第16話 野外学習①
週が明けた月曜日。濃い週末があけた。陽の光が気持ちいいほど清々しい。
日曜は南雲の焼け残ったアパートから荷物を回収した後、彼女が使う部屋の片付けと掃除をした。
部屋に残しておいた本棚の整理や位置の調整、服の片付け、細かいところの掃除と、分担して作業をした。
さすがに服関連の収納に俺は手を出せなかったが、タンス代わりの衣装ケースの組み立てと配置だけは買って出た。
二人で整理したおかげか、住む分には全く問題ないレベルまでできたと思う。
南雲の荷物が入ったことで、男っ気しかなかった俺の部屋に、微かに彼女の匂いが移った感じがした。
時計を見ると、七時を過ぎた辺りだ。
いつも通りの時間。制服に着替え、寝ぼけ眼で部屋を出る。
「おはようございます♪」
すでに制服を着た南雲がいた。
金色にも見える亜麻色の髪が、朝陽に照らされて輝いて見える。
その笑顔が、差し込む光をいっそう柔らかなものにしているようだった。
どこか現実味がないほど綺麗で。……ここが自分の家であることを、一瞬忘れそうになった。
「おはよう、早いな」
「女の子の朝の準備は大変ですから。洗濯物があれば出してくださいね」
「女性は朝が大変って聞くね。顔を洗って来たら、俺が朝ごはんつくるわ」
「私が作りますよ?」
「準備があるでしょ。洗濯もしてくれるならなおさらだよ」
「……東條さんってそういうところありますよね。すぐ、自分でやろうとする」
少しだけ不満げに唇を尖らせる彼女から逃げるように、俺は軽く手を振って洗面所に向かった。
洗濯機に脱いだものを放り込み、蛇口をひねる。冷たい水で顔を洗い、ふと目の前の鏡を見上げた。
……寝ぐせが、酷すぎる。
今までは誰もいないからと気にしていなかったが、この頭で彼女の前に出たのかと思うと、急に顔が熱くなった。
(明日からは……ちゃんと直してから部屋を出るか)
鏡の中の自分は、いつも通りの目つきの悪い不良面だったが、その耳たぶだけが、わずかに赤くなっていた。
ヘアセットも終わり、キッチンに戻ると南雲がすでに作り始めていた。
「やるって言ったのに」
「先にやったもの勝ちです」
いたずらが成功した子供のような、茶目っ気のある笑みを向けられた。
「俺も手伝うよ。なにやったらいい?」
「あとは目玉焼き作るだけですので、サラダの盛り付けとテーブルを拭いてください」
「オッケー」
言われた通りの作業をする。
ついでにテレビをつけて、ニュース番組をBGM代わりにした。
テレビから流れる経済ニュースを耳に流しながら、新しく仕込むべき銘柄の『アタリ』をつける。
(今のうちに設定しておくか)
スマホを取り出し証券会社のアプリを起動。取引時間はまだだが、寄り付きから買えるように設定する。後は実際に開場してからだ。
画面に並ぶ数字の列を、俺は慣れた手つきで操作していく。
ふと視線を感じて顔を上げると、目玉焼きを皿に移していた南雲が、不思議そうな、あるいは感心したような目でこちらを見ていた。
「……株、ですか?」
「ああ。日課みたいなもんだ」
朝食を二人で食べながら、お互いのスケジュールを確認する。
「俺は今日特に予定がないけど、南雲はどう?」
「今日はバイトですので、放課後そのまま向かう予定です。お夕飯、作れなくてすみません」
「了解、気にしないで。そういや明日は野外学習だけど、準備は大丈夫そう?」
「問題ありません。足りないものはありませんでした」
準備と言っても大したことはなく、当日は体操服かジャージで登校することに加え、往復のバスの中で食べるお菓子ぐらいだ。
念のため、虫よけや日焼け止めなどのものがあっても良いが、必需品ではない。
……よく考えたらお菓子も必需品じゃないな。
火事で失ったものが多い彼女の持ち物に、欠けているものがないか気がかりだったが――どうやら余計な心配だったらしい。
「そういえば、布団の寝心地は大丈夫そうだった?」
「十分です。結構高いものだったのではないですか?」
「ニ〇リで買ったものだから、そこまでだよ」
