第130話 文化祭:一日目の夜
二日目の開催はないと思っていた。
少なくとも、誰もがそう考えていたはずだ。
けれど最終的に、文化祭二日目は条件付きで開催されることになった。
・事故の原因となった特進コースのデモンストレーションは即時中止。
・五階渡り廊下と、高所に関わる展示はすべて使用禁止。
・校内の装飾や案内板も、足場になりそうなものは撤去。
・各階に教師と生徒会役員、文化祭実行委員を増員し、巡回を強化する。
・赤口先生の謹慎。
そこまで対策を取った上で、ようやく二日目の開催が決まったらしい。
これには理由がいくつかある。
まず、もし二日目を全面中止にすれば、事故の当事者である男の子やその家族が、必要以上に責任を感じることになる。
場合によっては、周囲から「あの子のせいで文化祭がなくなった」と見られてしまうかもしれない。
それを避けたい、という考えもあったらしい。
俺としても、これが原因でいじめに繋がるようなことだけは嫌だった。
それから、俺自身の怪我が擦り傷と軽い打撲程度で済んだことも大きかった。
もちろん、教師陣からは危険行為としてきつく注意されたが、あの場で俺が動かなければ、男の子がどうなっていたかは誰の目にも明らかだった。
だから処罰という形にはならず、校長からは形式的な注意と、非公式な感謝を受けることになった。
そして、もう一つ。
これが一番大きい。
今回の事故は、特進クラスのデモンストレーションそのものというより、そのために置かれていた備品の配置が問題だった。
手すりの近くに物資が置かれていて、それが子どもの足場として機能してしまったのだ。
しかも、その配置を指示したのは赤口だったらしい。
教師側の判断ミスで起きた問題の責任を、文化祭ために準備してきた生徒全員に負わせるのは違う。
そう主張したのが、生徒会長だった。
「赤口先生の見栄でやらかしたことを、一般生徒の努力で支払わせるのは違うでしょ」
そう言って、事故原因になった企画の中止と、危険箇所の封鎖。さらに巡回の増員まで含めた妥協案を作成し、校長たちに直談判したらしい。
凄いのは、あの事故の後にすぐこの対応を取った判断の早さと、頭の回転だ。
……初めて、彼女を生徒会長として素直に尊敬できた気がする。
普段はふざけた人だと思っていたが、こういう時に動けるから、あの人は生徒会長なのだろう。
文化祭の継続開催の連絡が来たのは俺たちが家に帰る時だった。この連絡があった時、文化祭実行委員たちは忙しく働いていたらしい。
このことは浩紀から届いたメッセージでわかったことだが、赤口の愚痴がついでに送られてきたのが、何とも浩紀らしかった。
「ただいまー。お疲れ様、瀬那」
「……ただいまです」
俺にしては元気よく帰宅してみたが、瀬那はテンションが低い。
まだ、俺が落ちたショックを引きずっているようだ。
(どうしたら良いものか)
とりあえず瀬那に着替えるように諭すが、動こうとしない。それどころか、リビングに入ったタイミングで、抱き着いてきた。
「まだ、落ち着かないのか?」
「……はい」
「……悪い。俺、何すればいい?」
「……わかりません。とりあえず、このままじっとしていてください」
瀬那が落ち着くまでは、このままになりそうだ。
俺は空いている手で瀬那の頭を撫でる。少しでも落ち着くなら、何でも試してみることにした。
瀬那の体温が、じわじわと腕から伝わってくる。……妙に落ち着く。
俺も俺で、まだ気持ちが高ぶっていたのかもしれない。
十分ほど経ってやっと、俺を抱きしめる瀬那の腕の力が弱まった。
胸に額を預けたまま、いつもの調子で彼女は話し出した。
「……ちゃんと心音が聞こえます。いつもの音なので落ち着きます」
「そりゃ良かった」
「はい、ちゃんと生きているのがわかりました」
どうやら、俺の心臓は瀬那の精神安定剤たらしい。
心音を確かめるのに十分もかける必要があるのかわからないが、瀬那としては大事な行為だったのだろう。
確か赤ちゃんも、そういう音で落ち着くって言うしな。
「……何か失礼なことを考えていますね」
「……ソンナコトナイヨ」
「……まあ、いいです。そろそろ着替えましょうか」
瀬那がやっと俺から離れたので、俺は自分の部屋へと入る。
「……」
「……」
瀬那は当然のように一緒に入ってきた。
あまりにも自然すぎて、一瞬こちらがおかしいのかと疑いかけた。
「……瀬那さん。俺着替えるから出て行ってくれる?」
「?」
俺の部屋に一緒に入ってきた瀬那に向かって言うが、彼女は首を傾げてこちらを見ていた。いかにも俺がおかしいことを言っているような表情だ。
「俺、半裸になるけど?」
「気にしないでください。今の朔也くんは監視対象です」
監視……?
