第143話 詩織のお泊り③
翌朝、瀬那は朝からバイトへ出ていった。
今回のお泊まり会が決まったときには、すでにシフトが出たあとだったため、休みを取れなかったのだ。
家を出るときは名残惜しそうにしていたが、働くことも大切なので仕方がない。
そもそも今回のお泊まり会は、二人が通っている塾の設備トラブルで、この土日の授業が急遽休みになったことから決まったものだ。
とはいえ、特別どこかへ遊びに行くわけではない。
二人は受験生なので、空いた時間は勉強に使う予定だ。俺一人でも面倒は見られるので、特に問題はない。
二人は朝食を取ると、早速勉強を始めた。
急な休講だったとはいえ、自習用のプリントを何枚も渡されたらしい。それに加えて、塾が用意した動画を見ながら勉強するように言われているようだ。
俺はダイニングテーブルで勉強している二人を眺めつつ、ソファでアクセサリーの図案を考えていた。
名指しの依頼のようなものが入っているので、きちんと案を練って、アホへ送る必要がある。
(また、変な注文を……)
この人からの注文は、今回で三回目だ。
しかし、毎回抽象的な依頼が多くて困る。
いっそのこと、極端な案をいくつか作って見せたほうがいいのかもしれない。
そんなテキトーなことを考えていると、勉強していた詩織が小さく唸った。
「うーん……相変わらず、この先生の言っていることは抽象的すぎて……どうしよう」
奇しくも、俺と同じようなことで困っていたらしい。
「一度、AI アシスタントに読み込ませてみると、別の見方が出てきて分かりやすくなることもあるぞ」
「……そうなの?」
「ああ。ほら、やってみるか」
俺は近くに置いてあったノートパソコンを開き、その先生が話していた内容を入力していく。
「義兄さんって、ブラインドタッチできたんだ」
「……パソコンを触る機会が増えたからな」
少しだけ嘘である。
以前、裁判で使う資料を須藤先生に渡すため、パソコンで文書を作ったことがあった。
ところが、入力にかなり時間がかかってしまった。
それが悔しくて、学校の課題でパソコン入力が認められているものは、なるべく手書きではなくパソコンを使うようにしていた。
その努力の結晶が、これである。誰に見せるでもない成果だが、少しだけ誇らしい。
「こうやって元の内容を投げ込むと、ひとまず分かりやすく整理してくれる」
「ひとまずって……」
「まだ AI も完全ではないからな。次は、出てきた解釈と元の内容を、別のアシスタントにも確認させる」
俺は最初に出てきた解釈と、先生が話していた内容を、別のアシスタントへ入力する。セカンドオピニオンのようなものだが、こういう使い方もある。
しばらくすると、最初の解釈に含まれていた矛盾点や、曖昧な部分がいくつか表示された。
「ほらな。これで、だいたい言いたいことは整理できたと思う」
「すごい! そうやって使うんだ……っ!」
横から画面を覗き込んでいた詩織のほうへ顔を向けると、思っていたよりも近くにいた。
互いの顔が近いと気づいた瞬間、詩織が弾かれたように離れた。
……少し近かったかもしれないな。でも、そこまで驚かなくてもいいだろう。地味に傷つくぞ、義兄は。
ただ、ここで変に反応すると、義理とはいえ兄妹なのに、無駄に意識しているように見えてしまう。
俺は努めて平静を装い、画面へ視線を戻した。
「まあ、こんなところだろうな。どちらにしても、ここまで整理しないと分からない授業ってどうなんだよ、という感じだけど」
「う、うん。そうだよね」
「……それにしても、お兄さんって、女の子との距離が近くても平気なんですか?」
じっとこちらを見ていた麻里ちゃんが、突然、妙なことを言い出した。
女の子との距離が近くても平気って……。
「……なんだよ、藪から棒に。言っている意味が分からないんだが」
「だって、詩織ちゃんって、学年でも男女関係なく人気があるくらい可愛いんですよ? それがすぐ近くにいたのに、全然反応しなかったから」
「『それ』って何よ、麻里……」
「詩織が可愛いのは分かるが――」
横で詩織が小さく息を呑んだが、そのまま続ける。
「――義兄が反応するのは違うだろ?」
「ふ、ふーん」
「ふーん」
二人が、ほとんど同時に同じような反応をした。
仲がいいな、君たち。
「まあ、近くに瀬那さんみたいな、勉強ができて、しかも美少女な人がいるなら、慣れているのかもしれませんねー」
「慣れるって……言い方よ」
「義兄さんは、女の子とのスキンシップに慣れているってことですよ?」
「詩織まで……」
本当になんなんだ、君たちは。
……なんだか悔しいじゃないか。
◇
昼食を食べたあと、さらに二時間ほど勉強すると、さすがに集中力が切れてきたらしい。
二人とも、はっきりと疲れた顔をしていた。
まあ、ここまで頑張ったのなら十分だろう。
瀬那を迎えに行くついでに、気分転換を兼ねてルナポートへ行くことにした。
瀬那の仕事が終わったあと、四人でスイーツでも食べれば、ちょうどいい息抜きになるだろう。
「ここって、結構広いんだね。うちの近くだと、あそこくらいだよね、麻里」
「そうだね。これくらい広いところが通いやすい場所にあると便利だよね。ここなら、学校帰りにも寄れそうだし」
もう合格したあとのことまで話しているが、あえて水は差さない。
こういう想像で勉強のモチベーションが上がるのなら、それに越したことはないだろう。
