第117話 彼女が選んだ隣
現在、下駄箱前で、俺と和人は龍真の兄――『一葉虎真』先輩に絡まれている。
「お前が東條か? 瀬那ちゃんと付き合っているって噂は本当か?」
あからさまなけんか腰で問うてきた。事実だけに否定する必要はない。だから俺は、ただ事実のみを淡々と返すことにした。
「東條は俺だし、瀬那と付き合ってるのも本当だけど。……で、あんた誰?」
そう言って、首を傾げてみせた。
もちろん誰かは知っているが、瀬那に告白した男として知っているのが、なんとなく気に食わなかった。
どうでもいいが、先輩の『瀬那ちゃん』呼びは嫌だと、瀬那が言っていたと思うのだが、覚えていないのだろうか。……本人には言ってなかったっけ?
「ふざけるな……話は聞いてるぞ。お前みたいなグズが瀬那ちゃんと付き合えるはずがないだろ? お前が脅したのか、泣きついたのか知らんが、どちらにしろ相応しくないだろ!」
そんなことはしていな……いや、あながち間違いではないのか?
「お前じゃあ、彼女のことを泣かせることになるからすぐに別れろよ。どうせ振られるんだから、早いに越したことないだろ」
たしかに、すでに何回か泣かせているな……もちろん、嬉し泣きの方が多いけどな!
「なんだよ、さっきから黙ってばっかりで。なんとか言えよ」
「あー、すんません、考え事してたわ」
「朔也……余裕そうでなによりだよ」
俺たちのやり取りを見ていた隣の和人に、なぜか呆れられた。……解せぬ。
「とりあえず、別れる予定もつもりもないですね。これでも色々あっての交際なので、『ほれ、別れろ』って言われて簡単に別れられるような間柄ではないですから」
「なっ……」
「第一、先輩には関係ないでしょ。俺と瀬那が付き合っていようが、なかろうが。……振られている先輩にはさ」
「お前っ!」
虎真先輩が俺の襟首を掴んできた。
周りで見ていた生徒たちも、「なんだ、なんだ」と注目してきている。この状態で評判が落ちるのは虎真先輩の方だと思うが……なぜか、嫌な予感がする。
「手荒な真似はやめましょうよ。無意味ですよ。先輩の評判に影響ありますが?」
「……っ」
少しだけ手の力が緩んだ。
隣にいる和人が「お前がそれ言うの?」って顔をしているが、気にしない、気にしない。
これで落ち着いてくれるといいのだけど。
「お前たち、何をしている!」
俺と先輩の睨み合いを止めたのは――
「赤口先生! いえ、この一年が……」
――赤口だった。
最悪のタイミングで、最悪の相手が来た。
俺は内心でため息をつきながら、左耳のピアスに触れる。
「何をしているんだ、……東條、またお前か。一葉、何かこいつにやられたのか」
「ええ。なぜか知りませんが、因縁をつけられましたね……それに、一年の南雲瀬那さんを脅しているっていう噂ですよ」
そんな噂あるのかよ!
