第141話 詩織のお泊り①
文化祭の疲れも残るなかで行われたテストは、無事に終わった。
手応えはいつもどおりなので、ランキングもそれなりの順位で入っているだろう。
浩紀と愛莉は連日の勉強で疲れ切っていたが、それは仕方のないことだ。俺だって、しばらく何もせずにだらだらしていたい。
ただ、試験明け最初の休日は、そうもいかない理由があった。
この週末は、金曜日の夕方から詩織と麻里ちゃんが泊まりに来ることになっていた。以前に話していた試験の前乗りのお試しで、金曜日の夜から二泊する予定だ。
そして現在、二人は少し大きめのバッグを持って、俺たちの家へやってきている。
「――ということで、瀬那はここで暮らしている」
「……義兄さん。また黙っていたのかな?」
泊まりに来る以上、瀬那との同居を隠し続けることはできない。
瀬那と相談した結果、もういっそ正直に話そうということになった。
心配だったのは、また黙っていたことで詩織を泣かせてしまわないか、ということだったが……どうやら杞憂だったようだ。
その代わり、若干の怒気を孕んだ声で問いかけられている。
「落ち着け。黙っていたわけじゃなくて、どう説明すればいいか決めかねていたんだ。瀬那のプライバシーもあるしな」
「へえー」
軽く睨まれてしまったが、泣かれなかっただけ、まだいいだろう。
……泣かれると、どうしたらいいのか分からないからな。
「それで、夏休みに付き合い始めて、すぐ同棲……順番は逆だけど、今も一緒に暮らしている、と」
「まあ、そういうことになるな」
「何をするにも安全策を取る義兄さんが、リスクを取ったのは驚いたけど……同級生の女の子が事件に巻き込まれそうなら、放っておけないのも分かるよ」
ひとまず納得してくれたらしく、俺を睨んでいた目が元に戻った。
気づかれないように、安堵の息を吐く。
「まあ、そういうことだ」
「これも、瀬那さんが義兄さんを信頼している理由なんだよね」
「いろいろな意味で、命の恩人でしたからね。あのまま外をさまよっていたら、たぶん無事では済まなかったでしょうし」
実際、かなり危うい状態だったはずだ。
大きな荷物を抱え、服まで汚れた女の子が、深夜の公園に一人でいたのだ。見る人が見れば、家出中の少女にしか見えなかっただろう。
悪意のある人間に先に見つかっていたらと思うと、今でもぞっとする。
「うん。瀬那さんみたいに可愛い女の子が、深夜に一人で歩いていたら一発でアウトだよ。……でも、義兄さん。同棲はともかく、付き合い始めたことは連絡してほしかったな……」
「そうか? 俺の恋愛事情なんて、わざわざ聞きたいものじゃないと思っていたんだが。姉に同じことを言われても、『ふーん、それで』ぐらいにしか思わんぞ」
「普通はそうかもね……」
何か言いたげな雰囲気はあったが、詩織はそれ以上何も言わなかった。
義兄と義妹、弟と姉。
立場が違えば、恋愛に対する捉え方も変わるのかもしれないな。
「……? まあ、悪かったよ。今度は……っ、いや、もう次はないだろうから、別のことはちゃんと連絡する」
「……うん」
流れで「今度は」と言いかけた瞬間、瀬那に背中をつつかれた。
お願いだから、そんなに何度もつつかないでください、瀬那さん。
別に、変な意味ではありません。
……ごめんなさい。
「それにしても、麻里ちゃんは何してるの? さっきから何か書いてるけど」
「……気にしないでください。ちょっと、ネタ帳に……」
「……おい。何に使うつもりだよ?」
「うーん、小説のネタ……かな?」
嫌な予感がして、俺はそのネタ帳を取り上げようと手を伸ばした。
しかし、麻里ちゃんは素早くネタ帳を胸元に抱え込み、獲物を守る動物のように俺を警戒している。
いや、獲物にされているのは、どう考えても俺たちのほうだ。
ただ、これ以上手を伸ばせば、女性陣全員からお叱りを受けることになるだろう。
……セクハラ、ヨクナイ。
「……名前は出すなよ」
「もちろんです♪」
俺以外が全員女性という空間は、さすがに分が悪すぎる。
あとでもう一度、念押ししておこう。
その後は瀬那に、洗面所や浴室に置いてある女性向けのものについて、二人への説明をお願いした。
浴室のほうから、
「義兄さん、実家にいたころから美意識が高いと思っていたけど、ここだとさらにすごいんだ……」
「お兄さんって、ギャップ萌えを狙ってたりするのかな?」
という声が聞こえてきたが、瀬那は二人に何を説明しているんだ?