「ニ〇リとはいえピンキリですから。……やっぱり、私の分は自分で払わせてください」
「それはもう話しただろ。不要だって。それに布団は人生の三分の一は過ごす場所だから、それなりに良いの使った方がいいって」
「でも……」
「いいから」
布団の料金をどちらが払うか、買った日にも言い合った。
最終的に南雲がいなくなったら、そのままうちで引き取るから、払う必要はないと言い切った。浩紀や和人が泊まりに来ることがあったら、その時に使用すればいい。
――環境を整えたら、あいつらが入り浸らないかは心配だが。
朝食を食べ終え、俺が食器を片付けていると、南雲が包みを差し出してきた。
「はい、今日のお弁当です」
「え? ……ありがとう。わざわざ俺の分まで作ってくれたのか」
「いつも自分の分を作っていますから。手間は一人分も二人分も、大して変わりませんよ?」
「いや、それでも朝の忙しい時間にすごい助かる。本当にありがとう」
可愛らしい手提げに入ったお弁当を受け取り、自分のカバンに入れる。
……なんだか、新婚夫婦みたいなやり取りに思えて、一人で勝手に気恥ずかしくなった。
準備を整え、一緒に家を出てエレベーターへ乗り込む。
……一緒に?
「よく考えたら、家から学校までずっと一緒に登校したらまずいか」
「そうですか? クラスが別とは言え、同じ図書委員なので、途中から一緒になっても違和感ないと思いますが。当番の日は一緒に下校していますし」
「それはそうだけど。うーん、面倒な事になる気がする」
「最悪の……もう、また被害妄想ですか?」
「今、妄想って言ったか?」
俺は少し睨んでみせた。
しかし、俺の目つきの悪さにもすっかり慣れた南雲には全く効かない。
「……それは置いておいて、急に朝から並んで登校したら周りは絶対違和感持つだろうね。『偶然一緒になった』って言い訳を毎日繰り返すわけにもいかないだろうし」
「私と一緒に登校したくない……と?」
彼女は上目遣いで、ひどく悲しそうな目で訴えてきた。
からかっている、あるいは演技なのはわかるが、美人にそんな顔をされると俺の心臓に悪い。
「そうとは言っていないだろ。嫌ではないが、俺は変に目立ちたくないんだよ」
「めだ……目立ちたくない!? 耳元でそれだけジャラジャラさせておいて、よく言えますね……」
「……」
「……」
「……」
「そういえば、そのピアスの件で風紀委員の先輩と揉めたって話ありましたね。本当ですか?」
南雲にジト目で見られた。痛いところを突いてくる。
「……たぶん、二階堂先輩のことだな」
「本当だったのですか!?」
随分驚いた顔をしている。
本気で揉めたって程ではないと思っているのだが。
「ちゃんと正当な理由があって、学校に届けていることを理解してもらっただけだ。特に揉めたって程ではなく、誤解されて一方的に注意を受けたって感じ」
「……届けている?」
「この場で話すようなことじゃないよ。……まあ、いつか話す」
「……はい」
家を出てから、数分。
そろそろ黄隆学園の生徒が増えてきてもおかしくない場所まで来た。
「そろそろ別々に登校しようか」
「……」
またしても、至近距離からジト目を食らった。
……家を出る前までの柔らかな笑顔はどこへやら、本当にこの子は表情が忙しい。
「ご不満で?」
「わざわざ時間をずらすなんて、非合理的だと思いませんか?」
「そりゃな」
「でしょ」
先に行かせた瀬那の背中が、角を曲がる直前に一度だけ名残惜しそうに振り返る。それを見送った後、俺はあえて遠回りのルートを選んだ。
(……家のことの方がよっぽど説明しやすかった。あれはただの『数字』の話だ。でも、こっちは――)
無意識に左耳のピアスに触れる。指先に触れる冷たい金属の感触だけが、ざわつく胸を強引に静めてくれた。
◇◇◇◇◇
翌日、野外学習の日。
朝から学校指定のジャージで登校する。何か新鮮な気持ちだ。
俺は家から歩いてこれるから良いが、電車通学の生徒はジャージのまま電車に乗るのだろうか。
どうでも良いことを考えた朝だった。
昨日と同じ位置で、南雲と別れて登校する。
