第148話 噂と前に進むための一歩②
クラスへ入っても、このしょうもない騒動は収まっていなかった。
廊下で別れる際、瀬那が、
「もし、体調がつらくなったら、一緒に早退しますから」
と、心配してくれた。
恋人同士がそろって早退となると、サボりを疑われそうではあるが、その気持ちはありがたかった。
それにしても、俺がいじめられていたことが、それほど気になるものなのだろうか。俺には理解できない。
俺だったら、『誰がいじめられていたか』より、『誰がいじめていたか』のほうが重要だと思うのだが。
ただ、今の俺が一番気になっているのは、『誰が広めたのか』だ。
そもそも、中学時代の同級生たちは知っている。全員を口止めすることなど不可能なので、そんな交渉自体していない。
だから、いつか知られるとは思っていたし、心のどこかでは覚悟もしていた。
問題は、なぜこのタイミングなのか。
普通なら答えが分からず悩むところだが、よく考えてみれば、文化祭にはあいつが来ていた。
俺がこうなった原点にして、元凶でもある鳴鷹。
あいつが誰かに話したか――
(そもそも、あいつとの会話を誰かに聞かれていたのかもしれない)
別に、誰も近づけないよう、マンガみたいに結界を張っていたわけではない。
近くに生徒がいたり、当番をサボって隠れていたりしても、おかしくはなかった。
そこまで考えたところで、俺は思考を打ち切った。
誰が広めたのかを推測したところで、今は意味がない。すでに校内へ広まった事実は、どうにもできないのだから。
それに、今朝の虎真先輩との一件で、分かったこともある。
この程度なら、『どうでもいい相手』から何を言われても、大丈夫そうだ。
軽い症状は出そうになったが、瀬那が隣にいて、手をつないでくれているだけで安定できた。
それは、俺にとって確かな自信になった。
――だから、残るのは『どうでもよくない相手』だ。
どれだけ他人の視線に耐えられても、大切な相手から拒絶されれば、たぶん俺は簡単に崩れる。
(どうでもよくない相手といっても、それほど多くはない。一番大切な瀬那が気にしていないことは、もう分かっている。あとは――)
「朔也っ……大丈夫か?」
(こいつらだけだ)
登校してから、どこかへ行っていたのだろう。浩紀が教室へ戻ってきた。
俺がいることに気づくと、早足でこちらへやってくる。本気で心配しているようで、少し申し訳なくなった。
「お前も聞いたのか」
「そりゃな。学校じゃ、俺とお前が仲いいのは、みんな知ってるだろうし。……事情を訊きに来る奴や、面白おかしく教えに来る奴もいたよ。……まさか、あんな奴らだとは思わなかったけどな」
浩紀は、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
交友関係が広いこいつのことだ。それなりの人数から声をかけられたのだろう。
中には、それまで仲が良いと思っていた相手もいたはずだ。
そんな奴らが、嬉々として事情を訊きに来たことが、何より嫌だったのだと思う。
「どういう話になっていたんだ?」
「……えぇ、お前がそれを訊くのかよ」
「今朝、あのクソ野……虎真先輩に絡まれて聞いたくらいで、それ以外の情報がないんだ。対処するにも、情報は必要だろ」
「朔也……」
浩紀が、少し悩みながら口を開こうとした、そのとき――
「朔也、浩紀。その話、俺も一緒に聞こうかな」
和人がやってきた。
朝練を終えたばかりなのだろうが、その顔には珍しく怒りがにじんでいた。急いで教室に来たのだろうな、汗がしたたり落ちている。
「和人、大丈夫か?」
「……それを訊くのは、俺のほうだと思うよ。……でも、いつもどおりの朔也を見たら、少し毒気を抜かれたかな。とりあえず、大丈夫そうで良かった」
「なんか、二人とも心配をかけたみたいだな。……昼休みにでも、ちゃんと話そうか。そろそろ朝のホームルームだし」
時計を見ると、予鈴までほとんど時間がなかった。このまま話すには、時間が足りなさすぎる。
「そうだな。……お前が大丈夫なら、そうしよう」
「分かったよ。無理はしないでね」
「大丈夫。二人が思っているより、だいぶ平気だと思うぞ」
「……つまり、南雲さんの愛の力ってか!?」
俺は無言で、浩紀の脛を軽く蹴った。
「いてー!」
和人が、こらえきれずに小さく噴き出した。
