第150話 噂と前に進むための一歩④
放課後、いつもどおり瀬那と合流するため、A 組へ向かった。
そこへ向かうまでの廊下でも、好奇の目を向けられて居心地が悪い。そんなに気になるような話題ではないだろうに。
A 組へ着いてドアを開けると、いつもの席に瀬那はいなかった。
スマホを取り出して確認するが――
(連絡は来ていないか)
何か用事があるのなら、メッセージの一つくらい送りそうなものだが、それもない。本当に急用でもできたのだろうか。
ガタッ!
考え込んでいると、椅子が勢いよく動く音がした。
振り向く前から、なんとなく誰だか分かる気配があった。またか……と、内心で思う。
「来たな、東條」
何度も聞いた、おなじみの一言だ。
振り向くまでもなく、声の主が金森だと分かる。それくらい、独特なイントネーションだった。
ドカドカというほど荒っぽくはないが、妙に堂々とした足取りで、彼女はこちらへやってくる。
「……今日はなんだよ」
「せなちーは、人に呼ばれて教室にいない」
金森は、瀬那を「せなちー」と呼ぶことがある。
勉強会のとき、俺がうっかりその呼び方を口にしてしまったのが原因で、面白半分に呼ぶようになってしまった。
瀬那はやめてほしいらしいが、金森は聞く耳を持たない。
そして、金森がその呼び方を言うたびに、なぜか俺が瀬那からにらまれるか、つねられる。
木内が言うには、金森が誰かを下の名前で呼ぶのは珍しいため、これも愛情表現の一つではないかとのことだ。
……俺には、単に楽しんでいるようにしか見えない。
だが、付き合いの長い木内が言うのなら、その可能性も否定できない。
「そうなのか。特に連絡はないが……もしかして、またか?」
「うん、それ」
瀬那は、いまだに告白されることがあるらしい。
俺たちが付き合っていることも、だいぶ周知されてきたと思うのだが、それでもなくならないようだ。
もちろん、瀬那が断ることは分かっているため、心配はしていない。
ただ、こう何度も呼び出されるのは大変そうだ。
なぜ伝聞調なのかというと、告白されたことを瀬那本人から聞いたことがないからだ。おそらく、彼氏である俺にわざわざ話すのも微妙なのだろう。確認しても、いつもはぐらかされるしな。
瀬那が戻るまでどうするかと考えていると、金森に制服の袖を引かれた。
木内がいる席まで連れていかれたのだが、案内されたのは――瀬那の席だった。
「どうせ暇でしょ? おも……話し相手になって」
「とうとう『おもちゃ』って言いかけただろ、お前……」
軽くため息をつきながら、瀬那の席へ座る。
それと同時に、鞄から昼休みに食べるつもりだったお菓子を取り出した。
「昼に食べ損ねたやつだけど、嫌じゃなければ」
「うん、もらう」
「ありがとうございます」
二人がお菓子を受け取る。
金森がクッキーを頬張る姿は、どこかリスを思わせた。頬をぱんぱんに膨らませながら、器用に咀嚼している。
そして、彼女がボロボロとこぼした欠片を木内が片づけている姿は、友達というより、姉妹か母娘を連想させる。
「……なに?」
「いや、別に」
さすがに口へ出すわけにはいかないので、誤魔化した。
そのときだった。
ガラッ!
