第125話 文化祭:一日目②
クラスの当番が終わった後、今度は文芸部の手伝いだ。瀬那に連絡をするとすでに着替えに入っているらしく、俺は内心ワクワクしながら所定の場所へと向かった。
文芸部の出店の教室に向かうと……異常だった。人の列が、教室に入らないだけならともかく、廊下の端まで続いている。
コミケってこんな感じなんだろうか。行ったことはないけど、そういうイメージがある。文芸部の部誌にここまで人が集まるとは、正直なめていた。
なんであそこまで発行数が多いのかと思っていたが、実際に見て納得した。
ただ、問題は売れていることではなく、売れすぎて完全に人手が足りていないことらしい。
「あ、東條くん」
鷹司が列を整理していた。デモンストレーションはこの後らしいので、それまで手伝っているのだろう。
「列がえぐいけど、本を売るだけでこんなにかかるものなのか?」
「せ、先輩たちが、一人一人ちゃんと対応しているみたいで……それに、部誌の種類も多いから説明に時間がかかっているの。短編集、詩集、エッセイ集、数年前からの再録、それと部員別の小冊子もあるから……初めて来た人ほど迷っちゃうみたい」
「なるほど。売るだけじゃなくて、案内係も必要なのか」
今年作ったもの以外にも、数年前まで遡った部誌も刷っていて、需要があるのか甚だ疑問だったが杞憂だったみたいだ。
「だから、と、東條くんや南雲さんみたいに、冷静に対応できる人がいると、すごく助かるの! だから写真撮らせて!」
「だからの意味がわからんし、瀬那から禁止令が出たからダメだわ」
「がーん」
この子も反応が昭和だな。
「とりあえず、着替えてくるから」
「……はーい」
明らかにテンションが下がった鷹司を置いて、俺は着替えに行くのだった。
◇
俺の着替えはすぐに終わった。昨日の瀬那の反応が良かったので、鷹司リスクはあるが、髪型もそれっぽく整えている。
瀬那は先に着替えを始めていたが、再調整が必要になったらしく、少し時間がかかっていた。
着替え部屋の前で待っていると、通りすがりに見られることが少なくない。特に女子からよく見られるので、覗きだと疑われているのではないか心配になる。
(違うんです。彼女の着替えを待っているだけで、怪しくないのです……)
心の中で言い訳をしていると、扉から文芸部の一人が出てきた。
俺を見るや否や、少しニヤけて、
「いい仕上がりになりましたぜ、旦那!」
「……旦那って、なんですか」
「旦那でしょ?」
一応先輩なので敬語を使っているが、この反応からして不要だったのかもしれない。
「そういえば、東條くんのテーマが『クラシカル司書風』だけど、南雲さんの衣装のテーマは聞いてる?」
「いえ、聞いていませんが」
「ふふー! 『大正浪漫風の女学生袴』よ!」
「大正浪漫風の女学生袴!?」
思わずオウム返しに叫んでしまった。まるで狙い澄ましたかのように、ちょうどそのタイミングで着替え部屋の扉が静かに開く。
そこから現れたのは、もちろん瀬那だ。
そこにいた彼女は、いつもの見慣れた制服姿ではなかった。
淡い花柄の着物に、臙脂色の袴。白いレースの半襟に、足元は編み上げブーツ。ハーフアップにされた金色の髪には、小さな可愛らしい花飾りまで添えられている。
それはまさに、先輩の言葉通りの『大正浪漫風の女学生姿』そのものだった。
正直、言葉が出なかった。
瀬那は金色に近い髪だから、和装と合うのか少しだけ気になっていた。だが、実際に見てみると、違和感なんてまるでない。
むしろ、その髪色が淡い着物と臙脂の袴の中で、良い意味で目を引いていた。
いつもの瀬那なのに、いつもの瀬那じゃない。
窓から差し込む光の中に立つ姿は、古い文学雑誌の表紙から抜け出してきたみたいで――
……いや、さすがに言いすぎか。でも、それぐらい似合っていた、とだけ言っておく。
「い、いかがでしょうか? 私としては、悪くないと思うのですが……」
「あぁ、とても似合ってる」
口にしてから、少しだけ照れくさくなる。
けれど、ここで変に誤魔化す方が失礼だと思った。
「驚いた。……本当に、よく似合ってる。正直、見惚れた」
「……っ!」
瀬那の頬が、わかりやすく赤くなった。頬を押さえて照れている彼女は、やっぱりいいなと思う。
「もぅ! 朔也くんはそうやって、すぐ……」
バシバシと俺の方を叩く瀬那。痛くはないが、照れ隠しに叩くのが最近多い気がする。
「ねぇ、私は何を見せられてるのかしら?」
「まだいたんすか先輩」
「ひどい!」
名も知らない文芸部の先輩。思った以上にノリが良くて助かる。
そのまま三人で出店の部屋へ向かうが、二つ気になる点がある。
一つは通り過ぎる男子が瀬那をジロジロ見ていることだ。すごく似合っているのはよくわかっているが、彼氏としてそんなに見られると嫌なのは仕方ない。
(これ、売り子時にもジロジロ見られそうだな)
テーブルを挟んでいるから直接何かはできないだろうが、一応気をつけようと思う。……彼氏としての本能というやつだ。
そして二つ目だ。
それを確認するために、俺は瀬那に近づき、耳元で囁いた。
「そういや……胸元の補強は大丈夫なんだよな」
びくっと瀬那が反応するが、それは置いておく。
振り向いた瀬那は、口元をワナワナさせて少し睨んできた。
その瞬間――
ベシ!
俺の肩を強めに叩いてくる。
「だ、大丈夫ですよ! もう、朔也くんのスケベ!」
「何でだよ……心配になるのは普通だろ?」
「そ、それはそうですが……耳元で囁くことではないですよ!」
「そうか?」
先輩は遠い目をして廊下の向こうを眺めていた。
「……だから、私は何を聞かされているのかと」
また、名も知らない先輩に呆れられてしまった。
◇
三人で出店の教室の前に向かうと、列のざわめきが一段大きくなった。誰もが、瀬那を見ている。誰も視線を隠そうともしていないからな、この衣装の効果は絶大らしい。
――あまり、面白くはない。
「……なあ、先輩」
「なにー?」
「これ、手伝いを増やしたんじゃなくて、客を増やしただけじゃないか?」
視線を逸らされた。
よくよく考えてみると、非常識生徒会長も副部長も制服のままだ。つまり、売り子の瀬那だけ衣装を着ている……嵌められたのか!?
教室に入り、非常識生徒会長に近づき、確認することにした。
「今更、売り子を辞めることはできないよ?」
……やられた。マジでそれ狙ってやがる。
ここまで売れているなら、これ以上人を増やさなくて良いだろうに。
詐欺師の生徒会長は、真面目な顔で続けて言った。
「いやいや、勘違いしないでよー。人手が足りないのは本当だよー。あと、少しでも活字に興味を持ってくれると良いなって思ってね」
最近の活字離れ……ひいては書物離れを憂いているらしい。
瀬那という広告塔を立てることで、少しでも読んでくれる人を増やしたいのだろう。
俺も、どちらかと言えば漫画さえ読まれにくくなっているこの状態は問題だと思っているから、その気持ちはわかる。
その理由で、少し……ほんの少しだけ彼女を見直した。
「あと、南のお嬢様効果でどこまで人が集まるのか、気になって!」
「台無しだよ、あんた! 少しだけ見直したのに……」
俺は、高校に入って初めて泣きそうになった。
文化祭は始まったばかりだというのに、俺の平穏は早くも売り切れたらしい。