場の空気を和ませるために言ったのは分かる。分かるが、タイミングを考えなさい。
……ありがとう。
◇
午前の授業中も、居心地の悪さは続いていた。
移動教室で廊下を歩けば、遠慮のない視線を向けられる。
クラスの中にも、腫れ物を扱うような妙な緊張があった。
文化祭をきっかけに、それなりに話すようになった奴らも、どう接したらいいのか分からないようだった。
雫や斎藤は、いつもどおりに挨拶をして、話しかけてくる。
聞きたいことがある様子ではあったが、直接訊くのはためらっているようだった。
ただ、それは奇異の目ではない。
純粋に心配してくれているのだと感じられたため、悪い気はしなかった。
その反面、梅沢がにやにやしているのも分かった。
俺が窮地に陥ったり、教室で孤立したりするのを期待しているのかもしれないが……たぶん、それは無理だ。
少なくとも、俺を完全に孤立させることはできない。
予定どおり、昼休みは教室から避難した。以前お世話になった、校舎の片隅にある告白スポットだ。
……今日ここで告白する予定だった奴がいたら申し訳ないが、延期してくれ。
今日は一緒に昼食を食べられないことを、瀬那にはすでに伝えてある。
浩紀と和人に、きちんと事情を話すことになるだろうとも、一言添えておいた。
瀬那からは、
『頑張ってください。でも、お二人なら問題ないと思います』
と、メッセージが返ってきた。
俺たち三人は弁当を広げ、昼食を始めた。
いつ、どのタイミングで話せばいいのか分からない。考えても仕方がないので、俺は弁当を一口食べたところで話を切り出した。
「……中一のときに、いじめられていたのは本当だ」
「っ、ごふっ……!? っ、ごほっ、ごほっ! な、何を急に言って……げほっ!」
箸を進めていた浩紀は、咀嚼するのも忘れて完全に固まった。
次の瞬間には、顔を真っ赤にして激しくむせ返る。
慌てて弁当箱を置き、胸元を押さえながら、涙目でこちらをにらんできた。
「何むせてるんだよ。ほら、水だ」
「……ん……。くっはぁ~、死ぬかと思った……。何ってお前、もう少し前振りしろよ! びっくりしたじゃねえか!」
「……大変だな、お前」
「お前なぁ……」
顔を真っ赤にしたまま水を飲み、ようやく落ち着いた浩紀が俺をにらんだ。
どうやら、切り出すタイミングが悪かったらしい。
少し申し訳ない気持ちはある。
「悪い、悪い。狙ったわけじゃないぞ」
「狙ってたら、さすがにキレてるわ……」
「二人とも落ち着いて。朔也、俺もタイミングは考えたほうがいいと思うよ」
「ごめん」
和人にまで叱られてしまった。
これは素直に謝っておこう。
「まあ、どう切り出せばいいのか分からなかったんだよ。……それで、本題に入っていいか」
「ああ」
「二人がどんな話を聞いているのか分からないから、とりあえず、俺のほうから一通り話す。噂と違うところや、気になる点があったら、その都度言ってくれ」
「分かった」
今度は、きちんと前置きをしておく。
噂の内容を知らない以上、初めから説明したほうがいいだろう。
俺たちは、そろって箸を置いた。
さっきまでの冗談めいた空気が消え、風の音だけが妙にはっきりと聞こえた。
「以前、二人に『気持ちの整理がついたら話す』みたいなことを言ったのを覚えているか?」
「あぁ、南雲さんと付き合い始めた頃だったか。……まさか」
「そう。その内容が、さっきも言った中一の頃の件と関係している。……お前らに幻滅されたくなくてな」
これは本心だ。
今も、あのときも二人が俺に幻滅して離れていくとは思っていなかった。それでも、どうしても不安はあった。
こんな形で背中を押されたことは癪だが、せっかくの機会だ。二人には、きちんと話しておきたい。
「そんなことで、俺たちがお前に幻滅すると思ったのかよ」
「それは、俺たちを軽く見ていることになるよ」
「ごめん。そういうつもりじゃないんだ。……ただ、過去に実際、それで人が離れていったことがあった」
俺は二人に、瀬那へ話したのと同じように、過去の出来事を話した。
偽の告白をきっかけに、いじめが始まったこと。
それまで友人だと思っていた奴らが、次々と離れていったこと。
親が、まったく頼りにならなかったこと。
……そして、限界を迎え、命に関わる行動に出たことまで……。




