第15話 燃えたその場所で
次の日、朝食を食べた後、不動産屋に向かった。
店舗に入り、理由を説明する。
応接間に案内され、しばらくすると、担当の人が入ってきた。
「わざわざご足労ありがとうございます。担当の伊藤です。火災の件は、消防からも連絡を受けています。大変、災難でしたね。お怪我はありませんか? 煙は吸い込んでいませんか?」
物腰が低そうな人だ。
今のところ友好的な人に見える。
「私は出火時には部屋にいなかったので、怪我や煙の問題はありません。ただ、部屋は放水で水浸しになってしまい、使用できる状態ではありません」
「そうですよね。大家さんもね、本当にお気の毒にって仰っていて。……まずは事務的なお話の前に、南雲さんの体調と、当面の寝床が確保できているかを確認させてください。もし行く当てがなければ、うちに提携している一時貸しのシェルターやホテルもありますが……」
「大丈夫です。近くの親戚の家に住まわせてもらう予定です」
南雲は俺を見て、はっきりとそう言った。
やっかいになっているのが、異性の同級生の部屋だと説明すれば、邪推されるだけでなく面倒なことになるかもしれない。
そう考えていたので、昨夜のうちに俺のことを『親戚』と言う扱いにしようと話し合っておいたのだ。下手に兄妹と言うより、違和感がないはずだ。
「それはよかったです。若い女性が一人で住む場所がないというのは、このご時世、本当に大変なことですから。ひとまずは安心しました。防犯面でも、お一人でホテルを転々とするよりは、親族の元に身を寄せられる方が確実ですからね」
伊藤さんの言葉が、俺の背中に心地よい重圧を与える。『親戚』という嘘の裏側で、俺は彼女を守る責任を、改めて自覚した。
「はい、私も近くに頼れる人がいて、安心しています」
南雲はニコっと微笑みながら、俺の方へ向く。
少しでも頼れる相手と思われているなら、素直にうれしく思う。
「大家さんにもその旨、伝えておきます。行き先が分からないと、心配されるでしょうから。それで、今日のご用件は補償内容の件でよろしいでしょうか?」
「そうなります。早めに話しておこうと思いまして」
そこからは話が早かった。
当初の想定とは違い、ごねることはなく、保険や家賃の払い戻しなどスムーズに話し合えた。良心的な不動産屋だったらしい。
「それでは、また何かありましたら、いつでもお越しください」
「ありがとうございます」
「失礼します」
外に出ると、背後で自動ドアが静かに閉まった。
まだ天頂には届かない午前中の太陽が、暗い空気を焼き切るように、少しだけ強く照りつけていた。
「思っていたより……と言うか、すごくスムーズに話が進みましたね」
「本当にな。ごねて面倒なことになるよりマシだけど、なんとなく拍子抜けした」
「ふふ、わかります。……子供相手でも、ちゃんと対応してくれる大人はいるのですね」
「そうだな」
感想を言い合った。十分良い成果だったはずだ。
今日はこのまま、南雲の焼け残ったアパートの部屋に行く予定だ。
不動産屋から「崩れる心配はないので、自己責任で中に入って私物を回収しても良い」と許可をもらったからだ。
そのために、まずは一度俺の家に戻り、荷物を入れるためのスーツケースと大きめのカバンを取ってくることになった。
「あれ?」
「ん? どうした?」
俺の家に向かって歩いている途中、南雲が前方を見て首を傾げていた。
視線の先には、帽子を被った中肉中背の、三十歳ぐらいの男がいる。
その男は南雲の姿を見るや否や、どことなく慌てた様子で道を曲がっていった。
「知り合い?」
「……知り合いと言うほどではなく、顔見知り程度ですが。まさか、この辺りにいるとは思いませんでした」
「?」
「バイト先のお客さんですね」
「あーなるほど」
「……少し気になりますね」
南雲は真剣な顔で、男が曲がった先を見つめている。
この反応は、良い意味での顔見知りではなさそうだ。
うーん、念のために言っておくか。
「仮にだけど、俺たちの同居がバレても、大した問題にならないからな」
「……えっ?」
「もしバレたとして、俺に迷惑かけるからとかで、トラブルを一人で抱え込んで内緒にしなくて良いからってことを言いたかった。はっきり言うと、同居自体は犯罪ではない。問題が出るとしたら、学校側に何か言われるかぐらいかな。それもいきなり退学はないだろうし」
「急に……どうしました?」
南雲は困惑した顔でこちらを見た。
俺も悪い癖なのは自覚しているが――止められない。
「正確に言うと、保護者の許可がないと、誘拐みたいなケースになりかねないけど、南雲も俺も未成年だから。大事にはならないかと。そもそも、恋人の家に遊びに来ているだけにしか見えないし」
「側から見たらそうかもしれませんね。って、いきなりですね」
「すまん、急に何言ってるかと思うわな。悪い癖があってな。物事に関して常に『最悪なこと』を想像してしまう」
「最悪なこと?」
「そう、最悪なこと。今回だと、同居の件がバレて、南雲が脅されることかな……例えば、その口止めに何かを要求されるとかさ」
「……東條さん、もしかして、たまにそういう想像力豊かな本を読んでます?」
「っ、読んでねーよ! ……須藤先生に、そういうケースもあるって昔聞いていたんだよ」
慌てて否定する俺を見て、南雲は「ふふっ」と、柔らかく笑った。
「考えすぎでは」
「俺もそう思うけどね、癖なんだよ」
「それは仕方ないですね」
俺は素っ気なく言い、視線を逸らした。
それを見た南雲は「ふふっ」とまた微笑んでいた。
どう言う意味の微笑みだ?