教室のドアが開く。
瀬那が戻ってきたのかと思って振り向いたが、そこにいたのは天童だった。放課後の選挙演説を終え、荷物を取りに戻ってきたらしい。
「東條か」
瀬那の席へ座っている俺と目が合い、天童が名前を呼んだ。
「あぁ、俺だが……何か用か?」
「いや、気にしないでくれ。たまたま目に入ったから……特に意味はない」
「おぉ……?」
歯切れの悪い言い方だったが、本人の言うとおり、何か意図があるようには見えなかった。
悪意も感じない。
むしろ、どこか申し訳なさそうにしている。
「光輝ー! 待ってくれよ! 悪かったって、もう東條のことは言わないから……げっ!」
廊下から天童へ声をかけたのは、A 組の男子生徒だった。名前は知らないが、この教室で何度か見かけたことがある。
教室へ入り、俺がいることに気づくと、露骨に気まずそうな顔をした。その顔には、「聞かれてはいけない相手に聞かれた」と大きく書いてある。
同学年に、俺以外の『とうじょう』という名字の生徒はいなかったはずだ。あいつが口にしたのは、間違いなく俺のことだろう。
理由までは分からないが――
(今日という日を考えれば、あの噂の件だろうな)
天童は入ってきた男子をにらみ、ため息をついた。
それから、俺とそいつを交互に見たあと、口を開く。
「お前は先に部活へ行け。お前がいると話が面倒になりそうだ」
「お、おう……じゃあ、先に行くわ!」
自分の席から荷物を持ち上げた男子は、天童へ一言だけ返し、そのまま教室を出ていった。
残された天童が、俺のほうへ歩いてくる。
「すまなかった、東條。あいつは根まで悪い奴ではないんだが……少し調子に乗るところがある」
「何が……って言いたいところだが、なんとなく分かった。気にするな。それに、天童は悪くないだろ」
「……そうか。お前は大丈夫なのか?」
天童の言葉の意味を、聞き返すまでもなく理解した。どれほど察しが悪くても、この流れなら分かる。和人から聞いた限り、天童は誰かを貶めるような性格ではない。むしろ、そういった行為を嫌うタイプだ。だから、今の俺を取り巻く噂も不快に感じているのだろう。
……それでも、俺と天童の間柄で、わざわざ心配してくるとは思わなかったが。
教室に残っている生徒たちが、俺たちのやり取りを気にしているのが分かる。何度も言うが、そこまで注目することではないと思うのだけどな。
「それも大丈夫だ。一部を除けば、嘘ではないからな。どちらにしても、天童は気にするな」
「そうか。何かあれば言ってくれ。できる限りのことはする」
「……サンキュ」
そう言った天童は、自分の荷物を持ち、教室を出ていった。
天童が俺をどう思っているのか、正直なところ分からない。もっと言えば、俺たちの距離は友達と呼ぶには少し遠い気がする。
嫌われてはいないと思う。
むしろ、あいつも俺との距離を測りかねているのかもしれないな。
「……浮気?」
「焔ちゃん!?」
その発言に驚いた木内が声を上げた。
「ごめん。それはマジでよく分からな……えっ? 俺が天童と浮気しているって言ってるのか!?」
「そう」
よくよく考えれば、こいつのほうがよく分からなかった。これと比べれば、天童のほうがよほど分かりやすいな。
そのままとりとめのない会話を続け、瀬那を待つことになった。
すると、それほど時間を置かずに――
ガラッ!
再び、扉が勢いよく開いた。同じように振り向くと、今度こそ瀬那だった。
……だが、ひどく不機嫌そうに見える。
そもそも、彼女にしては扉の開け方が乱暴だ。普段なら音も立てずに開かれる扉が、今日は彼女の代わりに怒りを叫んだ。いつもの優等生然とした瀬那なら、あんな勢いで開けることはない。
「おう、おかえり、瀬那。……何かあったのか?」
俺が声をかけたことで、ようやくこちらに気づいたらしい。
瀬那は一瞬だけ驚いた表情を浮かべた。すぐに普段の顔へ戻ろうとしていたが、その笑顔はぎこちない。何かを隠そうとしているのが、丸分かりだった。
「せなちー、隠しても顔に出てる」
「……金森さんは、『せなちー』と呼ばないでください」
「呼び方は気にしなくていい。それで、何があった?」
「気にするのは私なのですが……いえ、少し嫌なことを言われただけですよ」
瀬那がちらりと俺を見る。
……おそらく、俺に関係することだ。
つまり、噂について何か言われたのだろう。
「俺のことなら気にしなくていい。何があった?」
「……言いたくありません」
瀬那は、最後まで頑なに口を閉ざした。俺と金森、木内は、困ったように顔を見合わせる。どうやら、簡単には話してくれそうになかった。
何を言われたのかは分からない。
ただ、それが俺に関することだという確信だけはあった。




