第126話 文化祭:一日目③
瀬那の売り子効果は凄まじかった。
噂を聞きつけた在校生が、文芸部……いや、書物には全く興味がないのに、わざわざ見に来ていた。
それを止めるために、人を割かなくてはいけなくなってしまい、人手を増やした意味がほとんどなかった状態だ。
瀬那を撮ろうとする輩は在校生、来場者関係なくいくらでもいた。
もちろん、この学校でも文化祭で個人撮影は禁止されているし、SNS へのアップロードもダメだ。指定された腕章をつけている人以外は、見回っている風紀委員の指摘対象になる。
在校生も基本は同様だ。
『基本』と言ったのは、来場者に見つからない場所や準備時間など、タイミングによってはスルーされているからだ。思い出だし仕方ないだろう。ただし、SNS に関しては不特定多数が見える場所にアップロードしていると、後で学校側から処罰があるらしい。
また、撮影対象が嫌がらないことが前提だ。だから、瀬那の撮影はさせない。
(俺はすでに撮ったけどな)
着替えた後すぐ、俺と瀬那は撮り合っている。せっかくなので先輩にお願いして、ツーショットも撮ってもらっていた。
お互いに嫌がる……わけがないのと、このタイミングを逃すと撮るのは難しそうだったからだ。
いつの間にか、破天荒(誤用)な生徒会長はあらかじめ用意してあったのだろう、『売り子さん撮影・接触禁止 破ると番犬が噛みつきます』の看板を瀬那の背後に置いていた。
……断じて噛みつきはしない。丁寧にデータの削除をお願いするだけだ。あと、瀬那を除菌。
「はい、こちらは一昨年の部誌になります。記録によると、完売した年のものですね」
瀬那は一人一人ちゃんと丁寧に対応していた。バイトで培った接客の経験がよく出ている。あらかじめ、それぞれの部誌の情報もインプットされているようだ。
俺も、それなりに接客はできているとは思うが、あからさまに残念な顔をする男連中が多いのがうざい。
……残念ながらうちの彼女はただの売り子なので、お近づきにはなれませんよ。
「すみませーん、こちらお願いします」
「はい、こちらですね、ありがとうございます。……合計で二百五十コウになります」
文化祭では現金ではなく、専用の金券を使う。使用する場合は、学校に幾つかある金券所で購入する必要がある。これは、各店舗に現金を置かないという、防犯対策だ。
単位は『コウ』。一コウは十円換算なので、計算はそこまで難しくない。
……名前がやや学園推しすぎる気はするが、文化祭らしいと言えば文化祭らしい。
出来る限りの笑顔で接客していると、隣にいた瀬那が目を広げて驚いていた。……どうした?
目が合うとすぐに元に戻ったが、そのすぐ後、横を通り過ぎる時に小声で「後で、お話があります」となぜか冷たい声で言われた。……マジでどうした?
「あの、こちらお願いします」
振り返ると、女性が立っていた。見た目からして、年上の来場者の方だろうか。
「あ、申し訳ありません、こちらですね。……はい、三百コウになります」
「ありがとうございます。……あ、あの! そのコスプレはアーヴェル司書ですか?」
「……はい?」
出たよ『アーヴェル司書』。鷹司以外でも反応するってことは、相当似ていることになるのだけど、嬉しくはない。
この『アーヴェル司書』に反応したのは俺だけではない。横にいる瀬那の動きも止まったのが、横目でわかった。
「あーいえ、その『アーヴェル司書』というキャラのコスプレのつもりはなかったのですが……どうやら似ているようですね。同級生にも言われました」
「そうなの!? それはもったいない!」
(もったいない!?)
「雰囲気も似ているので、ポーズを決めたら完璧だと思う! それでお願いなのだけど……写真を撮らせてくれない?」
何とか動き出していた瀬那が、再び固まるのがわかる。それと同時に、冷たいオーラが感じられた。……俺のせいでは断じてないぞ。
「申し訳ありませんが、撮影は NG になっております」
「そこを何とか!」
「例外を認めると、際限がなくなるので……申し訳ありません」
「うぅ……でも……」
食い下がる女性にどうしたら良いのか悩んでいると――
「お客様、申し訳ありません。個人撮影は禁止となっております」
横から落ち着いた声が割って入った。
見ると、腕章をつけた風紀委員……二階堂先輩が立っていた。ちょうど見回り中だったらしい。
「で、でも、本人が良いって言えば……」
「本人の了承があっても、文化祭中の個人撮影は禁止です。撮影可能なのは、許可された記録係のみになります」
二階堂先輩の言葉は丁寧だったが、有無を言わせない強さがあった。
助かった。俺が言うより、こういう立場の人に言ってもらった方が角が立たない。
「……そっか。残念」
「申し訳ありません。部誌の購入は可能ですので、よろしければそちらをお願いします」
女性はしょんぼりしながらも、それ以上は食い下がらなかった。
俺は軽く頭を下げて、会計を済ませる。
「……ありがとうございます、二階堂先輩」
「いえ。あの看板、かなり目立っていますけど、読まない人は読みませんから」
二階堂先輩がちらりと瀬那の背後を見る。
そこには相変わらず、『売り子さん撮影・接触禁止 破ると番犬が噛みつきます』の文字があった。
「……俺は噛みつきませんよ」
「そうね。今回はあなたではなく、可愛い番犬の方が噛みつきそうだけれど」
横を見ると、瀬那が笑顔なのに目が笑っていない状態でこちらを見ていた。