心外だな。俺たちの関係性を考えたら、俺の方が立場が低いまであるのに。
「やっぱりか! 聡明な南雲が、不良のお前なんかを好きになるはずがない」
俺は「ああ、またか」と呟いた。先生が俺の言うことを聞くわけがない。もう諦めているとはいえ、こちらの意見を聞かないのはどうかと思うが。
ピアスにかけた指に、少しだけ力が入る。さあ、どうやってこれを打破しようかと考える。事実無根である以上、最終的には勝てるだろうが、騒ぎになっているのが面倒だ。
……また、変な噂が流れそうだな。いや、すでに流されているか。
「赤口先生。口を挟ませてもらいますが、朔也は何もしていません。一葉先輩が彼に一方的に因縁をつけてきただけです」
「森田か……友人を庇いたいのはわかるが、一葉がそんなことをするわけないではないか。お前も付き合う友人を選んだ方がいいぞ。こいつは何かと人に絡む、酷い奴なんだから」
それはさすがに言い過ぎじゃないかと、いい加減頭に来る。
むしろ俺は、人に関わりたくないのに。
「……朔也はいい奴ですよ。あなたが何を知っているのですか」
和人が彼らしくない低い声で二人に言う。
瀬那もそうだけど、普段そんな声を出さないイケメンの低い声は、一気に寒気がする。あれはなんなんだ。
「……森田、何を言っているのかわかっているのか」
「えぇ、わかっていますが」
「落ち着け和人。それ以上はいいって」
「……朔也も、いい加減文句を言っていいと思うけど」
俺のために怒ってくれるのは嬉しいが、和人まで巻き込まれるのは申し訳ない。
「はん、そいつは暴力か罵倒しかできないから無理だろ」
「先……輩……!」
「――その言い方は、あまりにも失礼ではありませんか?」
和人がさらにヒートアップしそうなところに、ふと、凛とした声が割り込んできた。……同時に、俺の心が一番安心する声でもある。
その声が届いた瞬間、ざわついていた空気が嘘のように凪いだ。まるで誰かが、冷たい刃をそこへ差し込んだみたいに。
「下駄箱の前で騒いでいるのが気になって来てみれば……。森田さんの言うとおり、あなた方は朔也くんの何を知って、そんなひどいことを言っているのでしょうか?」
いつの間にか瀬那が、俺の隣に並び立っていた。その瞳は、俺に見せる柔らかなものとは全く違う、冷たい光を放って二人を見据えている。
「瀬那ちゃん、良かった。君は東條に脅されているんだろ? 助けてあげるから言ってごらん」
「そうだぞ、南雲。先生もついているから安心しなさい」
瀬那はあからさまに「はぁ……」と深く呆れたため息をついた後、二人に見せつけるように、俺の右腕にギュッと抱きついてきた。
それも軽く腕を組む程度ではなく、大事なおもちゃを絶対に奪われないようにホールドする、子供のような硬い抱擁だ。
腕に押し付けられた柔らかい感触に、内心、テンションが上がったことは内緒だ。
再開していた周囲のざわめきが、一瞬だけ消えた。そして次の瞬間、誰かが小さく「うわ、見せつけた」と呟いた。
横の和人も「大胆だねー」と、先ほどとは打って変わって、のほほんとした声で言っているのが聞こえる。
「脅されてなどいません。私が朔也くんを選んだのです。他の誰でもなく、彼を、です」
「いや、そんなはずは……」
「むしろ、どうして先輩が私の交際相手について、そこまで気にされるのでしょうか? 先輩には全く関わりのないことですよね?」
「……っ!」
瀬那さん……それはエグいっす。
夏休み前にあなたに公開告白して振られたんですよ、この人。
……今の口ぶり、絶対わざとだよね? まさか、ガチで忘れてたから『関わりない』って言ったんじゃないよな?
虎真先輩が顔を真っ赤にして絶句しているのをよそに、瀬那は俺を見上げてとろけるように微笑み、腕に抱きついたまま手の指を深く絡めてきた。
「それに、私は朔也くんの隣にいる時が一番安心しますので」
「確かに、俺も瀬那の隣が一番安心するな」
せっかくなので俺も追撃しておく。事実とはいえ、俺がこんなことを言えるようになるとはな。
「いや……そんな……」
「では、誤解が解けたようなので、私たちは行きますね。さあ、行きましょう、朔也くん、森田さん」
赤口が何か言いかけたが、周囲に集まった生徒たちの視線に気づいたのか、口を噤んだ。ここでさらに俺たちを引き止めれば、今度こそ自分たちの方が目立つと判断したのだろう。
「あはは、そうだね。行こうか」
「あぁ、ではお二人とも」
俺は彼女に引っ張られ、付いていくしかなかった。
去り際に、またしても虎真先輩に睨まれたのは言うまでもない。
◇
校門を出る頃、
「とりあえず、あとで浩紀と倉木さんに『バカップルぶりが凄かったよ』って言っておけばいいかな? ご馳走様」
と、和人に言われてしまった。
否定したかったが、瀬那に腕を抱き込まれたままでは説得力がなさすぎた。
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