第142話 詩織のお泊り②
Side:東條 詩織
私と麻里は、義兄の家に泊まりに来ている。
夏休みに、受験日前日はここへ泊めてほしいと義兄にお願いした。それをきっかけに、義兄が「事前に家へ慣れておいたほうがいいだろ」と提案してくれて、今回のお泊まり会が決まった。
そのために来たわけだけど、到着早々、瀬那さんが義兄と一緒に暮らしているという衝撃の事実を知ることになった。
以前ここを訪ねたときから、二人の仲がいいことには気づいていた。
でも、まさか同棲までしているとは……。
――なんとなくだけど、胸の奥がもやもやする。
別に、瀬那さんが嫌いなわけではない。むしろ、好きなほうだと思う。
だからこそ、この気持ちの正体が分からなかった。
それでも、二人はお似合いだと思う。
義兄は怖がられがちだけど、それは少し目つきが悪いせいで、顔立ち自体は整っているほうだと思う。
見た目にも気を遣っているから、一緒に歩いていると、義兄へちらりと視線を向ける人がいることにも気づく。
そんなときは、隣にいる私まで少し誇らしい。
瀬那さんは、説明する必要がないくらい、分かりやすく可愛い。
純日本人だと聞いているけど、どう見ても日本人離れした容姿をしている。小柄なのも、逆に可愛さを引き立てていると思う。
義兄はなんだかんだ、身内というか、親しくなった相手には優しい。
本人は否定するだろうけど、家族になって間もない私にも優しいし、今回のお泊まり会だって、麻里の同伴を快く許してくれた。
瀬那さんに対してだってそうだ。
まだただの同級生だった瀬那さんを、義兄は身を挺して守った。
そんな不器用なまでに優しい義兄と、守ってあげたくなるような小柄な瀬那さん。
だから、お似合いの二人だと思う。
そう。
二人は、お似合いなのだ。
――何度も自分に言い聞かせなければならないくらいに。
◇
瀬那さんの部屋に置かれていたものを少し端へ寄せ、三組の布団を並べた。
義兄は「ニ〇リの布団だ」と言っていたけど、同じものが綺麗に三つ並んでいると、妙に気持ちがいい。
わざわざ私たちのために買ってくれたことには、申し訳なさもある。でも、助かるのは本当だ。
今、私たちはその布団の上で川の字になっている。
並びは、瀬那さん、私、麻里の順。
横になったとはいえ、まだ眠るには少し早い。
せっかくなので三人とも起き上がり、お泊まり会では定番らしい雑談会を始めた。
今の話題は、瀬那さんの部屋について。
案内されたときから思っていたけど、この部屋は女の子の部屋としては、少しちぐはぐに見える。
無骨な本棚と、飾り気のないシンプルな机。
でも、その横には、大きめのウサギのぬいぐるみが乗った、丸みを帯びた天板の白いマルチワゴンが置かれている。
ぬいぐるみの横には、可愛らしいパステルカラーの時計まであった。
どうしても気になってしまい、本人に訊いてみた。
「この部屋ですか? 元々、ここは朔也くんが書斎のように使っていた部屋なのです。火事で家具のほとんどが駄目になってしまったので、置いてあったものを、そのまま使わせてもらっています」
「そういうことですか。瀬那さんの趣味ではなさそうな机と本棚だと思っていました。でも、義兄さんの趣味だと分かれば納得ですね」
「くすっ、そうですね。私なら選ばない品ですね」
それなら、この少し不思議な組み合わせにも納得できる。
「私たちが泊まるだけなら、作業部屋でもよかったんだけどね」
「朔也くんが言うには、『機材が危険ってのもあるけど、それ以上に粉っぽいから駄目だ』ということらしいです」
「……っ、それ、義兄さんの真似ですか?」
瀬那さんは、わざとらしく声を低くして、眉間にしわまで寄せている。
その声と表情が微妙に似ていて、思わず吹き出しそうになった。
「はい♪ 結構、自分では似ていると思うのですけど、どうです?」
「お兄さんのしかめっ面が、いい感じです!」
