第136話 文化祭:二日目⑥
Side:南雲 瀬那
私の言葉に、鳴鷹さんの表情がわずかに歪みました。彼女は悔しそうに唇を噛む。
けれど、それ以上に気になったのは周囲の反応です。
文化祭の喧騒の中にいたはずの何人かが、足を止めてこちらを見ていました。
鳳くん。
不良。
退学。
断片的な言葉だけが、周囲に届いてしまったのかもしれません。
その瞬間、朔也くんが繋いでいた手をほんの少しだけ緩めました。
「朔也くん?」
呼びかけると、朔也くんは一瞬だけ私を見て、それから周囲へ視線を向けます。
「……悪い」
「何がですか?」
「俺のせいで、瀬那まで変な目で見られている」
私にだけ聞こえるように放つその言葉は、いつもの力強さがありません。
……胸の奥がきゅっと痛みます。朔也くんは、自分が傷つけられたことよりも先に、私のことを気にしている。それが嬉しくて、同時に、とても悲しかったのです。
「おい、鳴鷹。まだなんか用があるのか? こっちはこっちで忙しいんだよ」
「……久しぶりに会った同じ中学校の同級生に言うのはそれだけ?」
「中学時代からほとんど話したことがないのに、何を今更」
「ここで止めたら、各方面にあること無いこと、言いまわるけど?」
「……っ」
初対面で失礼ですが、私、この人が嫌いです。
自分の思い通りにならないと、相手が嫌がることをするその姿。小さい頃から見ている両親に似ています。
「……ここだと目立つ。場所を変えるぞ、ついてこい。瀬那は――」
「もちろんついていきますよ」
「……そうか」
「ふふん」
朔也くんの焦りが伝わってきます。たぶん、この人もそれがわかっているのでしょう。気分が晴れたのか少し笑顔を出しています。……気に入らないですね。
しばらく歩き、あまり人が来ない場所……五階の渡り廊下付近へとやってきました。
昨日の事故で閉鎖されているので、ここには誰もいません。
「で、何か用なのか?」
「そう急かさないでほしいかな。……それよりも、本当に彼女さんにすべて話したの? 情けない姿のことも」
「あなたっ!」
情けない? いじめられていたことを言っているのでしょうが、その状態にしたのはあなたなのに、何を言っているのか!
「瀬那、気にすんな。……話したさ、当たり前だろ。お前が知っているよりも、もっと情けないこともな」
朔也くんが嫌な気持ちを押し殺して言っただろう言葉に、驚いた表情を少しした彼女は、口角を上げて私に言う。
……心底、面白いものを見たような顔で。
「へー。聡明そうなのに、ダメ人間が好きなのね」
「ダメ人間……? 朔也くんのことを言っているのですか? 少なくとも、私の知っている朔也くんは、あなたがそう呼べるような人ではありません。……もっとも、あなたはそれを知るほど、朔也くんと向き合ってこなかったのでしょうけど」
「……あなた、可愛い顔して言うことは言うのね」
「誉め言葉だと受け取っておきます」
明らかに普段通りではない朔也くん。でも、仕方ないことです。朔也くんが今でも苦しむ原因の一つ。……おかしくなってしまうのも頷けます。
それなら、ここは私が前に出るべきなのです。いつも守っていただいているのですから、当たり前のことです。
「でもね、あなたまで変な目で見られるわよ? 鳳くんの彼女なんてしてたら」
「……瀬那は関係ないだろ」
「へーそう思うんだ。鳳くんのせいで何人の同級生の人生が変わったと思っているのさ?」
「……知るか」
ニヤニヤしながら、朔也くんを見ています。……気持ち悪い。
「薄情ね。知っているのよね彼女さん。こいつ、中学一年の時にいじめられてたのよ? それで、自分を不良だと威嚇するために、ピアスなんてつけているんだから、笑っちゃうわよね」
朔也くんがどういう思いでピアスをしているのか知らないのに、好き勝手なことを言いますね。
怒鳴りたい。今すぐ、この人の言葉を遮ってしまいたい。
けれど、それをすれば、鳴鷹さんの思う壺です。
私は一度だけ息を吸い、朔也くんの手を握り直しました。
「それも、たかがいじめで弁護士まで出してきて」
その言葉だけで、胸の奥の温度がすっと下がりました。