ちなみに、二人は瀬那の部屋で寝る予定だ。
来客用の布団は、浩紀たちが泊まりに来ることもあったので、すでに買ってある。
もちろん、瀬那も自分の部屋で寝る。
そのため、今日は久しぶりに一人で寝ることになる。
この話をしたとき――
「朔也くん……一人で寝られますか?」
「寝られるわ! 子供じゃあるまいし」
なぜか、心配された。
もともと一人で寝ていたのだから、何も問題はない。
むしろ、彼女のほうが添い寝なしで眠れるのか心配なのだが、それを言えば、
『それなら、いっそのこと一緒に寝ていることも話しますか?』
となりそうなので、口にはしなかった。
ナイス回避だと思っている。
瀬那が二人に説明している間、俺は晩ご飯の準備を進めていた。
義妹とその友達とはいえ、今日はお客さんだ。せっかくなので、少し凝ったものを用意している。
秋刀魚の南蛮漬けと、かぼちゃとレンコンを使ったデリ風サラダ。それから、炊き込みご飯だ。
南蛮漬けは味が染みたほうが美味しいので、昨夜のうちに作っておいた。
我ながら、いい段取りだ。
珍しく、自画自賛したくなる。
「……何してるの、義兄さん。ドヤ顔して」
「……あっ」
「これは、料理が上手くできて、テンションが上がっているときの表情ですよね。朔也くんは、料理やアクセサリーが思った以上の出来になると、ひそかに胸を張って喜ぶんです」
なんだと!?
思わず声が裏返りそうになった。
俺は慌てて頬を撫で、口元を引き締めた。
……いや、いつもと大して変わらないはずだ。
「……初めて知りました」
「私も最初は分からなかったのですが、何度か見ているうちに、ようやく理由が分かったのです。最近だと、文化祭で指輪を作っていたときですかね」
「……待て、瀬那。俺って、そんなことしていたのか?」
「はい、していますよ。……もしかして、自覚なかったのですか?」
瀬那が小首をかしげる仕草すら、今は少し恥ずかしい。
「……マジか」
無意識だった。
今までもそうだったのなら、その姿をずっと見られていたなんて、かなり恥ずかしいのだが……。
◇
味見はしていたとはいえ、料理の出来は我ながら上々だった。
好みを把握している瀬那や詩織はもちろん、麻里ちゃんも箸が止まっていないので、ひとまず安心する。
「お兄さんって、こんなに料理が上手だったんだ」
「前に言ったでしょ。見た目に反して、家事のほとんどができるって。……掃除以外は」
「……詩織」
見た目に似合わないのは分かっている。
それに、掃除だって、これでも頑張っているのだよ、義妹よ。
義兄の努力を温かく見守っておいてくれ。
「実際に見てみないと、信じられなかったよー」
「私も最初は驚いたけどね。でも、すぐに納得したかな。よく考えたら、私と一緒で、実家にいたころから一人暮らしみたいなものだったし」
詩織は何でもないことのように笑っている。
けれど、その言葉の意味を理解している俺は、素直に笑えなかった。
「……詩織ちゃん」
「詩織さん」
麻里ちゃんと瀬那が、ほとんど同時に詩織の名前を呼んだ。
当然、俺も二人と同じ気持ちだ。
瀬那と麻里ちゃんは、詩織の家庭環境を想像したのだろう。二人とも複雑そうな顔をしていた。
瀬那も境遇としては似たようなものかもしれない。
それでも、家族がいる家で一人きりのように暮らすことと、実家を離れて一人暮らしをすることでは、やはり違うのだろう。
少しの沈黙が、食卓に落ちた。
「ごめんなさい。せっかくの食事なのに、変な話をしちゃって。――これも美味しいね!」
「ちなみに、デザートも作ってあるから、楽しみにしておけ」
「……それは予想外だよ、義兄さん」
「言っただろ。今日はせっかくだから凝ったって。……言ってなかったな」
俺が一人で納得していると、全員から呆れたような顔を向けられた。
全員から生温かい目を向けられている気がしてならない。
……解せぬ。




