第138話 文化祭:二日目⑧
『ただ今をもちまして、今年度の黄隆学園文化祭の全日程を終了いたします。なお、一般のお客様は速やかに校門へ移動をお願いいたします。生徒の皆さんは、各クラスで使用した教室の片付けを速やかに開始してください。繰り返します――』
ライブが終わり、しばらくぶらぶらしていると、今年の文化祭の終わりを告げるアナウンスが流れた。最後のほうは周りを気にしすぎて、瀬那をちゃんと楽しませてあげられたのか、心残りだった。
お互いに教室の片付けがあるため、それぞれの担当教室へ戻っていく。
別れ際、瀬那が何か言いたげな顔をしていたのが気になってしまう。
(駄目だな。ちゃんとしようとしたのに、瀬那にあんな顔をさせてしまった……。)
反省しながら、俺は教室で後片付けを始めた。
「スゲーぞ、朔也! 高額のやつ、全部売り切れたってよ!」
「……マジか。全部売れたんだな」
「……お前、何かあったか? おかしいぞ」
浩紀に分かるぐらい、今の俺は顔に出ているのか。
「……まさか! 南雲さんと喧嘩したか!?」
浩紀の声に、クラスメイトたちがこちらの会話へ耳をそばだてているのが分かる。
他人のゴシップ――さらに言えば、不本意ながらも目立つ二人のゴシップだ。気になるのも分からなくはないが。
「……アホか。してねーよ。ちょっと疲れただけだ」
「ふーん。それならいいけど、何かあったら何でも言えよ?」
「あぁ……ありがとう」
そのまま浩紀は、回収したお金と記録をまとめ、斎藤と一緒に文化祭実行委員会へ向かっていった。
黄隆学園の文化祭では、売り上げや来場者数などを集計し、後夜祭でランキングを発表する。売り上げから原価や経費まで差し引いて、きちんと順位を出すらしい。
上位になっても特典があるわけではなく、あくまでモチベーションを高めるための催しだ。
「……朔也くん、本当に大丈夫?」
「大丈夫だよ」
浩紀との会話を聞いていたのだろう。雫が心配そうな顔をして近づいてきた。
彼女にも心配されるぐらいだから、今の俺は相当なのだろうな。
◇
後片付けがほとんど終わったころ、後夜祭が始まるということで、皆が体育館へ移動し始めた。
俺はどうしてもその輪に混ざる気になれず、浩紀と和人に断って、空き教室にいた。体育館から届く喧騒を BGM に、今日あったことや、これからのことをどうしても頭の中で整理したかった。
この教室は、和人が「一人になりたいんなら、ここがいいよ」と密かに教えてくれた場所だ。……よく気づくものだ。
(瀬那も、あの中で楽しんでいるといいが……。)
俺は窓辺に座り、体育館のほうを眺めながら、そんなことを考えていた。
今日の俺は、いろいろと駄目だった。鳴鷹に会ってから、どうにもメンタルが安定しない。今さら過去にここまで揺さぶられるとは、我ながら情けない。
(瀬那に愛想を尽かされなければいいが……。)
あれだけ格好の悪いところを見せたのだ。見限られたとしても、文句は言えなかった。
『世間体』という言葉に、今でも振り回されるのか、俺は。
……自分が、気持ち悪い。
コツ、コツ、コツ……。
近くの廊下を誰かが歩く音が聞こえる。
俺と同じように、後夜祭へ出ていない奴だろう。
後夜祭は強制参加ではない。すでに帰宅した連中も普通にいる。
コツ、コツ、コツ。
(この教室の前で止まった。)
ここを使うつもりだろうか。だとしたら、気まずいな。
ガラッ。
「やっと見つけましたよ、朔也くん」
入ってきたのは瀬那だった。
今だけは、できれば会いたくなかった相手。せめて、俺の考えがまとまるまでは。
「瀬那……どうして」
「朔也くんの姿が見えなかったので、前川さんと森田さんに訊いたのです」
「……そうか」
あの二人に口止めをしたわけではない。そりゃ教えるか。
「はい。それに、お二人からは『朔也が元気なさそうだから、慰めてあげて』とも言われていますよ」
「……あいつら」
俺が元気をなくしていることを気にしていたのか。
「……ふふ、いいですね、ここ。特等席でキャンプファイヤーが見られるじゃないですか」
体育館前のグラウンドでは、先生や生徒たちがキャンプファイヤーの準備を進めていた。文化祭を締めくくる、最後の催しだ。
オクラホマミキサーなどを踊るわけではないが、締めくくりとして豪快にしたいらしい。
「そうだな、ここからなら一望できるな」
「はい。きっと綺麗でしょうね」