◇◇◇◇◇
Side:南雲 瀬那
(東條さんも、意外と子供っぽいところがあるのですね)
先ほどのやり取りを思い出して、お顔がニヤけそうになるのを抑えます。
一昨日から、東條さんは私と違って、お考えがとても大人なのだと思っていました。弁護士の方とのやり取りや、不動産屋さんの動向の予想。ましてや、お家を買うだなんて、高校生では考えもつかないことをされていたからです。
それが、勝手に極端な想像をして、最後には焦って恥ずかしくなっている。
遠くに感じていた彼が、少しだけ身近に感じられました。
私が住んでいたアパートに着きました。本当に倒壊しないか確認しながら、外階段を二階へ上がります。思ったよりもしっかりした作りだったようで、ぐらついてはいませんでした。
鍵を開け、お部屋の中を確認します。床は放水で水浸しになっていますが、お部屋の形は保っていました。靴のまま上がり、必要なものを探し始めました。
「南雲、どういうの探したらいい?」
「お洋服は私の方で見ますので、本類を確認していただけますか?」
「オッケー」
火事のあったあの夜、すべてのお洋服は持ち出せませんでした。必要最小限なものだけにしていましたので、まだ着られるものをスーツケースに詰めようと思います。
寝室のドアを開けると、――そこには無残な光景が広がっていました。
かつて私の世界だった場所は、無慈悲に降り注いだお水と、崩れ落ちた天井の破片に埋もれています。
その隙間から、泥を被ったぬいぐるみの耳が見えました。
「南雲、ここは足元が危ないから気をつけないとな」
「……はい」
ベッドの上に置いてあった、お気に入りのぬいぐるみが瓦礫に埋まっているのを見て、喉の奥が熱くなりました。
ぬいぐるみがダメになったこともそうですが、私の平穏な日常が完全に壊れたのだと、嫌でも再確認させられてしまったからです。
「……」
「残念だけど、あれは持って行くことは出来なさそうだな。本当は置いて行きたくないよな、ああいう思い出の品って」
私が瓦礫の下のぬいぐるみを見つめているのを気にしてか、東條さんが静かにお声をかけてくれました。こういう時は、下手な慰めや「いつかまた買えるよ」といった気休めを仰るよりも、事実を現実としてそのまま受け止めてくださった方が、今の私にはずっと助かります。
「そうですね」
私は心の中でぬいぐるみに「今までありがとう」と謝罪し、静かに視線を切りました。過去の私を慰めてくれたものは、もうここにはありません。
クローゼットを開け、中を確認します。
「よかった、夏服の制服は無事そうです」
コート類は全滅でしたが、幸い使うまでにまだお時間があります。近々で使う夏服は、問題なさそうです。
「残っていた教科書類は大丈夫そうだ。ちょうどプラスチックのケース入っていたから、水に浸からなかったみたい」
「良かったです。教科書類は何だかんだ高いですから」
「外に出しっぱなしだった参考書関連はダメなやつが多いね。でも、俺も同じのを持ってる本が幾つかあるから、俺の使ったらいいよ」
「お借りしても良いのですか?」
「当たり前だろ。参考書だけでなく、本棚にあるのはどれ使っても構わないよ」
「助かります」
他にも小物類や食器類で、気に入っていたものだけは回収しました。他はそのままです。不動産屋さんに確認したところ、このアパートは取り壊すことが決定したらしいです。その際、中の家財の整理は不要とのこと。崩れる心配がないお部屋だけ、必要なものがあれば取り出して欲しいとご連絡されている最中とのことでした。
実際に中に入ってみたら天井が崩れていたこのお部屋も、本当は立ち入り禁止だったのでしょう。運がいいのか悪いのか。
一通り確認と回収を終えてアパートを出た頃には、時計の針はお昼を周っていました。もし私一人だったら、絶望に足がすくんで、きっとここまで出来なかったでしょう。東條さんには、出会ってから本当にお世話になりっぱなしです。
「ありがとうございます。とても助かりました」
「気にしないで、今日は暇だったしね」
二人並んで、彼が待つ東條さんのお家へ向かって歩き出します。
火事があったあの一昨日と同じように、東條さんは重いカバンを肩に担ぎ、私はスーツケースを引いています。
――ただ、私の心の中の気持ちはあの夜とは全く違って、ひどく穏やかで、軽やかです。
私はポケットに入れた、彼から託された銀色の鍵をぎゅっと握り締めました。
その金属の冷たさは、もう気になりません。むしろ、それが今の私を、彼が待つ温かい新しい『居場所』へと繋ぎ止めてくれる、唯一で絶対の錨のように感じられたから。