……否定ができない。
「朔也くん」
「はい」
「後でのお話が二つに増えました」
彼女の笑顔は可愛い。可愛いのだが、今は少しだけ怖い。
「増えたのか……」
ただただ、後が怖い。
◇
その後、昼を回る頃まで売り子をしていた。
副部長と鷹司が戻ってきたので、売り子を交代することになった。今日の文芸部の手伝いはこれで終わりの予定だ。
「ありがとう、二人とも。助かったわ。これから自由行動?」
「そうですね。クラスの方も、もうやることはないので、これから瀬那と見て回ってみます」
「はい、楽しみです♪」
各クラスの出し物はパンフレットを見る限り、思ったより楽しめそうだった。
瀬那は出し物もそうだが、ただ単に俺と一緒に見て回るだけでも楽しいと言っていた。可愛いことを言ってくれる。
「どうせなら、その格好のまま行く? 着替える手間も省けるし、宣伝にもなるし」
「……遠慮します。また、『アーヴェル司書』って言われても困るし」
「残念」
「……じゃあ、その前に一枚撮らせて!」
「ダメですよ、鷹司さん。ダメです」
まだ諦めていない鷹司の言葉に、すかさず拒否の言葉を返す瀬那。
その笑顔には、有無を言わせない圧があった。
「……ちょっとだけでもダメ?」
「ちょっとの意味がわかりませんが、もちろんダメです」
「うぅ……」
「さあ、行きましょう、朔也くん」
涙目になる鷹司を置いて、瀬那は俺を引っ張っていく。
着替え部屋の前で別れようと手を離そうとしたら、瀬那はそのまま俺ごと部屋の中に入っていった。
「どうした?」
「……着替える前に二つほどあります」
「忘れてなかったか」
「当たり前です!」
そう言った瀬那は、俺の正面から抱きついてきた。
その腕の力は強く、大事なものを取られまいとする必死さを感じるほどだ。
「まず、笑顔です」
「笑顔?」
「売り子さんなので、当たり前なのですが……接客業のバイトをしている身からしたら、合格点を軽く超えるぐらいの良い笑顔でした」
「それは嬉しいね」
確かに、瀬那が驚いていたのは俺が接客している時だったが、笑顔を見られていたのか。不慣れなことをしている自覚はあったので、及第点をもらえているのなら嬉しい。
「そう、良い笑顔だったのです。……心が狭いことを承知で言います。いつものではなく、接客用の笑顔であるのはわかるのですが……でも、その笑顔を他の人に向けるのが……嫌でした。朔也くんのファンが増えそうで!」
俺が悪いことをしているわけではないのは、わかっているからだろう。申し訳ないような、絞り出すような声で口を開き、最後は感情がこもった声で少し叫んでいた。
「ファンが増えるとは思えないけど……瀬那が言った通り、接客だからな。それっぽい笑顔はしないとって思っていたが……嫌だったんなら、ごめんな」
「謝らないでください。わがままを言っているのはわかっているのです。……ですが、文句というか、気持ちを伝えておきたかったのです」
俺も瀬那がムーンバックスで笑顔で接客していることに、何も感じないわけではない。
ただ、仕事なので割り切ってはいる。けれど、瀬那からすると俺が接客するとは思っていなかったので、まだ割り切れる前なのかもしれない。
だから、それを発散させるために、申し訳ないとはわかっていても言いたかったのだろう。
「瀬那が本当にやめさせたいわけではないのはわかっているよ。……こういうのを受け止めるのも彼氏の義務だから気にすんな」
「物分かりが良い彼氏さんでありがたいですが、もし重すぎたら言ってくださいね」
「俺としてはちょうど良いけどな。……安心する」
「くすっ、それはそれでどうなのでしょうね」
俺はこの方面で一度裏切られている。だからなのだろう、他人が重いと言うぐらいに、わかりやすく表現してくれた方が安心するようだ。裏切られるぐらいなら、重い方が良い。
「……でも、ずるいです! 私もあんな素敵な笑顔で朔也くんに接客されたいです!」
「接客されたいって……あははっ、何言ってるんだよ」
「もぅ! 笑わないでくださいよ! 本心ですよ!」
「それはわかっているが……それなら、今度うちで接客の真似事でもしようか?」
「ぜひ!」
食い気味で求められてしまった。
では、その時は頑張ってやるしかないな。
「うふふ、予想外に良い約束ができました♪」
「喜んでもらえたんなら良かったよ」
「はい、満足です。すみません、手間をかけました」
「謝ることではないけど、あともう一つは?」
瀬那には「二つ」と言われた記憶がある。
「あぁ、二つって言いましたね。でも、もう一つは良いのです。『アーヴェル司書』に関しては、『お気を付けてくださいね』って言うぐらいしかないので」
「あれは想定外だもんな……じゃあ、そろそろ部屋から出ていくよ」
「……一緒に着替えても良いですよ?」
「アホかっ」
「いたいっ!」
俺は瀬那の頭に軽くチョップをして、部屋から出て行こうとするが……。
「ごめんなさい、待ってください!」
「どうした!?」
瀬那の声に驚いて振り向いてしまった。
彼女は脇腹あたりの袴の結び目に手をかけて、困った顔をしていた。
「ちゃんと見えなくて……ほどけなくて……ぬ、脱げません!」
「マジか……」
瀬那の小声だけど叫ぶような声を聞いて、俺は呆然とした。
結局、俺は視線を逸らしつつ、彼女の袴の結び目をほどくのを手伝うことになった。
着替え部屋という密室で、俺の理性に文化祭最大の危機が訪れていた。
……精神は持つのだろうか……。