瀬那は窓の外へ視線を向けた。
「そうかもな……。瀬那は行かなくていいのか?」
「……朔也くんは、どうするのですか?」
「俺は……どうだろうな」
正直、行きたくはない。
今の気分のままあそこへ行っても、疲れるだけで楽しめないだろう。
「……」
「……」
しばらく、俺たちは無言のまま外を眺めていた。
けれど俺は、瀬那から何かを言われるのではないかと、内心恐れていた。
この沈黙に耐えきれなくなりかけたころ、瀬那が口を開いた。
「今日、ずっと言いかけたままになっていたことがあります。文化祭の喧騒が遠のいた今なら、ようやく言える気がします」
(……やっぱり)
今日の俺に失望したのだろう。
嫌われてしまったのかもしれない。
「無理をしなくていいのです」
「……え?」
「世間体にとらわれる必要はありません。自然に変わっていけるなら、それはそれでいいのですけど……」
瀬那はまっすぐ俺の目を見つめ、言葉を続けた。
「変わること自体は、悪いことではありません。でも、私のためだと言って、朔也くんが朔也くん自身を否定するのは嫌です」
「……否定しているつもりはない」
「では、その顔は何ですか?」
言い返せなかった。
俺が考えていることなど、彼女にはお見通しらしい。
そのまっすぐな瞳から、逃げることはできなかった。
いや、逃げたいとも思わなかった。
「無理に自分を変えようとして、昔の傷にまで触れる必要はないのです」
「……でも、俺のせいで瀬那まで悪く見られるのは嫌なんだよ」
そう言うと、瀬那は少しだけ困ったように眉を下げた。
それから、俺の手を両手で包み込む。
「それなら、私が何度でも言います」
「瀬那?」
「私は、朔也くんの隣にいたいから、ここにいるのです。誰にどう見られるかなんて、関係ありません」
いつもの、俺を安心させてくれる柔らかな微笑みだった。
正論で逃げ場をなくすような強さではない。たとえ俺が逃げても、最後まで隣に寄り添い、丸ごと抱きしめてくれるような底知れない優しさだった。
「だから、無理に変わろうとしないでください。私のためだと言って、朔也くんが傷つくのは嫌です」
その言葉が、強張っていた胸の奥へすっと染み込んでいく。
「……悪い」
「謝るところではありません」
窓の外で歓声が上がった。
いつの間にか、キャンプファイヤーに火が灯っている。それでも瀬那は、俺から目を逸らさなかった。
思えば俺は、いつもどこかで一歩を踏みとどまっていた。
自分の情けない部分まで瀬那に預けるのが、怖かったのかもしれない。
けれど、顔を上げると、瀬那は逃げることを許さないように、まっすぐ俺を見つめていた。
その瞳には、いつもの深い優しさと、ほんの少しの悪戯っぽさが混じっている。
瀬那はそのまま、俺の胸元にそっと手をついた。
指先に、わずかに力がこもる。
近づいてくる瀬那の睫毛が、わずかに震えていた。
きっと、余裕があるわけではない。それでも彼女は、俺から目を逸らさなかった。
そして、少しだけ背伸びをした。
――次の瞬間、唇に柔らかな温もりが触れた。
何が起きたのか理解するより先に、思考が全部吹き飛んだ。
唇に残った温もりだけが、やけに鮮明だった。
静まり返った教室で、自分の心臓の音だけが妙に大きく響いた気がした。
視界の端では、キャンプファイヤーの炎が揺れている。けれど、それすらも遠い出来事のように思えた。
「……瀬那」
「ふふっ。初めてにしては、上手だったでしょう?」
瀬那は自分の唇へ指先でそっと触れながら、照れたようにはにかんだ。
「俺も初めてだから、上手いかどうかは分からん」
俺がぶっきらぼうに返すと、瀬那は悪戯っぽく笑った。
「そうですか……。それなら、朔也くんからもしてください♪」
「なんだそれ」
俺が笑うと、瀬那の頬がほんのりと赤く染まった。
それを見た途端、愛おしさが込み上げてくる。
だから、上目遣いで俺を見上げる瀬那の肩を優しく抱き寄せ、そっと後頭部に手を添えた。
瀬那が目を閉じたのを見届けて――今度は、俺からキスをした。
「……んっ」
彼女の小さな声が、少しくすぐったかった。
足踏みしていた理由が、今はもう思い出せなかった。
体育館から聞こえていた歓声も、今はもう耳に入らない。
窓の外では、キャンプファイヤーの炎が静かに揺れていた。
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