あ……。この人とは……人として全く相容れないのだと、この一言で理解できました。
彼女の言う『たかがいじめ』……被害者のことを理解しているのなら、その言葉は絶対に出ません。多分この人は、そうならないように、上手く立ち回って生きてきたのでしょうね。
こういう人は、言い合ってもこちらの言葉は響かない……逆に嬉々として面白がるだけ。
握った手の中で、朔也くんの指がわずかに強張っているのがわかりました。だからこそ、私まで揺れるわけにはいきません。
「私は、仮に変な目で見られても構いませんよ。なぜなら、朔也くんの隣にいることを恥ずかしいと思ったことは一度もありませんから。そう見る人の方が、おかしいとわかっています」
私は、私ができる限りの憐れむような、可哀そうな顔を作り、彼女を見ます。
「それに、あなたがどれだけ過去の朔也くんを語っても、今の朔也くんを知らないことはよくわかりました」
そして、冷静さを装いながら、彼女を諭すように優しく囁きます。
怒りではなく、哀れみを。
この人には、それが一番似合う気がしました。
「可哀そうですね。そうやって相手を見下さないと生きられないなんて」
「……っ!」
本心です。
心の中から、すっと出ました。
同じことを言ってあげたい相手がいますが……その予行練習のように。
「周りからどんなことを言われようと、私は朔也くんの傍にいます」
彼女は目を見開き、ギリッと歯ぎしりをしました。
そのまま悔しそうに口元を歪ませます。
「……ふぅん。ずいぶん信じているのね」
「はい、信じています。朔也くんのことを」
鳴鷹さんは悔しそうに唇を噛みます。
けれど最後には、薄く笑いました。
その目は、私ではなく朔也くんへ向けられています。
「……いいわ。今日はこのくらいにしてあげる。でも、周りもあなたと同じように見てくれるといいわね」
そう言い残して、鳴鷹さんは背を向けました。
負けを認めたわけではない。
けれど、これ以上ここにいても、自分が惨めになるだけだと悟った顔でした。
遠くから、文化祭の喧騒がふっと耳に戻ってきました。
◇◇◇◇◇
Side:東條 朔也
鳴鷹が去っていく背中を見ても、胸の奥のざわつきは消えなかった。
「行っちゃいましたね。すみません、私が色々と勝手なことを言ってしまいました」
「……いや、俺の方こそ……ごめん。何もできなかった」
そう何もできなかった。
鳴鷹に対して言いたいことはもちろんある。でも、何も言えなかった……。
それに――
悔しい。
腹が立つ。
情けない。
そういう感情も、もちろんある。
でも、それ以上に頭から離れなかったのは、さっき周囲から向けられた視線だった。
俺に向けられたものなら、まだいい。
慣れている、なんて言いたくはないが、それでも俺だけなら飲み込める。
けれど、瀬那まで同じ目で見られるのは違うし……嫌だ。
「やっぱり、もう少しどうにかしないと駄目だな」
「どうにか、とは?」
「世間体というか……俺の見られ方だよ。瀬那が俺の隣にいることで、変な噂に巻き込まれるのは嫌だ」
そこまで言って俺は、「俺がこの言葉を出すことになるとはな」と吐き捨てた。
まさか母親と同じことを言うなんて……。
「朔也くん」
「ん?」
「私は、朔也くんが、朔也くんを否定してしまうのは嫌です」
瀬那は俺の両手をしっかり掴んで、下からのぞき込む。
いつもなら可愛い仕草なのだけど、今の瀬那の目には力がこもっていた。「私が何を言いたいのか、わかっているのですか?」と。
「……わかってる」
「本当ですか?」
「たぶん」
「そこは、はっきりしてくださいよ……」
呆れる瀬那には悪いが、これは俺の問題だと思う。
俺が変わらないといけないのだ。
「……朔也くん」
瀬那の声が、少しだけ低くなった。
責める声ではない。けれど、聞き逃してはいけない声だった。
これ以上、彼女の言葉を聞くのが怖かった。
俺は答える代わりに、彼女の手を引いてその場を後にした。
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