「良かったです♪ 練習したかいがありました」
そう言って胸を張る瀬那さんは、義兄の物真似を褒められたことが、本当に嬉しそうだった。
喜ぶところ、そこなんだ……。
恋人になると、声や表情の癖まで覚えるものなのだろうか。そう考えると、また胸の奥がわずかにもやついた。
「ふふっ……瀬那さん、そんな練習をしていたんですか?」
この部屋の鏡の前で、義兄の顔を思い浮かべながら練習している瀬那さんを想像してしまう。
……駄目だ。
一度こぼれた笑いは、なかなか止まってくれなかった。
「そういえば、今のところ、この家で何か不都合なことはありますか? このことは、朔也くんから訊いておいてほしいと頼まれていたのです。女同士のほうが言いやすいだろうから、とのことでした」
「義兄さん、そういうところだけ妙に気にするんだから。私は特にないです。色んなものが普段より充実しているので……逆に、どれを使うか悩んでしまうくらいですね」
「詩織ちゃん、それ分かる! 本当に使っていいのか、悩んじゃうよね」
お風呂場や洗面所には、中学生の私たちからすると、かなり高そうなスキンケア用品が揃っていた。
普通なら瀬那さんが買ったものだと思うところだけど、実際には、義兄が買ってきたものもあるらしい。
……こういうところも、見た目とのギャップがあると思う。
「大丈夫ですよ。私も遠慮なく使っていますから。というより、使わないと、どんどん増えてしまうのです……。朔也くんがテキトーに買ってきてしまうので……」
「義兄さん……」
義兄は、おおらかなのか、大雑把なのか。
アクセサリー作りや料理をしているときは、かなり丁寧で慎重なほうだと思うのだけど……。
そのまま少し雑談を続けたあと、私は姿勢を正した。
「……少し、聞いてみたかったことがあるんです。訊いてもいいですか?」
「なんでしょうか?」
瀬那さんは柔らかく微笑んだまま、体ごとこちらへ向けてくれた。
「瀬那さんは、義兄さんのどこを好きになったのですか?」
「……詩織ちゃん」
「……急ですね。少し恥ずかしいですが、でも、ちゃんとお答えしますね」
麻里が驚いたように私を見る。
交際を始めたと聞いてから、ずっと気になっていた。
好きになった理由を知りたいのは、単なる好奇心だけではない。義妹として、確かめておきたいこともあった。
私が知っている義兄は、相手の気持ちを尊重して、大切にしようとするところがある、優しい人。
料理が得意で、手先が器用なのも知っている。
……ほんの少しだけ気になっているのは、お金のことだ。
瀬那さんが、そんなことを考えているようには全く見えない。
疑っているわけでもない。それでも、もしそうだったら、私は絶対に認めたくなかった。
それに、義兄が相手を大切にするのと同じくらい、瀬那さんも彼を大切にしてくれる人なのか。それだけは、義妹として知っておきたかった。
「まず、朔也くん自身が心配していたことがありました。私の気持ちは、吊り橋効果による一時的なものではないか、と」
「吊り橋効果ですか?」
「はい。大きなところでは、火事の日に心細かった私を助けてくれたこと。それから、おぞましいストーカーから、身を挺して守ってくれたことですね」
瀬那さんは、当時のことを一つずつ確かめるように、ゆっくりと言葉を続ける。
「小さなことまで含めれば、もっとたくさんあります。でも朔也くんは、それを『吊り橋効果で、俺を好きになっているだけじゃないか』と言っていました」
「……」
義兄の立場なら、その心配は分かる。
どちらも人生の一大事で、場合によっては命を落としていてもおかしくなかった。
それを助けてもらったのなら、吊り橋効果を疑ってしまうのも無理はない。
「でも、私が朔也くんに好意を持ったきっかけは、全く別のところでした」
「えっ?」
二つとも、少女漫画なら、ヒーローが颯爽と現れる場面そのものだ。描き方次第では、そこでキュンとしても全くおかしくないと思う。
