人間を守ろうとする天童と、規則や周囲の空気によって苦しむ人間を減らそうとする柊先輩。
そこが、二人の考え方の違いなのだろう。
「もちろん、何でも認めるわけではありません。自由を求めるなら、その自由によって他人へ迷惑をかけない責任が必要です。自由には責任が伴う。それを、ボクは皆さんにも考えてほしいと思っています」
教師席から、感心したような声が小さく聞こえた。
自由を求めて家を出た俺には、その考えはよく分かる。
自分で選んだ以上、その責任も自分で負うべきだと思っているからだ。
「ピアスを認めるとしても、安全上の制限は必要でしょう。授業や実習によっては外す必要もあります。個別の事情を尊重するといっても、本人の希望だけですべてが通るわけではありません」
ここまで聞けば、少なくとも思いつきだけで掲げた公約ではないことが分かる。
「最初から『駄目』で終わらせず、理由を確認して、条件を考えて、話し合う。ボクは、そういう生徒会を作りたいと思っています」
柊先輩は正面を向き、今までよりもはっきりと言い切った。
「変わった人を、変わっているというだけで笑わない。過去に傷つけられた人へ、さらに石を投げない。外見や噂ではなく、その人が実際に何をしているのかを見る。そんな学校になれば、今より少しだけ、多くの人が息をしやすくなるはずです」
柊先輩はそこで一度、真剣な表情を崩した。
「まあ、ボクがまた何か変なことを始めたときは、相棒が止めてくれるでしょう」
講堂に笑いが起こる。
桐生先輩は首を横に振り、マイクには入らない声で何かを呟いていた。
「……止められるかどうかは、保証できませんけどね」
笑い声がさらに大きくなる。
「真面目に話しましたが、ボクが急に優等生になったわけではありません」
柊先輩は胸元へ手を置いた。
「それでも、これだけは本気です。本人を見ずに、外見や噂だけで決めつけない学校にする」
最後に、いつもの不敵な笑みを浮かべる。
「皆さんがその考えに少しでも賛同してくれるなら、ボクに一票をお願いします」
柊先輩が頭を下げる。
一拍遅れて、講堂を大きな拍手が包んだ。
天童の演説よりも賑やかで、熱のある拍手だった。
だが、内容を冷静に評価するなら、簡単に優劣をつけられるものではない。
拍手の大きさだけを比べれば、柊先輩が上だったかもしれない。
しかし、全員が笑顔で手を叩いているわけではなかった。教師席だけでなく、生徒の中にも、まだ警戒を解いていない者はいるようだ。
ただ――
「……反則だろ。普段との落差がありすぎる」
俺には、そう呟くことしかできなかった。
だが、この演説を聞けば、昨年、二年生の候補者もいた選挙で勝利したのも頷ける気がした。




