第151話 噂と前に進むための一歩⑤
学校からの帰り道、俺は昼休みに浩紀と和人へいじめ関連の過去を話したことを瀬那に伝えた。不機嫌なままの彼女を見て、今日は噂のことで良いこともあったと、伝えておいたほうがいいと思ったからだ。
「良かったです。やっぱり、あの二人なら大丈夫でしたよね」
「あぁ。本当に良かったと思う」
あそこまで追い詰められたことについては、引かれても仕方がないと思っていた。
だが、実際にはそんなことはなく、逆に真摯に受け止め、きちんと話を聞いてくれた。
……本当にありがたいことだ。
「……それで、教室に戻る前に何があったんだ?」
「言わないとダメですか? 怒っちゃいますか?」
瀬那は、少しおどけた口調で返してくる。
可愛らしい言い方で、煙に巻こうとしているのがよく分かった。
「聞き方が卑怯だな……。怒りはしないけど、どうせ俺のことなら知っておいたほうがいいだろ」
瀬那は眉間にしわを寄せ、分かりやすく「言いたくありません」という雰囲気を出していた。
俺はその眉間へ人差し指を当て、ぐりぐりと押す。
「はぅ……」
「しわが残るぞ」
「跡がつきますよ……」
瀬那は両手で眉間を隠し、俺の指からガードする。上目遣いで非難してくる姿まで可愛いと思ってしまった。
……仕方ない。誤魔化されてやろう。
「まあ、いいか」
「……いいのですか?」
「言いたくないんだろ? それに、危険なことではないんだよな?」
予想しているのは、俺への陰口のようなものだ。
大方、「情けない」だとか、「瀬那の品格まで落ちる」だとか、そんなところだろう。
大切なのは、瀬那に危険がないことだ。
それ以外なら、別に大きな問題ではない。
「はい。私たちに危険があるようなことではありません」
「それならいいさ」
俺は瀬那の手を、少しだけ強く握った。彼女も握り返し、柔らかく微笑んでくれる。どうやら、今の言葉に嘘はなさそうだ。
◇
自宅に着くと、着替える前に瀬那が改めてこちらを向いた。
「先ほどの続きですが……噂の出どころを探さなくてもいいのですよね?」
「うん? あぁ、大丈夫だ。ここまで広まったのなら、見つけたところで意味はないだろ」
浩紀や和人にも話したが、どう考えても、今さら見つけたところで状況は変わらない。
俺の答えに、瀬那は納得した様子で頷く。
「……そうですよね。でも私、元凶には心当たりがあるのですよね」
「俺もだ」
俺と瀬那は視線を交わし、一呼吸置いて――
「鳴鷹」
「鳴鷹さん」
――同時に、あいつの名前を口にした。
無駄に声が重なったことに、少し笑いそうになる。
「……やっぱり、そう思いますよね」
「そうだな。あいつ自身が広めたのか、あのときの会話を誰かに聞かれていたのかは分からないが、どちらにしても、このタイミングなら元凶はあいつだろうな」
「私もそう思います。……本当に暇な人ですね」
「それにも同感だ」
文化祭のとき、瀬那に言い負かされていたため、何か仕返しをしたかった可能性は高い。
俺の評判を落とせば、瀬那の評判まで落とせると思ったのだろう。
だけど――
「冷静に考えると、和人が言ったとおりなんだよな。いじめの被害者だと知られて、落ちる評判ってなんなんだろうな」
「私も疑問でした。……くだらない人たちの声から察するに、朔也くんが『情けない』だとか、『ピアスを着けて調子に乗っている小物』だとか、言われているようですが――」
そう言った瀬那の背後に、見えない炎が立ち上ったような気がした。
話の内容よりも、瀬那が「くだらない人たち」と言ったことに、少し違和感があった。
俺の知る限り、瀬那は怒りが高まると、口調が少しだけ荒くなることがある。
普段の丁寧な話し方とのギャップが大きいため、余計に印象へ残るのだ。
――それだけ、この件に腹を立てているのだろう。
瀬那が、小さく息を吸い込む音がした。
「――まず、『情けない』の意味が分かりません! 普通は、加害者側のほうが『情けない』とか、『しょうもない奴』という認識になります!……そ・れ・に! 情けない人が、刃物を持ったストーカーの前に立ちはだかるはずがないじゃないですか!」
「あ、あぁ……」
大半の生徒は、俺が刃物を持ったストーカーと対峙したことまでは知らないだろう。
……かなり興奮しているな、これは。
「『調子に乗っている小物』ってなんですか! まあ、確かに高校生が学校でこれだけピアスを着けていれば、目立つのは分かりきっていますが、せめて『おしゃれに背伸びちゃん』ですよ!」
「え、あぁ……えっ?」
瀬那の気迫に押されて聞き流しかけたが……何か聞き捨てならないことを言われた気がする。訂正後も、決して褒め言葉ではないような……。
……まあ、いいか。
「はぁ……はぁ……」
「瀬那、落ち着け。お前の気持ちは分かったから」
「はぁ……分かっていただけて……よかったです。とにかく、朔也くんの評判が落ちるようなことではありません」
「そうだな。それに、落ちるほどの評判もないしな」
口にした瞬間、「しまった」と思ったが、すでに遅かった。
瀬那が「むぅー」と、不満げな顔をする。
「そんなことはないですってば!……朔也くんの、いつもの悪い癖ですね」
「悪い」
「謝らないでください。ちなみに、前川さんたち以外にも、あの噂を気にしていない方はいますよ。愛莉さんや雫さんはもちろん大丈夫でしょうし、木内さんや、金森さん……もですね。とにかく、良かったです!」
「……待て。今、金森のところで少し言い淀まなかったか?」
今日会った様子では、嫌な感じはしなかった。
瀬那も、俺と金森が一緒にいることに危機感を抱いているような素振りはなかった。
……なら、悪い意味ではない。それはつまり――
「……なあ。そういえば金森の奴、今日とうとう俺のことを『おもちゃ』って言いかけていたぞ」
「……」
瀬那が俺から視線を逸らす。それを追いかけるように、俺も顔を動かした。
瀬那は俺から逃げるように、少しずつ首を反対方向へ曲げていく。
「……」
「……」
無言の追いかけっこの末、とうとう瀬那は後ろを向いてしまった。
「……なあ、何があった?」
「……私の前では、以前から朔也くんのことを『いいおもちゃ』と言っていました」
「マジか……」
そこまでか、金森。いや、別にいいのだけど……本当にいいのか、俺!?
「彼女の前で、その彼氏のことを『おもちゃ』って言うのは瀬那としては大丈夫か?」
「そう言えばいつもの金森さんらしく、悪意なく言っていたので気になりませんでしたね。それに、木内さんが叱っていました。『めっ!』って」
「いつも思うが、叱られ方が子供に対するそれなんだよな……」
やっぱり、金森は謎だ。
……でも、悪い奴ではない。
俺は小さく息を吐き、天井を仰いだ。
……そう、悪い奴ではないはずだ。
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