しばらく三人で、ウインドウショッピングとしゃれ込んだ。
予想通り二人とも受験の影響で、買い物や遊びの時間をあまり取れていなかったらしい。
楽しそうに店を見て回っているので、連れてきたかいはあったようだ。
途中で立ち寄ったペットショップでは、詩織が一匹の猫に釘付けになっていた。
ガラス越しに猫を見つめる詩織の目は、先ほどまで問題集を睨んでいたときとは別人のように輝いていた。
写真を撮っておけば、あとで本人へ見せてからかえそうだ。そう思い、俺はさりげなくスマホを取り出した。
話を聞くと、一人で家にいることが多いので、以前からペットを飼ってみたい気持ちはあったらしい。
しかし、きちんと世話ができるか心配になり、結局、親へねだったこともないそうだ。
確かに、猫や犬を飼うには責任が伴うし、世話も大変だ。
比較的飼いやすいのは水槽で飼える生き物だろうが、どちらにしても命を預かることに変わりはない。
簡単に「よし、飼おう」と決められることではなかった。
そういうところまで考えられる詩織を、義兄として少し誇らしく思う。
「どうしても寂しかったら、麻里のところに行くしね」
「私はペットかーい!」
麻里ちゃんが、妙なノリでツッコミを入れた。
しばらくすると、瀬那の仕事が終わる時間になった。
俺たちは、着替えを終えた瀬那が出てくるスタッフルーム近くのいつもベンチへ向かう。
三人で待っていると、通りかかった石田……さんが、俺たちを見てぎょっとした顔をした。
どうしたのだろうか。
まあ、こいつのことは無視してもいいだろう。
「今の人、こちらを見ていましたが……感じが悪かったですね」
「あれは、瀬那の同僚の人だ。何を気にしていたのか分からないが、無視でいいだろう」
数分もしないうちにドアが開き、瀬那と……石田さんが出てきた。
着替えるのが早いな、彼は。
「ほら! 彼氏さん、浮気してるじゃん!」
「……はぁ。女性二人と一緒にいるだけで浮気だなんて、単純ですね。第一、このお二人なら何も問題ありませんよ」
聞こえてきた会話から察するに、石田さんには詩織と麻里ちゃんが、俺の浮気相手に見えたらしい。
一歳しか違わないので、並んで歩いているだけなら、そう見えなくもないのだろうが……安直すぎる。
そもそも、浮気相手と一緒に彼女を迎えに行くのはどうなんだ。
とりあえず、無視だな。
「お疲れ、瀬那」
「お疲れ様です、瀬那さん」
俺たちは、石田さんには触れず、瀬那にだけ声をかけた。
二人は石田さんのことを知らないので、当たり前と言えば当たり前だが。
「南雲ちゃん、この二人と知り合いなの? お前! 彼女の知り合いに手を出したのかよ!」
「……はぁ。とりあえず、『ちゃん』付けで呼ばないでください。不快です」
ストーカー事件以来、瀬那は石田さんに対して、かなり辛辣な態度を取っている。
その様子を見て、詩織と麻里ちゃんは驚いていた。二人にとって、瀬那はいつも柔らかく笑っているイメージなのだろう。
安心しろ。瀬那がこうなるのは、よほどの相手だけだ。
それに、瀬那がこの二人へ辛辣な態度を取る理由などないだろうがな。
瀬那本人から詳しく聞いたわけではないが、以前、桜井さんから少し聞いた話では、ストーカー事件の際に石田さんが俺を貶したことで、かなり腹を立てたらしい。
それ以来、仕事以外ではまともに会話をしていないそうだ。
仕事に必要なやり取りだけは、きちんとこなしている。そのあたりは瀬那らしくて、好感が持てる。
「えっと……私たちは――」
「いいよ。ここは俺が話す」
説明しようとした詩織を止め、俺は石田さんの前へ一歩出た。
「石田さん。一応言っておきますが、この子たちは俺の義妹と、その友達です。事情があってこちらに来ているので、俺が案内しているだけです。あと、この二人にも関わらないでください」
「はあ!? お前に、こんな可愛い妹がいるのかよ。全然似てねー! 妹ちゃんがかわいそう!」
そりゃ、血がつながっていないからな。
似ているわけがない。
それはともかく、目の前で親しい身内を貶されて、喜ぶ人間はいないだろう。
そういうところだぞ、石田。お前が駄目なのは……。
ほら、詩織も麻里ちゃんも俺の後ろへ隠れて、関わりたくないオーラ全開じゃないか。
「義兄さん……」
「まあ、気にするな。瀬那、二人の勉強疲れを解消するために、これからスイーツでも食べに行こうと思うんだが、どうだ?」
「いいですね! もちろん行きましょう♪」
先ほどまでとは打って変わって、瀬那が満面の笑みを浮かべる。
その変わりように呆気に取られている石田さんを残し、俺たち四人は歩きだそうとした。
「そうだ! せっかくだから、俺も一緒に行かせてよ。三対一だとバランスが悪いだろ?」
「はぁ!?」
思わず声が出てしまった。
失敗、失敗。
もう少し冷静にならなければ。
それにしても、この流れで「一緒に行こう」と声をかけられる精神はすごい。逆に尊敬するわ。
「なあ、いいだろ?」
女性陣の反応を見ていないのか。
どう考えても駄目だろう。
第一、合コンでもないのだから、男女比なんてどうでもいい。
「お断りします。これ以上言うのでしたら、もう一度、店長に報告しましょうか?」
「うぐ……」
以前にも、何かあったのだろう。
瀬那のその一言で、石田さんは肩を落とし、とぼとぼと歩いていった。
どう考えても、今回はお前が悪いよ、石田……。
隣で瀬那が、何事もなかったかのようにスイーツのお店を探していた。