「何のだよ」
「また、窓の外に飛び出さないかの監視です」
「やるかよ……。そんなことする必要がないだろ」
俺は瀬那の肩を掴み、彼女を反転させて部屋から押し出した。
不服そうな表情をしながらこちらを見て、
「ぶー」
子供みたいな声を出して、そのまま渋々ながら自分の部屋へと入って行く。
不満そうな声だけは子どもみたいなのに、さっきまで俺を抱きしめていた力は妙に強かった。
◇
着替えと食事を済ませた俺たちは、風呂が沸くまでリビングのソファに座っている。
特にやることも無かったので TV を点け、ニュース番組へとチャンネルを合わせる。
(今日のことがやっていないといいが……)
SNS をざっくり見る限りでは、投稿がいくつか上がってはいた。そう、上がってはいたのだが……
『やばい、今日の黄隆学園の文化祭で子供落ちた!? って思ってマジで焦ったんだけど、生徒の1人が飛び降りて助けてて鳥肌立った……! しかもパルクールみたいな動きで着地して無傷とかどこのアニメだよ! #黄隆学園 #文化祭』
『今日黄隆学園の文化祭行ってたんだけど、
五階から子供落ちる→終わった……
生徒が飛び降りて助ける
→!?!?
パルクールみたいな動きで無傷
→現実???
マジであれなんだったの、かっこよすぎて幻覚かと思った』
『私も見たけど、うちのスーパーに良く来る人だった!』
という内容に対して、
『はいはい、嘘乙。そんな高校生はいません』
『同じような内容がいくつかあるけど、宗教か何か? こわー!』
と、俺の取った行動が嘘っぽく感じるらしく、信じている奴はほとんどいなかった。とりあえず、騒がれていないので良かったとしよう。
ニュース番組では特に取り上げられておらず、こちらも安心した。ただ、こちらに関しては、誰かが手を回した可能性もありそうだ。
「特に何も騒がれていないようで良かったな。これで明日も問題なく開催できそうだ」
「……朔也くんの勇姿が嘘扱いされているのは気に入りません」
「そこか? まあ、普通は嘘だと思うから仕方ないだろ。五階から落ちてほぼ無傷なんて、冷静に考えると意味わからんし」
瀬那は俺のスマホから視線を外し、少しだけ俺を睨んできた。
「……その意味がわからないことをした本人が、一番冷静なのは納得いきません」
「それは……まあ、悪かった」
「反省してください」
「……はい」
ちょうどその時、
『~♪ お風呂が沸きました』
浴室からお風呂が沸いた合図のアナウンスが鳴った。
(助かった……このままだとまたお説教が……)
「瀬那、沸いたみたいなので先に入ってくれ」
「話を逸らそうとしていますね。……まあ、良いです」
バレてしまったか。こういう誤魔化しは瀬那に通用した試しがないな。
俺が頭の中で苦笑いをしていると、彼女は頬に手を当てて考え事を始めた。
「……瀬那? どうかしたか?」
「……今日は一緒に入っては駄目ですか?」
心臓が変な跳ね方をしたのを隠すように、俺は即座に却下する。だが、瀬那は引き下がるどころか、俺のシャツの裾をぎゅっと掴んできた。
「いきなり何言っているんだよ、ダメに決まっているだろ」
「今日は離れたくないのです」
この調子だと、俺が飛び降りたショックがまだ抜け切れていないらしい。……とは言っても一緒に風呂に入るのは駄目だ。
「み、水着を着ます! だから、お願いします」
「……」
必死に赤面しながら『水着』と言い張る彼女を前に、俺の思考が数秒フリーズした。水着ならプールと同じ……いや、自宅の狭い浴槽に二人きりで水着は逆にハードルが高すぎるだろ。
「……ダメですか?」
「ダメです。風呂から外に出ることはないんだから、心配する……なっ」
ペシ。
「いたっ!」
俺はほとんど力を込めずに、瀬那の鼻にデコピンをした。痛くはないはずなのに、彼女は鼻を押さえてジト目をよこした。
「むー」
「『むー』じゃありません! ほら、さっさと入って」
瀬那を起き上がらせて、またぶーぶー言っている彼女を洗面所まで押し込んで、扉を閉めた。
扉の向こうから、まだ不満そうな気配がした。
落ち着くの待って、部屋にある姿見で自分の上半身を確認する。
「何度見てもまだ青いよな。こんなもの見せたら、また瀬那が不安定になる未来しか見えない」
そこに映った俺の肩と背中に、痛々しい青い痣が広がっていた。
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