「もちろん、助けてもらえたことは嬉しかったですし、安心もしました。でも、それとは違うのです。実は私、中学時代にも彼と会っているのですよ」
「中学時代に?」
「はい。朔也くんは忘れていましたけどね」
忘れられていたことが少し不満なのか、瀬那さんは呆れたように眉を下げた。
「……そうなんだ」
「はい。そのときのおかげで、中学時代に抱えていた問題が解決した……というより、立ち向かえるようになったのです」
瀬那さんは一度言葉を切り、胸の前で両手をそっと握った。
「……私にとって、人生がいい方向へ動き始めたきっかけでした」
そのときのことを思い出しているのか、大切なものを胸に抱えるような仕草だった。
瀬那さんがすると、本当に可愛い。
これが私だと、たぶん変な感じになる。
「あのときは年上だと思っていましたし、名前も知らなかったので、もう会うことはないと考えていました」
瀬那さんは、握っていた手をゆっくりと膝の上へ下ろした。
「それなのに、入試の日にもう一度出会って、同い年だと分かりました。そして、同じ学校の同級生になったのです」
「それで、運命だと思ったんですか?」
「はい。偶然にしては、少し出来すぎていると思いませんか?」
あまりにも真っすぐな答えに、少しだけ羨ましくなる。
「瀬那さんって、思っていたよりロマンチストですね」
麻里が、思ったことをそのまま口にした。
私も同じことを考えていたけど。
「ロマンチスト……確かに、そうかもしれません」
瀬那さんは少し照れたように笑った。
「火事の日に助けてもらったときも、単に『助けてもらった』からではありません。そこで現れたのが彼だったことに、心を動かされました。……すぐには、素直になれませんでしたけどね」
そのときのことを嬉しそうに噛みしめながら話す瀬那さんを見て、素直に「いいなあ」と思ってしまう。
「詳しく話すと朔也くんに怒られてしまうので、あまり言えませんが……彼が初めて弱いところを見せたとき、『私はこの人をずっと支えたい』と感じました。それが、最後のきっかけです」
「弱いところ?」
瀬那さんの声が、ほんの少しだけ低くなった気がした。
「ええ。彼は、毅然とした態度でいることが多いでしょう?」
瀬那さんは、私の反応を確かめるようにこちらを見た。
私が頷くと、安心したように話を続ける。
「そんな彼が、初めてはっきりと弱いところを見せてくれました。それが、とても嬉しかったのです」
「嬉しかった?」
「はい。たぶん、私に気を許してくれていなければ、その弱さを見せないために、すぐその場から立ち去っていたと思います」
「確かに……」
義兄は過去にいろいろあったから、他人に自分の弱点や欠点を見せることへの抵抗は、普通の人とは比べものにならないほど強いのだと思う。
義兄の過去については、父さんから、知っている範囲を少し聞いただけだ。
でも、瀬那さんの言い方だと、たぶん「それ」は、私が思っている以上に悲惨なものだったのだと思う。
……お義母さんとのやり取りを考えれば、なおさら。
「だから私は、朔也くんが私のことを好きになってくれるように努力しました」
「……正直、瀬那さんが告白したら、すぐに付き合えたんじゃないですか?」
「……そんなことはないですよ。だって――」
このあとも私たちは、眠くなるまで、瀬那さんから義兄との馴れ初めを聞かせてもらった。
もちろん、詳しいところは濁されてしまったけれど。
最初は義兄に振られかけたなんて、思いもしなかったけど、話を聞けば聞くほど、二人がお似合いだという思いは強くなった。
瀬那さんの楽しそうな声を聞きながら、私はそっと目を閉じた。
それなのに、胸の奥のもやもやだけは、なぜか消えてくれなかった。
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