……不満げな表情をしていたのは、ご愛嬌だ。
今朝は、グラウンドでクラス別、そして班別に集合する形だ。
ジャージ姿の生徒が多く、朝の風景としては珍しかった。
見渡すと、浩紀がいたので近寄っていく。
「おはよう、浩紀」
「ふぁ……ああ、おはよう朔也」
大あくびをしながら振り向いた。……とても眠そうだ。
「どうした、眠そうだな」
「俺って、遠足前とか寝れなくなるタイプなんだよね」
「……小学生か」
「ひどっ!」
睡魔に負けているくせに、リアクションだけはやけにキレが良い。
こいつのサービス精神は、アホの領域まで達している気がする。
「おっはよー!」
取り留めのない話をしていると、少し遠くから元気な声がした。
水野だ。今日もトレードマークのポニーテールが元気に揺れている。
「おはよう、水野。こっちは元気だな」
「……おはようさん」
「元気だよ! 朝練もしてきたからね! ……前川くんは眠そうだね!」
「こいつ、小学生だから仕方ない」
「小学生じゃねーし!」
「えっ? どういうこと?」
疑問符を浮かべる水野にさっきのことを話した。
水野は楽しそうに、浩紀の肩をたたく。
ふと横を見ると、少し離れたところに南雲がいるのが目に入った。
周りにいるのは班のメンバーだろうか。男女関係なく、話をしているようだ。
ここ数日家で見た顔より、表情が硬いように見える。
「どうした、朔也?」
「いや、何でもない。みんなジャージなのが珍しく思っただけだ」
浩紀の方を振り向き、答えた。
南雲を見ていたのを誤魔化すため、学校に着いた時に思ったことを伝えた。
嘘はついていない。
「確かになー」
もう一度、南雲に目線を送ると――目が合った。
「……(ニコッ)」
「……っ!」
周囲に悟られないよう、胸元で小さく振られた手。
向けられた微笑みは、家で見せるものより少しだけ「外行き」で、けれど柔らかさが混じっている気がした。
気恥ずかしさに耐えきれず、俺は逃げるように視線を逸らした。
……後で文句言われそうだ。
俺は誤魔化すように前を向き、まだ集まっていないもう一人のことを口に出す。
「そういや、和人はどうしたんだ」
「あー……あそこにいるよ」
水野が苦笑いをして、あちらを指さした。
そこには、梅沢を含めた数人の女子に囲まれている和人がいた。
俺だと圧倒されそうな勢いの女子に、いつものさわやかな笑みを浮かべている。
「俺には無理だな」と、心の中で尊敬した。
「あとのこと考えたら、梅沢さんたちと合流した方が良かったと思うけど。入りづらかったんだよね。二人がいて助かったよ」
「わかる」
「あれには突撃したくないな」
しばらくすると、先生が校内から出てきた。
三波先生が拡声器で「D組集まってください」と叫んでいる。
時間になったのだろう。気が進まないが、和人に近づいた。
……頼むから、睨むなよ。
約一名からの鋭い睨みを無視しつつ、和人に軽く挨拶して合流する。
「朝から人気者ですなー」
「はは……」
和人は浩紀の軽いいじりに笑顔のまま答えた。
先生の話は軽い注意事項だけで終わり、各バスへ乗り込む。
特に席は決まっていないが、みんな班で固まっているようだ。
俺らも例にもれず、班のメンバーで固まって座る。
和人と俺、通路を挟んで水野と浩紀が横並びに座り、俺たちのすぐ前の列に梅沢と竹内、松本の女子三人組が座る状態だ。
意図してこの並びになったわけではない。
女子は女子で固まって座るものかと思っていたが、水野は浩紀の横に座ることを選んでいた。
(水野の性格として、あっちの女子を避けるようなタイプではないが……)
浩紀と仲が良いだけか。気にしすぎだと、思考を切り替えた。
……それよりも問題は、俺が和人の隣に着席した瞬間に、前の席の隙間から突き刺さってきた梅沢の視線だ。
親の仇でも見るかのような、物理的な質量すら感じそうなその鋭い眼光に、俺の首筋には嫌な冷や汗が伝わった。
――今日の野外学習、本当に大丈夫だろうか……。
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